自分の初・新潟は高校2年の時、吹奏楽コンクール関東大会でした。
選んだ課題曲はBの白鳳狂詩曲。インベンション、カドリーユ、キューピッドのマーチなど後々まで演奏される名曲の中でやはり白鳳狂詩曲がコンクール受けしたのでしょう。
自由曲は保科洋「カタストロフィー」。中間部に恐ろしいタンギングの嵐があります。

当時は唇の調整不足、睡眠不足などあり唇がカサカサのぼろぼろで吹けば吹くほど調子が落ちて行く日々でした。ビタミン補給やリップクリームなどの知見はありませんでした。
当時は音色の変化をアピールするためサクソルン族の持ち替えもやっていて、楽譜に指定がなくてもコルネットやフリューゲルの持ち替え、我々ホルンパートもアルトホルンの持ち替えをやりました。これも辛かった。アルトホルンからホルンに持ち替えると息の入れ方が変わって上手く鳴らない。

でも、会場で2本の楽器を持ち歩くと他校の女子高生がハッとして見つめてくれます。男子校生にとってそれは何よりのモチベーションでありました。
同じ2曲を何ヶ月も練習するストレス。受験の不安が迫ってくる3年生の先輩方、反抗期の我々。宿舎では演奏を巡って、アインザッツをめぐって口論してました。

僕はとにかく眠い、いやそれ以上に唇が心配。
前夜、合奏で使う大広間で練習してたら時間も遅く先生に怒られました。

コンクール本番。舞台が広い。相棒とこんなに距離を感じた舞台は初めてです。
大きい舞台で自分を見失い吹きすぎないように、とOBだったか先輩の指示。

高校3年は県大止まりだったので自分の最後の関東大会でした。

あれから約40年。今年の5月に舞台でご一緒させていただいた若き現役生(う〜む、現役が若いのは当たり前か)、新潟で決めてくれました。

銀賞おめでとうございます!すごく嬉しいです。
さて、現役に乾杯するために今夜飲みに行くかな。