こんばんは。


東京はコロナへの規制が多少緩みましたが、感染者は少し増えてしまっているようですね。


なかなか手強い相手ですよねコロナは…


全く手を緩めてくれません。


こちらも油断せずしっかり戦っていく必要があると再確認させられました。


一刻も早い収束を願うばかりです。




さて、今日はぼくがボランティアで活動をしている内容について書こうと思います。


そして、サポートして下さっている皆様へ!


感謝の気持ちを込め、書きたいと思います。



ボランティアを始めるきっかけですが、
昨年、ぼくは『社会の闇』を知りました。


日本における社会福祉や児童福祉について、ぼくが知っていた知識と、現実とのギャップが有り、それらを知り得た時に、衝撃を受けた事を鮮明に覚えています。


親や養育者の虐待を受け、笑顔になれない方々が沢山居る事を知りました。


様々な方と出逢う中で、ぼくが知らなかった社会の現実に直面した時に

『今のぼくに何が出来るのだろうか…』

と、考えました。


食べる物もなく、住む部屋もない方も居る。


本当に助けを必要としている方々へ、ぼくが出来る事と言えば…


話を聞き、人に笑顔をもたらす事!

ぼくのできる範囲で動く事。


そう考えました。


そのお陰で、人と出逢い、勉強し様々な部分で成長出来たと思っています。


日々の生活の中で、辛く悲しい日々が続き、笑顔にもなれない。


死にたくてどうしようもない時もあるでしょう。



その時、あなたは何を考えますか?



誰からも必要とされていないと感じ、

生きる意味がなく感情も無くなり

楽しい事も考えられない。



そんな時に思い出して欲しい言葉があります。


『あなたを必要としている人が必ずいます』


『今のあなたに出来る事を一緒に見つけよう』



本来、ポジティブな思考とネガティブな思考に分けた時、人間の本能的にネガティブが優勢になる事が多い。


それは、本能なので誰しも持っているもの。


あなただけが特別ネガティブ思考な訳では無いんです。


悩んでいる時は、ただ愚痴を聞いて欲しく同意のみを欲しがるだけの方と、本当に悩みを改善したいけれどどうしたら良いのか分からない方と大きく分けて2通りの方がいます。


そして、ぼく達を必要とし訪ねてきて下さった方に出逢えた事。


着の身着のまま逃げ出さなければ、生活出来ない状態まで追い込まれてしまった方々、子ども達や、成人してからも数十円しか持たず生活して来た方々を笑顔にしたい。


それが初めの一歩でした。


約8ヶ月…まだまだ活動は始めたばかりです。


ボランティアを通じて感じた事。


苦難がないと人は感謝の気持ちが生まれない様な気がしました。


つまり、人に感謝できる人とは、苦難を乗り越え生活してきた人と言える。


周りの人に助けられ、それを当たり前と捉え、苦難を感じずに生活している方は、幸せかもしれないけど、同時に不幸とも言えるのかもしれない。


感謝出来る心。


人に優しく出来る心。


優しさの連鎖を目標に。


これからも社会の『影』になっている部分へ、今のぼくに出来る事として、笑顔を運びたいと考えています。


皆様のサポートや応援、心より感謝しています。




雨の日が続いたと思ったら、汗ダラッダラッの真夏日続き。


体調おかしくなっちゃいますよね。


くれぐれもご自愛ください。


それでは。





       

