「仕事で失敗してしまうのは、私の人格がいけないからだと思ってました」



今、僕が経営する会社のチームの会議で、ある日メンバーが泣きながらこんなことを言った。




「以前の職場では失敗をしたら激しく怒られて、自分の人格を否定をされることが当たり前。いつのまにか仕事をするのが怖くて仕方なくなって、できない自分や弱い自分を、職場では絶対に見せてはいけないと思うようになりました。失敗は失敗のまま。私の人格がいけないから。それで終わっていました」



そのメンバーは何かあるたびに尊厳を傷つけられるような言葉を言われ、自信を失ったまま過ごしていたという。




「これで大丈夫ですか?」




僕に仕事での確認をするたびに、なぜ怯えた目で何度もそう聞くのか。その理由がわかった気がした。ひとしきり語ったあと、そのメンバーは安心したように笑って言った。




「でもここでは、仕事で失敗したとしても人格は否定しない。失敗には改善の可能性があるから、共有しあってみんなでよくしていこう、っていう前向きな優しさがあるんです。私を私として受け入れてくれる」




嬉しいなと思うと同時に、僕はある昔の経験を思い出した。今の僕があるのは、きっとあの出来事のおかげだから。



僕は18年前、会社員としてある組織で働いていた。業務量も多く、常に人数はぎりぎり。当時はより一層業務が多忙を極めていて、僕を含め、働くひとたちはみんな毎日気を張って仕事をしていたように思う。


一緒に働くスタッフの中に、Kくんという人がいた。


僕はKくんと連携して仕事を進めることが多かったのだが、Kくんはいつも必ず同じミスをした。もちろん失敗があれば、一緒に組んでいる僕にも責任が出てきてしまう。改善してほしいと何度も説明をしても、Kくんはおろおろとした仕草をするばかりで、その言葉が届いているのかわからない。ミスは直ることがなく、何度も繰り返される。


そして業務に日々追われていた僕は、いつしかKくんと仕事をすること、顔を合わせることすらつらくなっていた。


そんなある日、遅番でバスもなくなり、同僚とタクシーで帰ることになり玄関に向かった。すると、「おつかれさま」と守衛さんが笑顔で声をかけてくれた。


僕は、いつでもニコニコとしていて穏やかなその守衛さんが大好きだった。誰に対しても分け隔てなく優しく、年齢が60代だったこともあって、まるで自分のおじいちゃんのように慕っていた。


いつもと変わらない声掛けに、僕は笑顔で「おつかれさまです」と応え、タクシーが到着するのを待った。


ただ、そのときの僕は、長時間の労働で疲れていたことも相まって、ミスを繰り返すKくんに対してのイライラが沸点に達していた。同僚と仕事の話をしていると、いつのまにか僕の口からはKくんに対する愚痴が溢れ出した。




「あの人はいつも同じ失敗をするし、直らない。どうしてあの人が働き続けているのだろう。もう失敗したくないし、一緒に働きたくない」




するとそれを横で聞いていた、守衛さんが突然、声を荒げて大声で言った。




「一緒に働いてる人のことを、そんな風に言うもんじゃない!」




いつも優しい守衛さんの顔は、怒りでこわばっていた。僕はそんな守衛さんを見たのが初めてだったのでとても驚き、言葉を失ってしまった。


起こったことを少しずつ把握し始めると同時に、「どうして?」という気持ちがふつふつと沸いてきた。


確かに僕はひどいことを言ったかもしれない。でも、僕は頑張っているのに、あの人は頑張っていない。僕は努力をしているのに、あの人は努力していない。だから失敗するんだ。僕だってつらい。


ただただ、悔しさがこみ上げてきて、小さな声で「すみません」と言って僕はその場を去った。


それ以降も守衛さんは、今までと変わらず優しく接してくれたし、僕も何もなかったように、これまでどおりに挨拶をしていた。


でもあの日の出来事はずっと消化できず、職場を辞めてからもずっと、しこりのように胸に残り続けた。



しこりがとれたのは、それから数年が経過してからのことだった。


たまたまイベントで知り合った友人が、自分には発達障害があると打ち明けてくれたのがきっかけである。


その子は、「どうしても数が数えられない」という特性を持っていた。ものすごく明るく素敵な子なので、バイトの面接は合格する。だけど、その特性によってミスをしてしまい、どんなバイトをしてもクビになってしまうというのだ。



