こんばんは。

今日はソーシャルネットワークについて考える事をちょっと書こうかなと思います。

この間TwitterやFacebookに触れたので、その延長線上ってことで。



本当にこの時代はどうしたものかと言うくらい昔の時代からかけ離れたサービスを受けられていると感じます。
気がつけば有名人の思っていること、感じていることをタイムラインで確認することができていて、さらにはコメントをして、その人とやりとりを楽しむことができる時代。また、小学校や中学校、楽しく過ごした仲間や大好きだった初恋の人など、それぞれ様々な思い出を、その思い出のままとせず、このソーシャルネットを使っての「再会」までできる時代になりました。

更には自分の趣向の向くコミュニティを見つけ、その趣向性の似ている人をフォローしたり、SNS上で会話をして仲良くなったりと、

今まであった現実世界ではあり得なかった世界が生まれている。

アナログ社会とデジタル社会の融合。ここは果たして三次元の世界なのかどうかについても若干疑ってしまうくらい、全く今までにないシステム形成ができていると感じるところです。


僕自身、そのツール(ソーシャルネットワーク)を使って、これまで様々な人たちと出会えました。

そこには現実的に全く無縁のバンドマンであったり、東京のスタイリストであったり、ワイン流通の仕事をする人だったり、、、本当に様々な人たちと出会うことができています。

こういう新しい出会いというのは本当にワクワクするし、最高に刺激をもらえます。
全く知らない人が自分の趣向性の赴く事について共感を示し、かつそれによって出会うことができる。それほど素晴らしいことはないでしょう。そこでまた新しい「ハッ!」とすることを発見したりすることもしばしば。
ましてや、社会人であればなかなか周りと共通の趣味を見出すこともできないし(もちろん巻き込みながらコミュニケーションを深める事もとても大事な事ですがここではあくまでソーシャルネットワークについて言及します)、押し付けるのもどうかと思う。しかし、周りにそれを理解してくれる人があまり居ない。
そういう面でもこの新たなツールは非常に有効的かもしれません。
取り立てて言えば少しコアな趣味・考え・思考等を持つ人にはストライクではないでしょうか。




しかし、この新しい「繋がり」というカテゴリーはある意味危険性を否めない。

もちろん、文字や写真でしか判断というものができない。その人が一体どんな人物で、嘘をついていないか、そうでないかとかそんなことまでは、「雰囲気」という言葉の意味は全く為さないのです。

ではそれをどうやって見分けるのか、
そこには、ある部分における慎重さと、判断力が必要だと思います。



実際、こういったツールを使ってのトラブルや犯罪は多様化しています。それは例えば男女のトラブルだったり、金銭問題だったり、実に多種多様です。

では、なぜトラブルや犯罪に巻き込まれるのか。僕が考えるに、そこにはルールと判断力が不足しているからだと思います。

解決策は、
自分のマイルールを決めること、そして自分の判断力を失わないこと。
これができれば人と出会う事にワクワク感の他に感じられるものはないだろうと思う。


「自分の◯◯◯◯」という部分がこの新たな「カテゴリ(ソーシャルネットワーク)」の中で特に重要視されるところだと思います。
「自分の◯◯◯◯」をしっかり持つ事が大事だと思います。


今までにない新しいツールを用い、新たな出会いによって新しいものを発見していくことはこれから常識になっていく。きっとそうだと思います。
まだ「枠」にはまっている今の人の知るよしもないとても広い世界。


人生は楽しんでなんぼです。
新しい出会いには新しい発見がきっとあるでしょう。


もうすぐ

『お二人はFacebookにて再会し・・・。』とか

『お二人はTwitterを通じて出会い・・・。』とか

『お二人はinstagramの一枚の写真を通じて出会い・・・。』とか

そんなことが当たり前になってくるかもしれません。
もちろん、新しい仲間と出会うこともそうですがここでは分かりやすく披露宴例で挙げておきましょう。


この新たなコミュニティからまた何か今までの人が感じられなかった新たな人の価値観が生まれるのではと考えるとワクワクしますね。

視野を広げてみると世界はとっても広いし、楽しいものなのかもしれません。

もちろん身の回りにある「当たり前」を大切に。

新年明けましておめでとうございます。
今年一年が皆さまにとって良い一年でありますように。

そして、とっても私ごとではあるのですが、この度ブログを立ち上げました。
だからこの投稿があるわけですが、、、





突然ですが、何故ブログを立ち上げることになったのか今回の投稿でまとめておきたいと思います。

それはとても単純で、


人に何かを説明するためにはそれなりの自分の中での咀嚼が必要である。

ということ。

そして

SNSで情報をアウトプットしていくのには限界がある。




ということです。(自分自信の考えをまとめてみます。長いですが良かったらお付合いください。)