事件は、オンラインで打ち合わせをしている最中に起きた。


ブオンッと風を切り裂くような音を立てて、視界の隅をなにかが横切った。


打ち合わせも終盤にさしかかり、雑談に移行していたので、ぼくはふっと顔を上げる。


布団を干すとき、全開にしていた窓が開いたままだった。


ブオンッ。玄関でまた風を切り裂く音がする。


カナブンだろうか。バッタだろうか。そんなのが飛び込んでくるくらい、暖かくなったんだなあ。


のんきにそんなことを思いながら、ぼくは会議のメンバーに「ごめん、ちょっと何か来たので、見てくるね」と言い、接続を切った。


「ちょっと何か来た」というのは、盛大なぼくのブランディングである。最近、ピクサー映画「バグズ・ライフ」を観たので、小さきものの生命を尊び、慈しむ人に憧れていた。


カナブンだかバッタだかに「ふふっ、かわいい子。ここが落ち着くんだね。好きなだけ良いよ」と、声をかけたい気分になっていた。ついでに「春のお客さんが来てくれました」みたいな、脳みそゆるふわの一言を添えて、ブログにあげようと思っていた。




玄関に、ブオンッの主がいた。


えっ。


想像していた100倍くらいうるさくて、速くて、でかかった。


音と速さにビビりすぎて、ゆるふわな写真を撮るどころではなかった。


いや待って。ハチやん。スズメバチやん。


オレンジ色と黒色のシマシマ模様を見た瞬間、「バグズ・ライフ」がかき消え「インディージョーンズ」が始まった。


幼稚園の頃、山に遠足に行った際、スズメバチの大群に追いかけられ、死ぬ思いをした。


ゴキちゃんやゲジゲジなど、みんなが怖がるような生き物は全然平気なのだが、そのトラウマでハチだけはいまだに恐怖心を覚える。


死ぬ。これは死ぬ。


阿鼻叫喚しながら、リビングで遊んでいたOくんとダイに部屋から出ないように告げる。


ぼくはとっさに、キャンプなどアウトドアの師匠である先輩がいるグループに、文字を打ち込んだ。


先輩はいたって冷静であった。やはり頼りになる。


Hさんが秒で送ってくれたのは、ハチが入り込んできた時の対処法だった。優秀すぎる。「人情派サイコパス」と呼ばれてたのを聞いて、笑っちゃってごめんなさい。


ハチは明るい方へと逃げていく習性があるので、窓を開けておけば逃げていくらしい。


玄関あたりで暴れまわっているスズメバチに怯え、気配を殺しながら、窓という窓を全開にした。


これにて一件落着かと思ったが、この部屋、異常に日当たりが良いのだ。三面採光が仇となり、外も中も明るさが変わらない。


よって、ハチは出ていかない。ちくしょう。


しばらくすると、ブオンッブオンッが聞こえなくなった。


見るのも嫌だが、見えないのはもっと嫌だ。キッチンの方へおそるおそる近づくと、スズメバチが床で休んでいた。


人間、窮地に追い込まれると、動体視力や反射神経が跳ね上がるものである。あと、いらぬ勇気も。


シンクで乾かしていた、炊飯器の釜でカパッと捕まえてしまった。


Hさんから「魔封波じゃん」と、ドラゴンボールの技名にたとえて褒められた。やればできた。魔封波。


しかし、ここからが大変である。


なにせ、釜の中にいるのは、スズメバチ。


名探偵コナン 第120話「ハニーカクテル殺人事件」、第716話「能面屋敷に鬼が踊る」でもスズメバチは人を殺すトリックとして用いられた。タイトルからして怖すぎる。


生け捕りにしたシリアルキラーを、どうすれば良いかまったくわからず、パニックになったぼくは友人達にLINEで助けを求めた。


「下敷きなどを差し込み、ベランダに出て、下敷きを外す」


これが一番多いリプライだった。申し訳ないが、却下させてもらった。だって怖い。外した瞬間、


「オラァ!お前!コラァ!」とハチがこっちに飛んできたらどうするんだ。


「うちでは掃除機で吸い込んで、袋ごと捨てちゃいます」


掃除機で吸い込む。これはなんか、安全そうだ。


早速やってみることにした。


しかし、うちの掃除機と言えば、調子に乗って買ったルンバのみ。


これで……いけるの……だろうか……。




釜を開けた瞬間、ルンバがハチを認識して吸い込んでくれなきゃ終わりだ。ぼくの生命はルンバのAIに賭けられている。


いや、賭けられるわけないだろ。崖っぷちのギャンブラーかよ。


もう一度LINEを見たら「お釜を大きなゴミ袋で包んで外せば、そのまま捨てられる」と書かれていた。


はっ!そうだ!


