いまだ、 | ざっかん記

いまだ、



興奮冷めやらず、

嗚呼、小林研一郎、、、



その小林の若き日の記録、京響とのマラ5のCDが届いた、

京響音のあゆみ(PART-2)小林研一郎/京響 マーラー5番(EMI・OCD-1002)

1985.09.26 第276回定期演奏会 京都会館第1ホール Rec:KBS京都


レコーディングは放送局だけど、いちおう、EMIから発売されてたんだね、


演奏内容、音質、ともに、83年録音の日フィル盤に酷似、

日フィル盤もそうだったが、この京響盤でも気になるのは、金管や打楽器が剥き出しの痛快な音で録れているのに、弦のマスの拡がりをまるでマイクが拾っていないこと、おそらく、当夜の舞台上ではもっと冴え冴えとした音が鳴っているはずだが、、、ゆえに、この京響盤では、アダージェットの音彩が完全に死んでいる、これでは聴けない、他の楽章でも、弦のみでフォルテを確保している個所がすくなく、日フィル盤では、管打が絶えず全力で鳴るので、どうにか迫力が補完されていたが、京響は、非力を露呈する場面があって惜しい、それでも、1楽章は日フィル盤と互角か、やや京響の方が上、2~4楽章は、断然、日フィル盤、もちろん、京響も健闘、終楽章、これは京響、なかなか立派、それまでの脆弱さがウソのような立体的な威容、小林のテンポも、このころの彼は、のめるスピードのなか、アクセントを叩きつけるやりかたを専売にしていたはずだが、総じて踏み締めるような進行、各パートも、どっしりと地に足を着け、フレーズというフレーズを、おおきく呼吸しながら歌う、弦の刻みも、各パートが主体的に鳴ろう鳴ろうとしていることが、貧しい録音からも如実に伝わり、好印象、日フィル盤では、迫力はあっても線の細さが気になる、という憾があったが、京響は強靱な凝集力と厚みを披歴し、ついにコーダの疾走句、全パートがあらんかぎりの力を振り絞っており、小林の棒も、ここまで来てものめることを知らず、最後まで豪胆たる振舞い方である、あっぱれ、


さて、小林のマラ5、若き日の日フィル盤、この京響盤、壮年期以降のキャニオン・日フィル盤、チェコ・フィル盤、同ライヴDVD、と出揃ったが、残念ながら、決定盤と呼べるものはない、

さいきんの小林、こんどのヴェルレクが顕著に示していた通り、すでに鋭角的なアクセントを断念し、おそいテンポのなかへあらゆるパートを刻銘に整列させる熟成したスタイルへ移行しているので、これから彼がマラ5を再録音することがあっても、もうバーンスタイン的な主情的な名演を望むことはできない、もちろん、それでよく、むしろ、開き直って、激情的な内容は整然たる音響のうちへ封じ込め、堂々と、シムフォニックに全曲を運ぶ大人の演奏を達成してほしい、チェコ・フィルとのプラハでのレコーディングにはその片鱗がうかがえるが、オケの性格上、なよやかで線が細く、また、ルドルフィヌムの飽和したひびきも、この曲を聴くにはふさわしくない、、、大家の動じない演奏、ということでは、すでに85年の昔、山田一雄/N響がその先鞭をつけており、あのDVDにはぼくもシビレたが、小林のものも含む他の諸盤と比較するうち、たしかに、立派な演奏ではあるが、弱音無視で全パートをゆたかに鳴らしているため、やや色彩の綾やメリハリに欠けるようにおもえてきた、が、小林なら、そのおなじ轍を踏むことなく、名演を成し遂げうるとおもう、日フィルと演ったあの9番が、その証左だ、
実演では、何年か前の上野の奏楽堂での藝大の学生さんとの演奏、
日フィルとの横浜定期の演目をそのまま埼玉のソニック・シティへ持っていったときの演奏、
文京シビックでの東フィルとの演奏、
などを鮮明に記憶しているが、録音となると、どうなるのだろうか、もしも、アーネム・フィルとのタッグということになると、期待薄といわざるをえない、5番という曲の性格上、スタジオ録音では、聴いている方としてもどうも気乗りがしないから、もちろん、いい演奏にはなるだろうが、すごい演奏じゃないと、ね、いい演奏、という程度じゃ、とても聴いていられない、というくらいに、ぼくらはすでにこの曲の名演奏を、それもただごとではない名演奏を、知り過ぎているから、なあ、、、
なぜ、アーネム・フィルとの再録をかんがえるかというと、こないだキャニオンの日フィル盤がオクタヴィアで復刻したから、日フィルと再録するつもりなら、あんな旧い音源をあらためて世に問うこたぁない、しかし、小林、恥ずかしくないのかなあ、あんな駄演CDの再発を許可して、ぼくが彼なら、あんなへぼっちょろいCDはオレの録音史の汚点だ、一刻も早く永久廃盤にしてくれ、と、江崎氏に泣いて頼むところだが、
ってなこって、再録は、アーネムとのスタジオ録りより、もっともコンディションのよいときの日フィルとのライヴの方が、絶対に価値あるCDになる、ヨーロッパのオケでは、羽目を外した細部の抉りとかを、まずやってくれないし、破綻寸前、というようなギシギシいうスリリングなアンサンブルも期待できないから、そういう付加価値がないと、ただ、なんとなく整然としたアンサンブルでござんす、みたいなんでは、到底、不朽の名盤の峰々へ連なることはできない、から、ね、
あるいは、どっかでN響に、おじゃましまーす、っつって客演して、どさくさ紛れにレコーディングもしちゃうとかね、手っ取り早くかっちりとした大演奏を生み出したいとおもえば、その線が濃厚かな、歴史に名を残す名盤というなら、指揮者の激越な感情移入をものともせず、オケの方では、すみずみまで、一音たりとて疎かにしない鳴り方をしていなくちゃならん、とくに、さいきんの、またこれからますます顕著になってゆくだろう小林のああいうスタイルでこの曲を録音するとなりゃ、なおのことね、それには、日フィルが、あの9番のときのように、よほどおもい入れてくれでもしないかぎりは、やはり、N響が適任だろう、

ま、機が熟するのを、気長に待つか、



ちなみに、コバケンのヴェルレクへ行った帰り、渋谷のタワレコで、やっとドラクエの吹奏楽CD2枚を購入、これがいい、印象がまとまったら、ぼくのドラクエ音楽観も交えつつ、レヴューを書くことにする、