ここは。。。 Marcall 何度目でしょう

おそらく (苦笑) 10回近く来ている この「昌慶宮」
朝鮮王朝史の 悲しい歴史の殆どがここ「昌慶宮」で起った
と言っていいほど
朝鮮史を学ぶ上での ≪聖地

≫ です。
今回どうしてもここに来たかったのは
どっぷりハマってしまったこのドラマ「張玉貞、愛に生きる」
このドラマの≪所縁の地めぐり 一区切り≫の為~~
笑
『就善堂』
が 実際に有った場所を もう一度じっくり
そして。。。なんと、その向かい側に有ったという
あの宿敵
粛宗母:大妃(明聖王后金氏)の「儲承殿」や
その後 。。。 この一帯で起った
あの忌まわしい事件

『思悼世子米びつ死』の舞台となってしまったという
そんな悲しい≪場所≫を 
もう一度、ジックリ見なければ
なんだか 一種の使命感
のような思いに駆られました~~笑
。。。。。。。。。。。。。。。。
これからどっぷりハマりそうな≪思悼モノ
二つ≫
(ただ今、切ない気持ちで
熱視聴中ですこのドラマ)
韓国SBSドラマ「秘密の扉~儀軌殺人事件」
2014.9.22スタート 月火22:00~(現在放送中)
(全24話予定)
英祖王(ハン・ソッキュ) 思悼世子(イ・ジェフン)
そして 。。。 公開が本当に楽しみ~

来年公開予定 映画「思悼~8日間の記憶」
英祖王(ソン・ガンホ) 思悼世子(ユ・アイン)
英祖王を養子として異腹兄(張嬉嬪の子=20代景宗)の
〝世弟″にし王位を継承させた仁元王后
役を、映画「カンチョリ」
でユ・アインの母役として共演したキム・ヘスクが、
この「思悼・・・」では、義理ではあるが(笑)≪祖母役≫で登場
(
仁元王后=粛宗の最後の王后。幼くして粛宗に嫁ぎ子は無し)
そして・・・更に
ムン・グニョンが思悼世子の妃≪後の恵慶宮洪氏≫
を演じるとして話題沸騰中
10月すでにクランクアップ、公開が
待たれる状態です。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
この二つの≪思悼世子≫にも思いをはせながら
廻ってきました。
(どうぞ皆様、 〝Marcall想い出の旅″にお付き合いくださいませ
)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
2014秋ソウル旅行記 ≪昌慶宮≫
今回は、鐘路に泊まっていましたので。。。散歩を兼ねて
宗廟「永寧殿」の辺り
宗廟の横にある細い道を通って
綺麗な壁 ・・・ 修復中
正面に何か
こんな
地図でした
ちょっと見づらいですが 「宗廟・昌徳宮・昌慶宮」の配置図
左下方:宗廟(↓正殿、↑永寧殿)
上方部分一帯:昌徳宮、 昌徳宮の右下部分:昌慶宮
(本来は一つでありましたが、今は境有り入口もそれぞれ)
昌徳宮は≪月明かり紀行
≫参加予定でしたので、その日は
入らず
右に廻り道に沿って「昌慶宮」に向かいます。
(たくさん歩きますが、こんな小さい小道を歩くと色々面白発見

楽しいです。ソウルだけではありませんでしたが、小道の所々に
〝運動器具”が設置されていて、使って楽しんでいる人が多かったです。
写真撮るのはちょっと
遠慮しましたが、健康意識を感じます。
日本ではこういうのあるのかな?あったら果たしてみんな使うかな?
韓国の方は大人も子供もたくさん楽しそうに利用していました~
)
それでは~~
≪昌慶宮≫に入ります
(入口の写真 取り忘れました~
前回〝夜間公開時の
″)
「弘化門」を入り「玉川橋」を渡り
正面「明政門」をくぐると
「明政殿」・・・正殿です。
(建物の詳しい説明は省略


前回〝夜間公開記″をご参照ください)
遠足?? 子供がたくさん
~笑
昌慶宮の建物はほとんど≪東向き≫に建てられています。
王宮における建物は門・主な建物共に≪南向き≫を原則と
して建てられていますが、ここでは風水的に良くないとの理由
が有力だそうですが、ここは女性たちの居住空間として使われ、
王が国事を行う場では無かったのでと言う説も有ると言われます。
。。。 しかし、この中で
≪唯一南向き≫の建物が
この中に
東向きの文政門を入った、この「文政殿」(南向き)です。
正殿である明政殿に背を向けて建てられている「文政殿」
このような珍しい配置康応は他の宮殿では見られません。
「便殿」ではあるものの、王室の神主を奉った「魂殿」としても
使われました。
これは 。。。あの事件と深いつながりがあると言います

