正直なところ、緊張していた。


 果たしてつつが無く終えることが出来るのだろか。


 半年ぶりに、系列の勤務だ。


 何事もなく、ということには、先ずならないだろう。

 期待はしない。

淡い期待を抱いたところで、そうはならないのは、わかっている。 


 ✤ 


 深夜に目が覚め、何時間かおきに起きてきてしまう人。(時間の感覚がない)


 夜も明けない早朝に起きてきては、何度も水分を摂る者。


 夜型、朝型が混在していると言ってもいい。


 そして、コールがあれば、ベッドから車椅子へ移乗を必要とする人などがいる。


 そうしたことを気に留めつつ、朝には食事を作り、定刻に提供しなくてはならない。




 ✤ 


 深夜。案の定、起き出してきた人を部屋まで送り、

居間のソファに腰掛ける。


 すると、すり足が聞こえた。


足音が近くなってくる。誰だろう…。 


 Kさんだった。


 ✤


 Kさんという女性がいる。 


小さな声を発して、ほぼ聞き取れない。


 自分でむしるため、頭髪はまだらになっており、


歯もほとんどない。

内服の確認で口を開けてもらうと、小さくなってギザギザとした歯が所々にあるのを目にする。 


だから、食事は“キザミ”となっていて、野菜はほぼ食べない。


 自分の部屋や共用部にしゃがみこんで、塵を集めたり、場合に寄っては口にしているようだ。 


 いわゆる“チテキ”が入っている方になる。


 以前、職員から“ギャクタイ”を受けたと聞いたことがある。(職員は処分された)



 僕から話しかけることはあっても、Kさんからは返答らしものはあったことはない。(と思う) 


 一瞬、僕の顔をジッと見ているようにしたかと思うと、プイと行ってしまう。 


 Kさんは、そんないつもそんな感じの印象がある。




 ✤ 


 そのKさんが部屋から出てきたのだった。


 部屋に戻ることをと促し、付き添って歩きだすと、

突如廊下に座り込んで、塵を集めだした。 


「塵が気になるんだね?Kさんはキレイ好きだね」と言い、自分もしゃがむ。「でも今は眠る時間。明るい時間にやってもらえると、それはみんなが喜ぶ事だよ」。


 すると、Kさんはパタリと止めて立ち上がり(わかるんだ!?と思った)、部屋に戻った。


 僕はというと、Kさんに布団をかけて、部屋を出た。




 ✤


 30分でもなく、1時間でもなく過ぎた頃。


すり足が、また聞こえてきた。Kさんだった。 


 小さな声で何かを言っているのだが、聞き取れない。

 「どうしましたか?」そう、聞いてみた。

 Kさんは、事務所を指して何か言っている。

 短い問答を繰り返していくうち、つなぎ合わされた答えは、こうだった。


 歯が痛い、薬がほしいということらしかった。

 探してみるから、一旦部屋で待ってて。 

そう告げて、部屋へ送り、薬ケースを見てみる。

 確かに薬ケースには、“歯痛止め”の薬はあるにはあった。 

 しかしながら、自己判断で服用させることは出来ない。 


 ✤


 Kさんの部屋へ戻る。「あるにはあるけど、飲んでいいか確認取りたいんだよね」 

 薬を見たのち、訊ねる旨を個別の方と、全体の方へラインから送信した。 


 「今、聞いたから返事を待ちましょう」

 Kさんは、部屋の隅に座り込んでいる。


 個別の方は既読がつかない。

 全体の方もいくつか既読はついたが、責任を負える者は見ていないのだろう。 


 「困ったね。飲んでいいよ、となれば持ってくれるんだけど…連絡が来るまで、歯痛止めのツボというのを圧してみるね」


 どれ、手を出してみて。と、言うと素直に頷くKさん。


 手は細く、以前見た印象よりも、か弱い感じがした。


 掌の内側のツボを圧してみる。

 歯が痛いのは、つらいものだよね。
そう言いながら、手の向きを変えて圧してみる。 


手を見ながら、「効けばいいんだけどなぁ…」
Kさんに言っていながらも、それは自分に向けた、ひとりごとであった。


 ✤ 


 手から、Kさんに目を移す。

 頭を下げ、うなだれているKさん。

(あれ?)

なんと、その時、Kさんは目を閉じかけていたのだ。

 (え!!) 


 「Kさん、布団に入ってみる?」

Kさんは、目を開けると、小さく首を振る。(起こしてしまった!!)


 また、しばらく圧していると、また目を閉じる。

 「Kさん、布団に入ってみよう? 布団に入ってからも、圧してあげるから」 


 すると立ち上がり、ベッドに腰掛ける、Kさん。


 「はい、どうぞ」布団を足元へよけ、横たえるよう促す。

 横たえたところへ、布団と毛布をかける

布団からKさんの手を出し、再び圧す。

 「効けばいいんだけどなぁ。連絡が来るまで圧しているから、眠れそうなら眠って、いいからね」 

 すると、まもなくして、眠り落ちたKさん。 


 ✤


 暗示だったのか、“効能”だったのか。 


 それは、わからない。


しかし、どちらにせよ、意味は同じだった。


 ゆるやかに眠りに落ちてゆくKさんを見ていた。


 Kさんは、もちろん、みなが起き出してくるものを踏まえて、早めに準備を始めた方が良さそうだな。 




 ✤ 


 朝食は無事に完成した。 


 ✤


 Yさんはツいていた。
僕もまた、ツいていた。

そう思える。


 ✤ 


 施設の長や、組織の長から返事があったかどうか…。
そこは、想像にお任せしたい。


 ✤ 


 サンディエゴ・セレナーデという、トム・ウェイツの一曲がある。 


 すべてを終えた帰り道、車で流していた。




 夜通し起きていなければ
夜明けを見る事はなかった


 お前が心の灯りを消すまで  

お前の光に包まれていたと気づかなかった 


遠く離れるまで
故郷の意味を知る事はなかった


 自分に歌が必要になるまで

 メロディーは耳に届いていなかった




 トム・ウェイツのそれは、自分の“セレナーデ”
のようにも響いた。





(帰宅して、銀だらを煮た)