いたかった記憶は
つらかった記憶は

乗り越えられた そのとき

そっと音もなく
切なさをおびる

その胸に
静かにとどまる 切なさ は

強く生きてきた
あなたの しるし

前を見据えて
ここまで歩いてきた

かけがえのない
あなたの しるし


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兄弟同然だった30年来の親友が、病気で亡くなりました。

彼は奥様と5歳の息子さんに支えられながら、ずっと闘病を続けてました。

治療に対して前向きに明るく頑張ってましたが、先週還らぬ人になってしまいました。

その時に思ったことは

「この世でかけがえのない人を失ってしまった…」

実をいうと、親友が亡くなるまで

親友のことを「大切」だとか「自分にとって重要な人」だとか

そういうふうに考えたことがなかったのです。

しかし、失くした瞬間に、はっきりと認識しました。

「かけがえのない存在だった」と。

失ってから気づくなんて・・・遅すぎる。

両親が亡くなった時と同じくらい、つらくて、心にぽっかり穴があいたようでした。

打ちひしがれて、悲しんだり、苦しんだりしていました。

そして、悲しみの中で気づいたことがあります。

「つらい」「悲しい」は、自分自身に向けたもの。

これは、親友のためじゃない。

自分を、かわいそうがっているだけだと。

僕がずっと悲しんだり、苦しんだりしている姿を

もし親友が見たとしたら・・・

喜ぶはずはありません。

きっと、心配するでしょう。

誰かを大切に想うとはそういうこと。

「元気に幸せに生きよう」

それこそが、亡くなった親友にできる

せめてものことなのです。


親友が亡くなってから、

僕には執着心というものがなくなりました。

それは、自分の周りにあるものが、

当たり前に存在していると思わなくなったからです。

どんなものにも、いつか別れや終わりがくる。

ジタバタしても、その事実は変わらない。

それを受け入れることによって、

逆に今、自分の周りにあるものに感謝し、大切にする。

限りがあると意識するからこそ、ますます愛しむ。

永遠という幻想にとらわれると、つい怠惰になってしまう。

大切な人には大切だと伝えよう。

自分に関わる人には優しくしよう。

後悔しないように、

関わってる間に伝えるべきことを伝えて、

やるべきことをやる。

そして、別れが来た時には、ちゃんと手を離す。

失くしてから行き場のない気持ちを抱えたり、

相手にきっと伝わっていたなんてセンチメンタリズムに浸るよりも

関わってる間に大切にして「大切だ」と伝えた方がずっといい。

今、関わっている瞬間

今、向き合っている瞬間

それこそがすべてなんです。


…なんて、カッコイイこと言ってますが、まだまだしょぼくれてる僕です。

心配して連絡をくれた方、返信もせずに申し訳ありません。

いつもの元気な僕に戻るまで、もう少し待っててね。




剛、ありがとな!
バイバイ!!