ぼくはゴミ袋で釜とルンバを包み、ルンバを起動させた。


突如として現れたコロシアムで、ハチとルンバの一騎打ちである。観客はただ一人のぼくだ。


死闘の末、ルンバはハチを吸い込んだ。ぼくは歓喜の声を上げた。


しかし。


コロシアム(ビニール袋)を外してみると。


ルンバのダストボックスから、カチャッ、カチャッ、ブオンッと音が聞こえるのである。


スズメバチが、釜からルンバに移動しただけやんけ。


孔明の罠である。


おのれ孔明。



これを読んでいる賢い人はもうお気づきだろうが、「袋の中で釜を開ければ良かった」のであり、誰も「袋の中でルンバにハチを吸い込ませろ」なんて言っていない。


ぼくは完全に、恐怖のあまり正常な判断ができなくなっていた。袋とか掃除機とか以前に、鎮静剤が必要だった。


もう一度、LINEを見た。(LINEを見るのをやめろ)


「ハチは寒さに弱いので、ルンバこと冷凍庫に入れてみるのはどうでしょうか」


い……いやだ!買い換えたばかりのルンバだぞ!冷凍庫なんかに入れたら壊れるかもしれないじゃないか!っていうかそんなスペース無いわ!


はっ。


保冷剤で冷やせばいいのだ。


冷凍庫中の保冷剤を引っ張り出してきた。


保冷剤が溶けて水滴が出てくると、ルンバが壊れそうになるので、ぼくは1時間ごとに保冷剤を粛々と取り替えた。


もはや、病床のルンバを看病している親の気分である。


「ごめん、ごめんなルンバ、もうちょっとの辛抱だからな。耐えてね」


苦しみながら、自らの体内で敵をじわじわと追い詰めていくルンバの捨て身の死闘は、いつか映画化されると思う。インディージョーンズの制作陣に。


5時間に及ぶ看病の末、ぼくはルンバに耳を押し当てた。ルンバのダストボックスには袋がなく、外した瞬間にスズメバチが飛び出てくる恐れがあるからだ。


シーーン……。


静寂が広がっていた。


ルンバは勝ったんだ。


泣きそうになりながら、ダストボックスを取り外そうとした瞬間。


ブオンッ。


生きとる!!!!!!!!!!


なんちゅう生命力や!!!!!


