あ~~! もう耐えられなくなってきましたね (苦笑)
BS放送中 ドラマ「花たちの戦い~宮廷残酷史」
ヤㇺジョンの強かさ!悪行に イライラが募りつつ
キモイと言いながらも、片目つむって視聴中です
(観なきゃいいでしょ!なのに、 何とかモノ観たさ・か・も!)
。。。 と言う事で (笑) 今日も一つ
このドラマの中では、 ヤㇺジョンを スカッと吹っ飛ばして
何だか応援したくなる この継妃(荘烈王后趙氏)
。。。 ヤㇺジョンとは同じ〝趙氏”ですが
まったく 関係の無い家柄出身の中殿です
ヤㇺジョンの チマチマイライラする行動は・・・置いといて
(笑)
朝鮮史のチングが
となったというこの場所って。。。
ちょっとまとめておきたいと思います。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
≪中殿が移居させられていた〝慶徳宮”ってどこ≫
〝慶徳宮(경덕궁:キョンドックン)”
聞いたような聞かないような(笑)この名前
。。。 昌徳宮でも昌慶宮でも ありません
実はコレ!! (またまた今回も、結論から )
今の ≪慶熙宮 경희궁:キョンヒグン≫ です
( 2011.7 ソウル旅行記より 「慶熙宮」 )
本来は100を超える建物があったが、日本占領下に
すべて壊され更地となった。 以降、少しづつ復元されたが
敷地内に「ソウル歴史博物館」などを含む形での現状です。
(落ち着いたたたずまいで、必見の価値 です)
「ソウル歴史博物館」の外側には、色々な〝物”が
何気なく置かれています。 ココには「神道碑」や
何と ≪正祖イサンの直筆≫まで見ることが出来ます
館内に入ると ≪英祖王の直筆の詩≫ 等々
→ ソウル旅行記「慶熙宮・ソウル歴史博物館」
( ↑ クリックするとご覧いただけます)
話が だいぶそれてしまいましたが 。。。。。
元来ここは こんなところでした。
「14代王宣祖の寵愛した側室仁嬪金氏の三男:定遠宮の居処」でした。
。。。 この 仁嬪金氏(インビンキㇺ氏) と言うと
数々のドラマで出てきますが ≪ヤンバダン≫とも
言われた宣祖がもっとも寵愛した側室と言われる
女人です。
ソ・イングㇰ主演のドラマ「王の顔」 でも
実~に嫌な女で登場しましたが
この息子たち兄弟、そして後に何と
光海君を廃位させ(仁祖反正)、16代王仁祖となる
定遠君の長男:綾陽君の事も含めて
また、ドラマ「華政」関連で 書きますね
(と言う事で ・・・ 今回はここまでに )
宣祖と仁嬪金氏の間の三男(長男:義安君は早卒。次男:信城宮は倭乱
当時宣祖と共に北へ逃避途中で死亡)。
他に臨海君・光海君が居る宣祖にとっては〝五男”と言う事になります。
1580年(宣祖13)陰6月22日生~1619年(光海11)陰12月29日没
幼い頃より聡明・穏やかで孝行心の強い定遠君は、父王宣祖の寵愛を
受けていましたが、1608年父王:宣祖が亡くなると、異腹兄光海君の
監視下に置かれ、不遇な生活をさせられたようです。
「定遠君の居処」であったこの場所に ≪王気が漂う≫との噂が流れると、
1617年光海君は、この地を奪って壊し、1623年「慶徳宮」を完成させる。
やがて・・・光海君が廃位され、定遠君の長男:綾陽君が即位(諡号:仁祖)
すると、定遠君は「定遠大院君」→「元宗(ウォンジョン)追尊」となる。
1760年、時の王:21代英祖は この≪慶徳宮≫の名が、元宗(定遠君)
の諡号の「敬徳(경덕:キョンドㇰ)」と同じ音を持つことを理由に 。。。
≪慶熙宮(경희궁:キョンヒグン)≫ と改め、
以降、25代王哲宗の頃まで ≪離宮≫として使用されたと言う事です。
の~~ンびりと落ち着いたたたずまいの この≪慶熙宮≫
こんな 深~い物語があったなんて 何だかビックリ
あの イングㇰ君 や ビョンホンssi ・・・ そして、今視聴中の
チャ・スンウォンssi 演じる ≪光海君≫ の顔が頭をよぎり
何だか~~、光海ちょっと好きなMarcall としては
複雑な想い となりました
。。。 それでは、 今日はこのくらいで
文責はMarcall に有り、確実なものではありません。
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