「でも私、夢があるんだ。だからお金を稼いで頑張りたいんだよね」



不安と希望の入り混じったその子の表情を見て、「応援したい。だから僕も、発達障害について知って、自分にできることを考えてみよう」という気持ちになった。


調べてみると発達障害は、生まれつきの脳機能の発達のかたよりによる障害のことだとわかった。


得意・不得意の凸凹(でこぼこ)があり、その人が過ごす環境や周囲の人とのかかわりのミスマッチから、社会生活に困難が発生してしまう場合が多い。


ただ、発達障害のある人のインタビューなどを読む中で、周囲の理解を得て、自身の特性を活かして生きている人がたくさんいることも知った。


人にはそれぞれ違いがあって、できることできないこと、向いていることいないことがある。でも、環境や周囲の人の関わりによって、その人の生きづらさを和らげたり、その人の持つよさを活かすことはできる。そんな当たり前のことが、やっとわかった。


僕は、Kくんのことを思い出した


Kくんが発達障害であったかどうかはわからない。


でも、あの繰り返していた同じ失敗は、もしかしたらKくんが「特性によってできなかったこと」だったのかもしれない。


不真面目だったわけでも、努力をしていなかったわけでもない。「やりたくてもできなかった」のかもしれない、と。


未熟だった僕は、あの頃、仕事と人格を結びつけてしまっていた。仕事の出来ばかりを気にして、その人自身に目を向け、置かれた境遇や気持ちを想像することができなかった。


もしあのとき僕が、共に働く一人の大切な仲間としてサポーティブな姿勢でいたとしたら、もっと気遣いができたのではないだろうか。仕事の仕組みを変えるとか、適性を見て役割を変えるとか、何かできたのではないだろうか。


振り返ればKくんは、いつも暗い表情をしていた。


決められたルールに従って、苦手なことをしなければいけなくて、苦しかったのかもしれない。


今ならば、あの状況はKくんの努力によってしか変えられないものではなく、ちょっとした周囲の配慮や優しさでよりよく変えることができたのかもしれないとわかる。


思えば自分も、失敗があったとき、僕が能力の足りない人間だからだと自分の人格否定に陥ったことがある。だから努力して努力して、それをカバーしなければいけないのだと。


人は自分に対してしたことを、他人に対してもしてしまう。その連鎖に自分もハマってしまっていたのだろうなと、今になって感じる。



守衛さんが言いたかったのは、「一緒に働いているひとを否定せず、仲間として思いやること」の大切さだったのだろう。




Kくん、ごめんなさい。

守衛さん、ありがとう。




それに気づいたときに溢れた後悔と感謝は、今も僕の胸に強く残っている。




僕は今、チームをつくっていくなかで、働くメンバーによく伝えていることがある。


それは、「大前提として“あなた”という存在をとても大切に思っている。だから仕事へのフィードバックはあなたの人格を否定するものではない」ということ。だから、失敗が起こったとしても、責めるのではなく、しっかり対話をしてその人の背景を理解しよう、ということ。




「この失敗をしたとき、どんなことを考えていたのかな?」

「何か苦手だなと感じることはあった?」




同じ失敗を繰り返すとき、ルールが守られないとき、なぜそうなってしまうのかを一緒に話す。仕組みに問題があるときも多いが、その人が過去の経験による思考の癖があったり、恐れを持っていたり、特性的にどうしてもするのが難しいことがわかったりすることもある。


もちろん仕事としてしっかり成果は出さなければいけないので、そこで仕事の適性が合わず組織を離れるという決断に至る場合もある。だけど、周囲がその人の特性や弱さを理解し、チームで状況の改善に向けて動くと、しっかりその人のよさが活かされるようになることも多い。


また、僕たちには「弱さの共有」という文化がある。自分の弱さを周囲に開き、自分の言葉で伝える。きっとその弱さには、人ともっと深くわかり合える可能性や、問題解決への光が隠されているから。


これまで会社や学校で自己開示できる環境になかったのか、最初は「自分の弱さを見せちゃいけない」と考えているメンバーも多い。うちに来て初めて、できないことがあるのは自分の人格がいけないからじゃない、だから素直に自分のことを言ってみようと思った、という声がよく聞かれる。


自分のことを言葉にして伝える練習を繰り返すなかで、メンバーたちが少しずつ自分を受け入れ、自信をつけていく姿はとても頼もしく美しい。表情やまとう空気がポジティブに変わっていく姿を見ると、本当にこの場所をつくってよかったなと思える。



