「自分の欲しい世界というものが手に入らないのは自分のせいなのだ」


自分はどれだけ努力しているだろうか、
どれだけ他人に想われているのだろうか

自分か死ぬときどれだけの人が集まるだろうか
自分が笑うときどれだけの人が協調するだろうか

それは自分の努力と結びつくのではないだろうか
明日のことを考えては、少しだけ憂鬱になり、飲めない酒を明るいうちから流し込む。

僕は逃げたがる。
でも一体なにから?

僕は真理を知りたがり、どこか逃げ腰だ。
このパラドックスから抜け出す術をずっと探している。狡い人間だなあとつくづく思う。

誰が一体誰なのか。
なにが正しくて、なにが間違っているのか、
主観で考えたいのに、他者の言動でそれがねじ曲がる。

それはいつの間にか客観として存在してしまう。

自分はどうしたいんだ。
どこに向かいたいのか?

人は一体なにを考えるのだろうか。
難しいことを考えているのは自分だけなのだろうか。

そういう風に考えては自分を肯定し、また飲めない酒を明るいうちから流し込む。
(そんなことはなく、みんなそれぞれにそれぞれを考えているのだ。)


もうあっという間に夕暮れ時で、僕は仕方なしに空腹からか、米を研いで、炊飯器のスイッチを入れる。
その頃から僕はブラインドタッチをしている。

なにを考えているのだろうか?
わからないことばかりで、最近はアニメと活字が友達と化してしまっている。


生きることとは何なのだろうか。








そういえば今日は母の日だ。

女の子はマメだと思う。
男の子は、なんというか、そういったものから程遠い。
いや、僕だけなのかもしれないけれど、とにかく、両親の誕生日とか結婚記念日とかそういった記念日など、もう曖昧なのだ。(朧げな記憶で本当ごめんなさい)

最悪なのかもしれない。
でも気持ちはあるのです。

なんとも言えない愛おしさはあるのだけれど、形にできないもどかしさと、恥ずかしさ。


誰もが花や洋服やぬいぐるみをもってして、今日は母親を労わる日なのだ。

そういうキッカケでもないと、想いは伝えられないのかもしれない。
そういうキッカケがあるのは儲け物なのかもしれない。
自分は両親になにをしてきただろうか?
そう考えるだけで少し汗ばむ。(冷たいやつ)

人は人なのだから、いつか死んでしまう。
それはきっと両親の方が早いし、祖父母は当然もっと早い。

「あ、俺、孫なんだ。。。」

そんなことを考えてばかりで、本当に頭でっかちなこの思考、そろそろ矯正しなくちゃね。



「欲しい生活はいつもすぐ側にあるのだけれど、当たり前すぎて気付かないもの」

だと思っている。
思ってはいるのに、形にしずらいのが人間なのだ。少なくとも僕なのだ。
それを形にしてこそ、また新しいことに気づくのだろう。

といまはそう思っています。


今日は母の日だ。

こんなに意識をしたのは昨日たくさん読んだ「Mother’s Day」のおかげかな?
っていうか「母の日」って実際なんなんだ?

僕は即座にwikiる。
そうWikipediaで調べることをwikiるという。


以下Wikipedia引用

アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービス(Ann Jarvis)の活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。

ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナ(Anna Jarvis)は、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる1

アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908年5月10日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。

1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められた2



生きることは尊い。


だから、今日は某CMのコピーのように


「お母さん、いつもありがとう。」
だなんて、恥ずかしい文面を送ってみよう。

まずはそこから始めてみよう。


生きているのだし。
何かが変わるのかもしれない。


もっと素直になってみようか。



あ、炊飯器の「炊けたよ!」サインが出てる。
約1合半の白米が僕を待っている!


今日はここまで。
読んでくれてありがとう◎
皆さん、お久しぶりです。

さぼりにサボっていたこのブログですが、決して忘れていた訳ではなく、
少し忙しい状況から全く更新をする意識が向かず、2ヶ月ぶりになってしまいました。

見てくださっている方、またよろしくお願いします。


世間はゴールデンウイーク最終日ともあって、皆さんもうお家に辿りついているところなのでしょうか。
あっという間の連休も今日で終わりと思うと、僕は一体どんな休みを過ごしたのだろうと思い返してみましたが、結局お酒お酒の毎日だったように思います。

しかしながら、ようやく久しぶりに昼間ゆっくり本を読めたり、音楽を聴けたり、映画を観れたり、些細な幸せでなんとも十分な連休だったように思います。


連休が終わるということは明日からお仕事な訳ですが、皆さん憂鬱な時間を過ごされたりしていませんか?
僕は今日、朝から二日酔いと憂鬱な気持ちで1日をゴロゴロ過ごしてしまいました。

寝ては起きて、スマホでSNSをチェックして、また10分くらい寝てはSNSをチェックする。。。その繰り返し





うああああああああああああああああああああああああ!!!!






って叫んでしまうのです。←

何はともあれ、この時間まで消化することができたのでこれはこれで良しとしましょう。

さて、そんな憂鬱な連休最終日の夜、ここからが一番の大トリなのです。
明日のことを考えながらあくまで、明日のことから逃避するという、究極のサバイバルの時間です。

半身浴をしながら音楽を聴いたり、美味しいものを食べに行ったりと、


そういったものでこのサバイバルは乗り越えられるもの!

と、思っていたのですが、あいにくこの時間に僕はすでにお風呂も食事も済ませてしまっているのです。
お風呂はシャワーだし、食事はお昼を抜いて16時に食べたし、、、



なんでもっと早く気づかなかったんだ
!!!






、、、なんて、今更言っても遅いので、
しっぽりとアイドルソングでも聴くのです。
気になる人は是非◎



この曲、もう日の打ち所がないですね。頑張る以外もう逃げ道もクソもありません。






上のチームしゃちほこの曲もそうですが、
アイドルソングを聴くと、無条件に


頑張らなくては!!!