もうそろそろ、気力も体力も尽き果ててきた。


とぼとぼとドラッグストアに行ってみたけど。


ハエと蚊の殺虫剤しかなかった。噴射力が心もとない。


っていうか殺虫剤をルンバに吹きかけると、ルンバは壊れるらしい。つら。



はっ。


そうだ。ハチが飛び出してこれないように、ルンバにホコリをたくさん吸わせて、塊にしてから出したらいいんだ。


でも、そうそうホコリなんてあるもんじゃないし……。



あった。


ドラム式洗濯機の乾燥フィルターに、ホコリがついていた。


渡りに船ならぬ、ルンバにホコリ。


たぶん、いまホコリを探し求めて、ホコリを見つけて狂喜しているのは、日本中でもぼくだけだろうなと思った。


いまぼくは、洗濯機を回すたびにホコリをルンバに食べさせ、保冷剤をこまめに取り替えるという「生活」を送っている。ここには確かに、ていねいな暮らしがある。


スズメバチだって、なにもぼくを刺したくて入ったわけじゃないのに、ぼくがビビりでアホなばかりに死を選ばせてしまって、本当に申し訳なく思っている。


せめて今年のお盆は、スズメバチを弔い、スズメバチを憂い、この春の死闘に思いを馳せたいと思う。





ここまで、ぼくのどうでもいい恐怖体験にお付き合いいただき、ありがとうございました。


皆さんも、危険な侵入者にはご注意を。


それでは。











きっかけは、おうち時間でOくんと観ていたアニメのセリフだった。


「人生はあっという間」というようなセリフ。


「”じんせい”ってなに?」とOくんがぼくに聞いてきた。


「人が産まれてから、死ぬまでのことだよ」


「みんな死ぬの?」


「そうだね、みんな死ぬね」


「死ぬってなに?」



死ぬってなに? そう聞かれて少し答えにつまった。4歳児にもわかるように答えるにはなんと言えばいいのだろうか。


もう二度と動かなくなること?


心臓がとまること?


細胞が活動を停止すること?


もっとライトな表現もあるだろう。


天国に行くこと。


おばけになること。


でも、あんまりしっくりこない。


なんとなく、うやむや〜とごまかしてしまうことだってできなくはない。だけど死について考えることって、そんなに子どもから遠ざけなくちゃいけないことなんだろうか。


子どもが死について受け入れられないなんて考えるのは、子どもを侮っているようにぼくは感じる。何かしらのタイミングが来たら、それを適当ににごして伝えるのではなく、なるべくストレートに伝えることが大切なんじゃないかと思うのだ。


死について。お金について。性について。


こうしたことって、なんとなく子どもにはタブーなイメージがあるけど。


それを子どもと対話できないというのは、子どもを侮っているか、それらについて自分が対話できる自信がないか、対話をするだけの言葉を持っていないか、なんじゃないかと思ったりする。


「死ぬと、もう動かなくなって、お墓に入るんだよ」


ぼくは死について、魂とか、精神とか、そういうことじゃなくて単純に肉体の変化と行き先について話してみようと思った。お墓に入るなんてもしかしたらちょっと怖いかもしれない。だけど、Oくんは先日、鎌倉のぼくの両親と祖父母のお墓の掃除をしたり、お参りをしたりした。だから、なんとなく意識の中でつながりやすいんじゃないかと思ったのだ。


「お墓に入って、お腹がすいたらどうするの?」


「死んじゃったらもう、お腹はすかないと思うよ」


「え! なんでお腹すかないの?」


「死んじゃうと、たぶんなんにも感じなくなるんだよ。だからお腹もすかないと思うな。それに、お腹が空いても食べられないからね」


「ふーん。梨亜も死ぬの?」


「そうだよ。例えば梨亜は。産まれて、子どもになって、お兄ちゃんになって、おじさんになって、おじいちゃんになって。その後に死ぬんだよ」


事故やら病気やら死の条件は色々とある。だけど、まずは理想的? な老衰について説明してみる。


「ぼくも?」


「そうだね。産まれて、赤ちゃんになって、子どもになって、お兄ちゃんになって、おじさんになって、おじいちゃんになって。その後に死ぬね


「ふーん。車にひかれても死ぬの?」


「死んじゃうことだってあるかもね」


「ぼくはまだ死にたくないなー」



***



Oくんが死についてどのくらい認識しているのかはよくわかりません。でも、なんとなくわかってはいるような気がします。


Oくんの口から「まだ死にたくないな」という言葉が出たとき、いま時点での伝え方やOくん自身の認識は、けっして間違ってはいないなと思えました。






その後、ダイの散歩がてら、コンビニで買ったスルメと糸を持って、近所の池でザリガニ釣りをしました。


ザリガニが一匹死んでしまっているのを見つけた時。「死んじゃうと、もう動かなくなるんだよ」とすごい発見をしたかのように教えてくれました。彼の中で、新しく知った概念と現実の事象がつながった瞬間だったのだと思います。こうした学びは、小さくても貴重で大切なものだなと思うのです。



