
カイワレやキュウリを中に詰めた、竹輪。
厚焼き卵。それにフライ。
そのあたりが定番となっているらしい。
そう、母から聞いた。

何のことかと言うと、それは実家での集まりの共食でのこと。 献立は持ち寄りだ。
僕が実家で暮らしていた頃は、人数も多く、天ぷらを揚げる人がいた。
母は、ポテトサラダを作ったり、煮物をしたり、さんまを煮たり…混ぜご飯を作ったものだった。
沢山の麺を茹でて、つゆをかけて提供する、うどんもよく出ていた。
大人たちは、みなアクティブだった。

今となっては、あまりに高齢化してしまい、
手をかけないものになっている。
準備をする人はもちろん、持ち寄る人も減った。
現在は、父のふたりの妹(叔母)と、母が頼みとなっている。
ふたりのうち、上の叔母が竹輪を使ったものを。
下の叔母が卵焼きと何かしら揚げ物を持ってくる。
母は、叔母たちの持ち寄りと、かぶることがないものを用意している。

どうして参加をしていない僕がわかるのかというと、こういうことだ。
実家に赴いた際、その前日や前々日に“共食”があったとすると、
一杯飲もうとするとき、まるで居酒屋の突き出しのように、叔母たちのおきみやげが出てくるからだ。
便宜上、上の叔母を“チクワ”。
下の叔母を“タマゴ”と呼ぶことにする。
ふたりとも、もともと料理は得意ではない。
チクワが、竹輪キュウリや、竹輪カイワレ(他に生ハムを使った一品か、きんぴら)。記憶を辿ってみても、
そのあたりだろうと思う。
タマゴは、仕事ひとすじの人で料理は苦手だと昔から、自分で話していた。
タマゴのそれは買ってきた惣菜だし、
総菜で娘(従姉妹)を育て上げたとも言える。

実はタマゴの下にはもうひとり叔母がいて、叔母は共食のところで現れる。
アルコールが入り、アレコレと年配者同士が理屈っぽい口論が見られるようになり、よくは思ってはいない。
やめたらいいのに。下の叔母はそう思っているかも知れない。
先日。母にそれとなく水を向けてみると、『楽しみにしている人もいるからね…』という答えが返ってきた。
そう、一方では楽しみにしている、独居になってしまった伯父も通ってくるのだ。
最近、母は腰の痛みからか手の痛みがあると言う。
みんな歳をとってしまった。
存続するにせよ、何か考える必要がある気がしてきた。

それは何も、自分が一手に引き受けることではない。
オレが!オレが!と、出て行くことは、マイナスに働くに違いないし、現実的ではないと思われる。
あらゆる点で、実にデリケートだ。
それも壊れやすいくらいに…。

“チクワ”と“タマゴ”に敬意を払いつつ、 ひそかにシュミレーションをしておこう。
さあて、どんなものが良いものか…。
とにかく、“チクワ”と“タマゴ”のある一皿だ。