人はそれぞれに誰かに何かを話す時、例えば日常であった楽しい出来事をより楽しく丁寧に話せるようにするには、自らでその事実を十分に咀嚼してから使用する表現を選び、「話す」という動作を行います。
これは当然の事なのですが、この過程って僕自身とっても大事な事だと思うのです。なぜなら僕は話下手で、あまり話の上手な部類の人間ではないので、その咀嚼をしっかりすることが大事だと思っています。
母にも小さい頃から言われていました。「ご飯はしっかり噛んで食べなさい」と。
母は見抜いていたのですね。


そうなのです。言葉もまた、咀嚼をしっかりとすることが大事で、そこから生まれる旨味や新たな発見という部分がきっと見いだせるのです。それは頭の中で思い描くだけならいくらでもできますが、すぐに忘れてしまう、人はよくできた生き物です。
だから、忘れたくないものや言葉たちは昔から字に興してきた。いつだってそう。
僕は昨年1年、それを意識的に行ってみました。

そしてもう一つの理由。
僕はSNSであるFacebookやTwitterをやっていく中で何か違和感を感じていました。
それは自分の「こうしたい」という部分がその中で十分にできていなかった点にあります。
今日一日ネットサーフィンをしながらSNSとブログの違いについて考えていました。

そこには全くの相違点があって、
SNSにはアウトプット性のあるものの、そこは単発的な公開性であるということ。
つまり、SNSは一度放ってしまえば、その情報というものがいずれネットワーク上に消えてしまう(埋もれる)ということ。
楽しいひと時を写真でアップロードしたり、面白いフレーズを考えてアップロードしたり。そういう点においてSNSは素晴らしいツールであるし、実際公開性も高く、友達やその友達との関連も非常に高く、近年言われるネット内で生まれる「再会」や「繋がり」というのはこういったツールなくしては語れません。僕自身もしっかり愛用させてもらっているし、実際小学校時代の同級生などなど、ツールなくしては再会することのできなかった人たちと再び出会う事ができました。


先ほど僕はSNSのことを単発的な公開性であると言いました。
つまり、そこには継続的なものという部分は弱いのです。(僕の中での使用方法においての解釈ですので悪しからず。)
実際、お気に入りの音楽を投稿しても、リンクがいずれ外れ、その投稿は消えてしまう。
僕自身が表現した言葉もまた消えてしまう。そんなことがしばしばありました。

もちろん近況なんかを写真と共に載せる事もあったのですが、どちらかと言えばYouTubeなどの外部情報を継続的にSNSにアップしていたような気がします。
しかしこれはどうやらSNSの使い方としては少し無理があるように感じてきたのです。

SNSというのは「繋がり」と「近況」をテーマとして持ち合わせたものであるように思います。

しかしながら僕のしたい一つのテーマとしては「継続的なアウトプット」でした。


そういった部分において、公開性の高いブログというものが有効であるという結論に至ったのです。

不特定多数の人に「自分をアウトプットする」というのは、自分自身の考えをしっかり咀嚼し、整理しなければ伝わりません。
今はまだ、自分の考えを整理して、アウトプットしていくくらいしか考えられていませんが、ブログというものは深めていくとその先にまた何かありそうな気もしています。(辿り着けるかどうかは別としてね)



一番大事なことを伝えていませんでした。。。


「何を伝えていくのか」








それはもちろん日常の中で思う事だったり、好きな音楽だったり、お気に入りの洋服だったり映画だったり、、、様々でしょう。なんでも書きますよ。




今年の目標であるブログの更新、気負わず不定期で徒然なるままに更新していきます。

どうやら僕は「書く」というのが好きみたいです。(字はとっても汚いのですが。。。)




またお時間のあるときに覗いていただければ嬉しいです。