となるのです。
すごい!セルフマインドコントロールなのか、アイドルコントロールなのか。

巷では
アイコンと呼ぶらしいのですが(私の中の巷ですので悪しからず)



つまり何が言いたいのかっていうと、


サラリーマン然り、明日を生きる人々にはアイドルというエナジーは打って付けかも


っていう広告でした。

決してそれだけで頑張る訳ではないのですが、、、
推すだけでは終わらない奥深さがあるのです。。。


ああ、自分、オタクなのかなあ。。。(ブルブル)



以上、久しぶりの少し長めの更新でした。
字のサイズを変える技を新しく覚えたので、また活用してみます。



また明日から皆さん、頑張りませう!!!
あれからもうそんなに経つのか。
3.11に対して、(もちろんそれだけに関わらず悲しい事があると)どんな言葉で表せればよいのか僕には今になっても分からない。
けれど、本当に、今も本当に苦しい想い、辛い想いをしている人たちがたくさんいるということを忘れてはいけないと思います。


今日、職場でとある福島の学校の話になりました。
その学校はまだまだ復旧ができておらず、とある工場の事務棟を借りて、そこで授業をしているとのこと。

施設も十分でない、ましてや学校でない場所で、と考えると信じられないですし、そこに居る生徒や保護者、そして教職員が一体どんな思いをしてそこに居るのか、考えるだけで辛くなります。
(もちろんそこには笑顔ももちろん存在する)

本当に
「信じられない出来事」は存在します。

僕たちは、その「信じられない出来事」に負けないように、僕たちは僕たちの場所から何かを発信し続けていかなければいけないのだと思います。
これは何処に居ても同じです。

生きることを断続的に選ばなければならないと思います。

そして、「当たり前」を「当たり前に思わない」こと。


身の回りにある「小さな幸せ」を大切に。

そんなことを改めて考えさせられた1日でした。
僕が見る夢というものは時にリアルで、時に現実を越えるようで現実にある「影」のようなものが多い。
夢というのは眠りが浅い時に見るというのだけれど、僕はいくらか疲れていると、そういうものをよく見るようになる。

その理屈が正しければ、これはなんというべきか、合理的ではない。

人間の生活において、自然の摂理に逆らわず生きていくものが通常と捉えるのであれば、これは明らかに異常なのかもしれない。

そこには何かのサインがあるのだろうか。
人間の生活において異常なものが多すぎるのではないか。
そんなことをふとふと考えてはまた眠る。

僕自身、そういう夢を見ると、たいてい、朝の目覚めが悪い。そんな時は熱いコーヒーを入れてみる。



「キテレツ」


僕は自分のベッドで横たわっていた。
それはとても寒い日で、少しだけ、そのベッドの重さが心地良いくらいだった。

その夜、僕は眠りについた。とても深い眠りだったと思う。


ある時間になると、全身を白い服で身にまとった人がやってきた。顔はなくて、三角のへんてこな帽子を被っていた。奇天烈とそれを呼ぶのかもしれない。

僕はその彼(もしくは彼女)に、ピアスを勧められた。
それは白く、また少しどこか濁ったかのような色をしていて、丸い。そして外周は菱形をした不思議なピアスだった。


僕はピアスの穴はないし、彼(もしくは彼女)の存在すらも信じられなく、当然断った。

それでも、奇天烈な奴は僕にピアスを勧める。





いつの頃か、僕はベッドに横になり、枕元にその奇天烈な奴がいた。
手にはその白く濁ったピアスがあった。


その奇天烈な奴は迷うことなく僕の左耳にその白く濁ったピアスを突き刺した。







その瞬間、僕の体は真っ赤に染まって、ドロドロに溶けていった。






そして、僕は目を覚ました。
少しだけ、何かが見えた気がした。


そんな夢を見たから、ここに記録しておこう。

やれやれ、僕が見る夢というものは一体何を意図しているのだろう。

分からないうちに今日も眠ります。




そんな今日はこれと共に。



おやすみなさい◎
知ってました?
最近僕が年齢を感じていることを。






、、、と言うと、体のことを思い浮かべるのは社会一般の常識?






とにかく、僕は最近年齢を感じます。
というよりなんだか、焦りのようなものを感じているのです。




それは、例えば今日たまたまテレビをつけて観ていたニュースに浅田真央ちゃん(24歳)だったり、錦織圭(25歳)だったりが活躍してたりすることもその理由の一部なのでしょう。

浅田真央ちゃんや錦織圭や香川真司(増えました)が今日割とテレビで印象的だったのは多分年齢が近いから。



以前はそんなこと考える事はなかったし、
むしろ、彼、彼女らと同年代であること自体、脳内論議の中で話題にもならなかったのです。
もう、なんていうか、別の世界というか、
(別の世界なんていうと寂しいですが、ここではあえて別の世界と言う)
画面の向こう側の、どちらにおいても干渉することすらない世界と思っていました。




しかし、
しかしですよ、

今、
ほんのさっき、
彼、彼女らが一生懸命頑張っている姿を見ていると心なしか

「やべっ」


ってなったのは事実で、これは年齢のせいなのかも知れないって、自分でちょこっと咀嚼できたつもりでいます。(呑み込んではない)

歳を取るってこういうことなのかな、、、

いやはや、すでにアラサーが怖いです。。。←













人は知らず知らずのうちに歳を重ねるだけではないようです。
そう考えると、人間ってよくできていますね。



この「焦り」みたいなものをバネに明日からも頑張るのです◎
きっとそういうものなのです。

それでは皆さん、


(SAKEROCK解散するらしいです)


(終わり、その先に)


おやすみなさい◎