***




今回のOくんの疑問で、一冊の本のことを思いだしました。


我が家の本棚にある

『「死」とは何か イエール大学の死の講義』




この本、分厚くて、文字も多くて、なかなか挑戦しづらい一冊。


日本でも20万部超えのこちらの本は、アメリカの大学の「死」がテーマの人気講義を翻訳したもので、


「人は必ず死ぬ。だからこそ、どう生きるべきか」


というメッセージが込められている。


この一冊は、一昨年購入して、少しだけ目を通したのですが、それっきりずっと


ずっっっと


我が家の本棚の奥でホコリをかぶっていました。


ぼくたちが住む日本にもコロナが蔓延するいま、


日本人ならだれもが知るコント王、志村けんさんを失ったいま、


海外では人工呼吸器が足りなくて死の選別をしなければいけないいま、


友達の家族がコロナで亡くなったいま、


ぼくたちは否応なしに、『死』を意識するようになりました。


他人事ではすまされなくなり、みんながコロナと向き合いはじめました。


自分は平気、自分は大丈夫、といって目をそむけるのではなく、一人一人が自分事としてコロナと向き合うことってとても大切な事ですよね。


『自分に大事な人がいるように、通りすがった誰かも、誰かにとって大事な人。』


そんな言葉とSNSで出会いました。


もうほんとに、おっしゃる通り。


身勝手な考えのもと行動した結果、だれかの大切な人を奪うなんて、全世界のだれにもそんな権利はありません。


極端な話ですが、これが、今ぼくたちが直面している感染力最強ウイルスの実状です。


自分さえ良ければそれでいい、は通用しません。


ぼくの身近な人々は元気いっぱいなひとが多く、これといって自分の中で『死』とむきあう経験はほとんどありませんでした。



今回のコロナは、そんな平和ボケのぼくに『死』と向き合う時間をつくってくれました。


いま世界中が、
自分なりに、
自分のペースで、
死ぬことや生きることについて
頭の中でぐるぐるぐーるぐる模索するって、めまぐるしい日常の中では、
なかなかできないことです。
どんな出来事にも必ず意味があります。
コロナを通して何を考え、どう行動するかはぼくたち次第です。





さて、読書のお供は、最近みつけた自分的に空前の大ヒットのぷちっと海苔めんたい。絶品です。


こりゃ完璧な読書環境です!!(笑)


おうちでゆっくり、
『「死」とは何か』を読みながら
コロナについて、
死について向き合う時間って、

今しかできない

今だからこそ価値のある

貴重な時間じゃないでしょうか。



***



昨日、緊急事態宣言が5月31日まで延期の発表がありましたね。


業種によっては大きな影響を受ける方も多いでしょう。


大なり小なり国民のみなさんが大変な思いをしていると思います。

こんな国難のときに文句ばかり言っていては前に進めないというのもわかります。


だけど、早く手を打たなきゃいけないこと、やらなきゃいけないことが山積みですよね。医療機関や保健所の人手不足をどうするのか、足りない物資をどう調達するのか。クラスターが起きている介護施設の問題も、自粛によって家庭ごみが増えている問題もある。


与野党が対立する意義もわかるんだけど、医療機関を守るとか、補償や現金給付のこととか、絶対やらなきゃいけないことについては国会議員として一つにまとまることってできないんだろうか、と最近は思っています。



今はみなさんが出来る範囲で外出自粛を続け、外出せざるを得ない場合は感染しない対策を施した上で3密を避け、コロナ対策の意識を持ち続けることがとても大切だと思います。


ひとりが頑張っても収束することはないでしょう。


ぼく達の努力が報われる日が近いことを願うばかりです。






連休前に、病院で狂犬病の予防注射を受けてきました。


今年は、市で行っている集団予防接種が中止になったそうです。


いろんなところにコロナの影響がでていますね。


昨年は、恐怖でキャンキャン鳴いていたのに、今年は最期まで鳴かずに我慢していました。


強くなった!



今日も読みにきてくださり、ありがとうございます。



それでは。