私の好きな 「世宗大通り」 からすぐ。。。
地下鉄5号線 「光化門クァンファムン駅」 7番出口から徒歩7~8分の所
慶熙宮(キョンヒグン)の敷地内にある・・・・・
『ソウル歴史博物館』 に行きました。
慶熙宮(キョンヒグン)には何度も行っているのですが、
ここに入ったのは、初めて
仁川空港からのバスの窓から見えたのがきっかけで、実は今回夕方5時過ぎに
ホテルについて真っ先に向かった所です。
ショップとか一部は閉まっていましたが、ここは遅くまでしかも「無料」で見学できる
ので、この時期の遅くまで明るいソウルでのおススメスポットです。
・ 毎週月曜日、1月1日 休館
・ 平日 9:00~21:00
土・日・祝 9:00~19:00(3~10月)、9:00~18:00(11~2月)
観覧料: 無料
「朝鮮時代から現在に至るまでのソウルの歴史と文化を分かりやすくまとめて展示」
2002年5月21日に開館した
「都市ソウルの歴史に関して展示している唯一の博物館」
中には、 「朝鮮王朝の首都であったソウルの歴史的位置や役割を紹介」
「朝鮮時代のソウル人の日常生活・経済生活 衣・食・住」
ドラマ「スタイル」で使われたレストランも有るとか・・・・・・
私がビックリしたのは、 「寄贈遺物展示室」 です。
あの イサンのお祖父さん 「21代 英祖」 往年の直筆の短歌がありました。
外に出たら、 もっと嬉しいものに出会いました。
誰のことかと言いますと、 『イサン』 の異母弟の 『恩信君』です。
4月20日のブログに書きましたので、ご覧下さい。
「興宣大院君フンソンテワングンの祖父恩信君ウンシングンの神道碑シンドビ等」
・・・ この中の説明には、
恩信君(1755~1771)は正祖の弟であり系譜上興宣大院君の祖父となった。
政治的な理由で17歳と言う若さで済州島へ流刑となり亡くなった。
若くして亡くなった弟のために、正祖は即位後真心を尽くし祭祀を行った。
(下の写真は 恩信君の神道碑だそうですが・・・・実はこの字 )
恩信君の神道碑は1783年(正祖7年)建立されたのだが、兄である正祖が
直接 文を作り自らの手で文字を書いた。本文には恩信君の死に対し
哀悼の心をこめてその経歴と人柄についても紹介してある。正祖の文章の
素晴らしさと文字をうかがう事が出来る。 ・・・・・・・・・
その正祖の直筆の文章は、 下の写真です。
また、思いがけないところで
大好きな「イサン=第22代 正祖」に出会えました。
この他にもたくさんの神道碑や墓碑など、貴重な石碑が並んでいました。
歴史に興味がある方は、是非 「一見の価値有り 」 ですよ。
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ついでに、 慶熙宮(キョンヒグン)も ぶらぶらしました。
慶熙宮(キョンヒグン)は 王室の離宮として使われていたところです。
静かで落ち着きのあるところで、私は大好きです。
・・・・・・ もう7時でしたが、まだ明るいので散歩をしている人もいました。
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次回は、 「西五陵」を訪ねて・・・ です。