メンバーにとって、ここが安心して自分を語れる場になっているという嬉しさと同時に、この社会に人のありのままを受け入れようとする居場所は、あまりにも少ないのだということも思い知る。


だってKくんと同じように、僕も以前の職場では自分の話なんてしなかったのだから。


人の可能性が活かされるどうかは、その環境や周囲の関わりによって大きく変わる。


世の中にある困難や、それによって生まれる人の特性を、全て知識としてインプットすることは難しいかもしれない。


でも、相手の内面や置かれた境遇に関心を持って対話することや、相手の気持ちを想像することはきっとできるだろう。


言い換えれば、「人に本当に関心を持つ」ということ。


相手に本当に関心を持ち、理解しようとすること。その人にできないことがあれば、それを責めるのではなく、みんなでそれを補い合って“なんとかしよう”と試みること。その人が自分らしくいられることを、本気で願うこと。


そんなあり方をする人が、チームが増えれば、きっと社会はもっと優しくなるんじゃないかな。


まずは僕自身から、そして自分の足元から、世の中に安心して自分らしくいられる場を少しずつ広げていけたらいいなと思います。





日曜日は仕事だったので、昨日休みをとり、久しぶりにジェットくんを出動させ、同じく休みだった友人を誘い遊んできました。

気持ちよかったー!!




連日の寝苦しさから解放された9月初日。


先日、富士山の麓に咲いていた秋桜。
秋を感じた瞬間でした。





沖縄・奄美に猛烈な暴風雨をもたらしている台風9号。明日は九州地方に影響が出る模様。

そして、小笠原近海の熱帯低気圧はまもなく台風10号となる見込みです。

海面温度が高いので、かなり発達して日本列島に大きく影響するおそれがあります。

予報によると、今週末から来週にかけて、本州に接近、上陸する模様。

最新情報の確認を欠かさず、最悪のケースに備えた対策を!

皆さん、くれぐれもご注意ください。



それでは。











 

僕の趣味の中の1つである読書。


気になる本はどんなジャンルのものでもまず読んでみたい!精神で生きているため、僕の部屋は本が溜まる一方です。


もう読まないかなーと思う本はまとめて手放したことが何度かあるのですが、それでも日々読みたいなと思うものは増えるので、、、

(整理していると、「なぜこれを読もうと思ったのか…?できるものならあの日の自分に聞いてみたいよ本」がいくつもある。)


人も物もみんな出会いだと思うので、その時に「あ、これ読んでみたい!」と思うものはやはり、その時に出会うべきものなのかな〜と思っています。


でも不思議なことに、「出会い」と「時」って微妙な関係で。


読みたい!と思って買う本を、手に入れたからと言ってじゃあすぐ読むのかというと、そうでもない。

ということが僕にはけっこうあります。


もちろん必ず読むのですが、たまたまその時に読んでいる途中のものがあったり、気が進まなかったり。


なぜか、


今日じゃない。明日だ!

いや、来週だ!

いや、来月だ!


みたいに思うことが多く、いつもその時に読みたいと思ったものを。


でも、何となく今日はこれを読もう!と思った本の中に、その時の自分が求めてる言葉やヒントがあったりして。


人もそう。


よくありませんか?


出会ってすぐはそんなに仲良くなかったけれど、何年かしたあとにちょっとしたことがきっかけで仲良くなった、とか。


中高、大学の友達と、卒業した後の方が仲良くなったとか。


出会ったり、別れたり、離れてる間に成長して、また出会い直したり。


本もそんな感じ。


出会いはいつも不思議です。


と、まぁこんな調子で本を集めていると、もーまた本棚に入らない!!
という現象がたびたび起こります。

(僕の計画の一つに、ものすごく大きな本棚を買う or 作るというものがある。)


そして、読んでいるお気に入りの本はいつも持ち歩きたいので必然的に荷物が重くなる。


そうなると大きめのバッグしか持たなくなる。

(誰かに運転してもらってる時や、出張等での電車やバスの中や隙間の時間で本を読むのが好きなのですが、ずいぶん前にたまたまそれを人に話したら

「移動してる時にまで本を読むなんて、何をそんなに生き急いでるの?」

と言われたことがありました。

ガーン。

って言ったら、別の人に

「今時ガーンって言う人いる?笑」

って言われた。                   ガーン。)



