コーダの人生は、説明の連続だ | コーダとスクーター ; CODA(コーダ:きこえない親をもつきこえる子ども)のブログ

ついこの前、24時間介護が必要な重度障害者の方々が、口を揃えて、こう言っていた。

「自分たちの人生は、交渉の連続だ。」

 

24時間介護が必要な方々が、生きていくための支援を得るには、常に自治体などと交渉を継続しなければならない。

という現状を語った言葉だ。

 

ん?もしやコーダと似ているかもハッと思った。

「コーダの人生は、説明の連続だ。」

 

たとえば、コーダは、小さい頃から、親が聞こえないことを周囲に説明し続ける。

「親は聞こえないので、電話にでれません。」

「親は聞こえないので、口を大きく開けて、ゆっくり話してください。筆談もしてください。」

「親は聞こえないので、私がかわりに話を聞きます。」

「親は、文章を書くのが苦手です。上手に書けません。」

友だちにも、恐る恐る、タイミングを見計らって、このことを説明する。

 

それから、コーダは、小さい頃から、周囲の人が話す内容を、親に説明し続けてもいる。

(注)「通訳」とも言う。

 

コーダは、説明、説明、説明の人生だうずまきタラー

 

重度障害者の方々は、自分自身の障害ゆえに、社会に存在する壁(バリア)を解消すべく交渉し続ける。

コーダは、コーダ自身に障害はないけれども、親が聞こえないゆえに、社会に存在する壁(バリア)を解消するために説明し続ける。

 

ふむ。

繰り返しになるが、

コーダには、障害はないけれども、社会的障壁(バリア)は存在する。

複雑だもやもやもやもやもやもや

この複雑な人生に混乱するコーダがいるのも、頷ける。