
果たしてつつが無く終えることが出来るのだろか。
半年ぶりに、系列の勤務だ。
何事もなく、ということには、先ずならないだろう。
期待はしない。
淡い期待を抱いたところで、そうはならないのは、わかっている。
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深夜に目が覚め、何時間かおきに起きてきてしまう人。(時間の感覚がない)
夜も明けない早朝に起きてきては、何度も水分を摂る者。
夜型、朝型が混在していると言ってもいい。
そして、コールがあれば、ベッドから車椅子へ移乗を必要とする人などがいる。
そうしたことを気に留めつつ、朝には食事を作り、定刻に提供しなくてはならない。

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深夜。案の定、起き出してきた人を部屋まで送り、
居間のソファに腰掛ける。
すると、すり足が聞こえた。
足音が近くなってくる。誰だろう…。
Kさんだった。
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Kさんという女性がいる。
小さな声を発して、ほぼ聞き取れない。
自分でむしるため、頭髪はまだらになっており、
歯もほとんどない。
内服の確認で口を開けてもらうと、小さくなってギザギザとした歯が所々にあるのを目にする。
だから、食事は“キザミ”となっていて、野菜はほぼ食べない。
自分の部屋や共用部にしゃがみこんで、塵を集めたり、場合に寄っては口にしているようだ。
いわゆる“チテキ”が入っている方になる。
以前、職員から“ギャクタイ”を受けたと聞いたことがある。(職員は処分された)
僕から話しかけることはあっても、Kさんからは返答らしものはあったことはない。(と思う)
一瞬、僕の顔をジッと見ているようにしたかと思うと、プイと行ってしまう。
Kさんは、そんないつもそんな感じの印象がある。

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そのKさんが部屋から出てきたのだった。
部屋に戻ることをと促し、付き添って歩きだすと、
突如廊下に座り込んで、塵を集めだした。
「塵が気になるんだね?Kさんはキレイ好きだね」と言い、自分もしゃがむ。「でも今は眠る時間。明るい時間にやってもらえると、それはみんなが喜ぶ事だよ」。
すると、Kさんはパタリと止めて立ち上がり(わかるんだ!?と思った)、部屋に戻った。
僕はというと、Kさんに布団をかけて、部屋を出た。

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30分でもなく、1時間でもなく過ぎた頃。
すり足が、また聞こえてきた。Kさんだった。
小さな声で何かを言っているのだが、聞き取れない。
「どうしましたか?」そう、聞いてみた。
Kさんは、事務所を指して何か言っている。
短い問答を繰り返していくうち、つなぎ合わされた答えは、こうだった。
歯が痛い、薬がほしいということらしかった。
探してみるから、一旦部屋で待ってて。
そう告げて、部屋へ送り、薬ケースを見てみる。
確かに薬ケースには、“歯痛止め”の薬はあるにはあった。
しかしながら、自己判断で服用させることは出来ない。
✤
Kさんの部屋へ戻る。「あるにはあるけど、飲んでいいか確認取りたいんだよね」
薬を見たのち、訊ねる旨を個別の方と、全体の方へラインから送信した。
「今、聞いたから返事を待ちましょう」
Kさんは、部屋の隅に座り込んでいる。
個別の方は既読がつかない。
全体の方もいくつか既読はついたが、責任を負える者は見ていないのだろう。
「困ったね。飲んでいいよ、となれば持ってくれるんだけど…連絡が来るまで、歯痛止めのツボというのを圧してみるね」
どれ、手を出してみて。と、言うと素直に頷くKさん。
手は細く、以前見た印象よりも、か弱い感じがした。
掌の内側のツボを圧してみる。
歯が痛いのは、つらいものだよね。
そう言いながら、手の向きを変えて圧してみる。
手を見ながら、「効けばいいんだけどなぁ…」
Kさんに言っていながらも、それは自分に向けた、ひとりごとであった。
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手から、Kさんに目を移す。
頭を下げ、うなだれているKさん。
(あれ?)
なんと、その時、Kさんは目を閉じかけていたのだ。
(え!!)
「Kさん、布団に入ってみる?」
Kさんは、目を開けると、小さく首を振る。(起こしてしまった!!)
また、しばらく圧していると、また目を閉じる。
「Kさん、布団に入ってみよう? 布団に入ってからも、圧してあげるから」
すると立ち上がり、ベッドに腰掛ける、Kさん。
「はい、どうぞ」布団を足元へよけ、横たえるよう促す。
横たえたところへ、布団と毛布をかける
布団からKさんの手を出し、再び圧す。
「効けばいいんだけどなぁ。連絡が来るまで圧しているから、眠れそうなら眠って、いいからね」
すると、まもなくして、眠り落ちたKさん。
✤
暗示だったのか、“効能”だったのか。
それは、わからない。
しかし、どちらにせよ、意味は同じだった。
ゆるやかに眠りに落ちてゆくKさんを見ていた。
Kさんは、もちろん、みなが起き出してくるものを踏まえて、早めに準備を始めた方が良さそうだな。

✤
朝食は無事に完成した。
✤
Yさんはツいていた。
僕もまた、ツいていた。
そう思える。
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施設の長や、組織の長から返事があったかどうか…。
そこは、想像にお任せしたい。
✤
サンディエゴ・セレナーデという、トム・ウェイツの一曲がある。
すべてを終えた帰り道、車で流していた。
夜通し起きていなければ
夜明けを見る事はなかった
お前が心の灯りを消すまで
お前の光に包まれていたと気づかなかった
遠く離れるまで
故郷の意味を知る事はなかった
自分に歌が必要になるまで
メロディーは耳に届いていなかった
トム・ウェイツのそれは、自分の“セレナーデ”
のようにも響いた。
(帰宅して、銀だらを煮た)