「父英祖の手で死ぬ事となった思悼世子の悲劇も、文政殿が
≪魂殿≫として使われることと関連しています」
1762年5月13日 文政殿の前庭で悲劇的な事件が起こった。
当時集権勢力であった老論は幼い時から老論を嫌っていた王世子
が代理聴政を始めると危機感を感じて英祖にあらゆる「謀略」を告
げた。老論勢力だった妻(後の恵慶宮=イサンの母)の実家と
王世子の実妹和緩翁主などがここに力を合わせ、生母映嬪李氏
がこの日、英祖に根拠のない内容を告げて結局英祖は王世子に
「自決」を命ずるに至る。文政殿の前庭に置かれた「大きな米櫃」
に閉じ込められて真夏の暑さと飢えで8日間呻いていた世子は
28歳の短い不憫な生涯を閉じた。 英祖は王世子の死を悼み
哀悼するの意味を込めて≪思悼(サド)≫という諡号を贈った。
~昌慶宮の冊子より~
もっともっと深く
書きたくなりますが。。。 

「文政殿」から見た ≪前庭
≫です。
ここに置かれた≪米びつ≫を父英祖はどんな思いで
見つめていた居たのでしょう~~~~~


どんな理由が有ろうとも、 大事な一人息子を死なせるなんて
生母映嬪、実妹和緩翁主も含め 全く理解できません

8日間暑さと飢えに呻きながら亡くなった世子
米びつの中には≪無数の爪痕と血だらけの指をした世子
の亡骸が有りました≫ 


8日間の苦悩の末 『思悼世子が息を引き取った場所』はここではなく
先ほど入ってきたこの「文政門」を出て明政殿を左に
そのまままっすぐ
松の木の向こうに 赤い 

この 木
の前に (じっくり読んでいるアジュンマ)
何と何と~~
この ≪槐(エンジュ)の木≫ にこんな事が
ケヤキと同目のこの木は国宝249号に指定されている木。
『米櫃に閉じ込められた思悼世子が息を引き取った所が
この近くであり、悲劇的な事件がたくさん起こった宣仁門と
歴史を共にした木です』 


前からの写真、興奮して
取り忘れましたが(苦笑)
≪世子の苦しく悶えた姿≫が乗り移ったかのように見える
この木の姿に とても悲しい気持ちになりました。
(この木とこの門の辺りで息を引き取ったんですね~涙)
『宣仁門』
「瑞憐門(ソリンムン)」と呼ばれたこの門は世子の居処の
正門であり、多くの臣下たちの出入りの門でもありました。
思悼世子の亡骸を運び出したのはこの門から

そして
あの≪張嬉嬪≫の亡骸もここから
。。。 だそうですよ

二度焼失したこの門は1877年に再建されたものです
この門の内側の空き地には王室と直接関連のある官庁
があった場所です。 その中には 。。。

あのドラマ「馬医」でお馴染みの
≪内司僕寺(ネサボクシ)≫ ・・・王室の車と馬を管理した所
もこのあたりにありました 


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
もう一度 後ろに戻って
「文政殿」の左側、広い空地一帯
(この左一帯に) 世子の居処である「東宮殿」がありました。
東宮殿後を抜けて
「文政殿」「明政殿」の後方に
「崇文堂」 「涵仁亭」
この二つの建物の向こう側 一帯の空き地に
昌徳宮の「楽善斎(ナクソンジェ)」の方までの辺りに
あの チャンヒビン(嬉嬪張氏)の居処 ≪就善堂≫
と
粛宗母(大妃=明聖王后金氏)の居処 ≪儲承殿≫
があった
。。。 と言うことです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
今回の ≪Marcall想い出の旅「昌慶宮」≫は 。。。
大好きな
イサン・ソンヨン については一切触れず(笑)
「張玉貞、愛に生きる」(チャンヒビン)
と
悲しい悲しい 「思悼世子」
を想いながらの
≪ 想い出旅
≫ で・し・た ~
