「世界の中心で、愛をさけぶ」('04) | Marc のぷーたろー日記

「世界の中心で、愛をさけぶ」('04)

東宝
世界の中心で、愛をさけぶ スタンダード・エディション

とっても「今さら」なのですが、2004年に社会現象にもなった「セカチュー」の映画版を観ました。

実は同年夏に TBS で放送された連続ドラマ版は観ていて、第1話から最終回まで毎回号泣しながら観ていました。もともと涙もろいのですが、それでも全11話の全てで号泣したなんていうのは初めての経験でした。とにかく僕が 40年近く生きてきた中で観てきた数々の日本のドラマの中で、最高傑作の 1つと思っているのが、ドラマ版「セカチュー」なのです。
今となって考えてみると、恐らく原作とも映画とも違うオリジナルストーリーだったのが良かったのでしょう。因みに原作は読んでいませんけど (^^;;;

もちろん、このドラマにも欠点がないわけではありません。主人公を演じた山田孝之君をはじめ (映画版に比べると) 若干演技が過剰な役者さんが何人かいたのがちょっと残念。この作品に関しては、あまり「泣かせよう」とか「感動させよう」とかという演技はそぐわないと思うので。そうは言いながらも山田君の演技には思いっ切り泣かされたし、ヒロインに抜擢された綾瀬はるかちゃんも新人とは思えない圧倒的な存在感がありましたし、とにかく完成度の高いドラマでした (^^)v
では何故映画版を観ていなかったかというと、まず確実に号泣しそうな気がしたので、映画館で号泣するのは恥ずかしい *^^*

それに主人公・朔太郎を演じる森山未來君と大沢たかおさんの 2人のルックスがちょっと苦手だった。ただそれだけの理由なのです (^^;;;

そしてようやく観た映画版「セカチュー」ですが、思ったほどは涙は出ませんでした。もちろんラストに流れる平井堅さんの「瞳をとじて」には涙を抑えることができませんでしたが、物語自体は比較的冷静に観ていました。「じゃあ、つまらなかったのか?」というとそうではなく、ドラマとは違う映画らしい表現で作られた「美しい作品」だなぁというのが正直な感想です。2時間強という限られた時間の中で、サクとアキの 2人のみにフォーカスを当てた無駄を排したすっきりと分かりやすいストーリー展開も、これが遺作となったカメラマン・篠田昇氏による美しい映像も、詩情あふれる行定勲監督の演出も、とても良かったと思います。また、テレビCMで散々流された森山未來君の絶叫シーンのせいで、もっとベタな悲恋モノを想像していましたが、映画自体は淡々と抑えた演出と演技で、じんわり沁みて来る作品世界が心地良かったです。主人公と同じ '80年代に 10代を過ごした者にはこの上なく懐かしく感じられるノスタルジックな雰囲気、本当にその時代の女の子のように見える長澤まさみちゃん、自然体の卓越した演技力で観る者をうならせた森山未來君など素晴らしいところを挙げればキリがありません。

では何故はまり切れなかったのかというと、その理由は主人公の婚約者・律子 (柴咲コウさん) の存在。映画オリジナルのキャラクターでそれなりにストーリーには絡んでいましたが、やはり無駄だったと思います。主人公の「再生」を助ける「女性」の存在は女性観客にはウケるのかも知れませんが、この作品の世界からは浮いていると思います。律子だけが「安っぽいメロドラマ」みたいで。ここは主人公が誰の助けを借りることなく、自らの手で新たな人生を切り開いていく姿を見せた方が感動は深いものになったのではないかと思います。

そんなわけで僕はハマリ切れませんでしたし、映画好きからは酷評されている映画版「セカチュー」ですが、「さほど悪くはない」と思います。

でも今回映画版を観たことで、改めてドラマ版の方を観直したくなってきました。DVD BOX、買ってあるんで (^^)