と、まぁそんなこんなで

・本棚に収まらなくなる。

・大きめの鞄しか持たなくなる。

・自分の生活の中では、できればあまり物を増やしたくない。

などなどの理由から、

うーん。

これから本との付き合い方をどうしようかなぁ?と考えてしまったのですが、そんな時にふと、浮かんでしまいました。



電・子・書・籍



の四文字が。



ずっとその視線には気付いていたんですけど、、、


ホラ、あなただっていつかはこっちの世界に来るのよ♡


みたいな目でiPadに入ってるKindleがこっち見てくるのには、うん、まぁ、気付いてた。


ただ、どうも、本が紙じゃなくて手でめくれないというのが梨亜的違和感の条件をものすごく満たしていまして、

たとえ世界中のみんなが電子書籍でしか本を読まなくなったとしても、僕は絶対その世界には行くまい!!

と頑なに守り続けていた信条があったんですけれど、増え続ける本を前にそれはわりと簡単に破られ(笑)、ある日、ついに梨亜は電子書籍に手を伸ばしました。。。


絵を描くためだけに使っていたiPadだけど、こうして本を読むためにも使う日がやってきた。


さて、読んでみると。


最初は違和感があったけど、意外と読めるものだなぁ!


夜も眠る前に部屋を暗くしたまま読めるし〜(目には悪いのでお勧めしません。)


いいなと思う言葉はすぐメモ取れるし〜


iPadは薄いから持ち運びもしやすいわ〜


と、アッサリその利便性に染まり、時代の流れに飲み込まれそうになっていたのですが、、、


ある時「今は何を読んでるの?」と聞かれたので本の説明をしようとしたら、なんかいつもみたいにできない。


あれ??

なんでだろう?

あんなにスイスイ読めていたのに。。。


そう、何冊か電子書籍で読んでみて、途中であることに気が付きました。


確かに読んではいるのだが、

読めてない。


つまり、まるで内容が頭に入ってこない。


これ、読んでる風な僕は、光る画面に浮かんでいる文字をただ目で追っているだけではないだろうか。

ということに。


やっぱり本の何がいいってね、こちらに想像させるところです。


本の内容はもちろんのこと、その本が出来上がるまでにどんな人が関わって、どんなプロセスがあったのだろう?とか。


この文章の背景にどんな景色が広がっているんだろう?

とか。


なんていうかそういう、人が思いを巡らせる空白があるんですよね、本のページを開いた向こう側に。


で、ドラマってたいていそういうところにある気がするんです。


そして本のページをめくる時の手触りや、音や、匂い。


そういうのもすべて合わさって人の記憶に残るんじゃないだろうかと。


それが電子書籍になった途端すべてなくなってしまうような気がして、急に奥行きを感じなくなってしまった。


あぁ、この方法で本を読むのは僕には向いていないんだなぁ。と改めて実感したわけです。


こうやって人は、なにが自分に合っていてなにが合っていないのか、ひとつひとつ知っていくんだろうね。。。


グッバイKindle。。。


サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ、、、



-・-・-・-・-・-・-・-



手で触れられるものは、なるべく手で触れた方がいい。


そこに静かに存在しているぬくもりを、ちゃんと感じた方がいい。


僕たちはいつも、通り過ぎてることが多すぎるように思う。


その小さなひとつひとつを感じることができれば今度はいつの間にか、目に見えない大切なことに、心で触れられるようになる。


本の向こう側


人の向こう側


大切なことは目に見えない。ことが多い。


だからこそ、それを自分なりに表現する、伝える、感じる。


それがどんなに大切なことか、こういったことを通してしみじみ感じます。


紙に書く、ページをめくる。


いつも普通だと思いながらしていることの中に、小さなヒントはたくさんある。


そしてその普通が、これから先は普通じゃなくなるかも。


小さなものを感じる心。


見えていることのそのもっと奥に何があるのか、何かがあるのかもしれない、そんな奥深さを感じられる、想像できる心。


そんな心を日々じっくり育てていきたいなと思う、今日この頃です。




皆さま、残暑お見舞い申し上げます。


朝から、まぁ暑いです。


セミも、今鳴かないとねーっと大合唱しています。


本日も身体に優しい一日をお過ごしくださいませ。
















昨日、フィリピンに住む友人で柔道家のHさんから連絡があり、フィリピンのコロナでの現在の大変な状況やいろんな話をしている中で、昨年一緒に食事をした時に、とても良い言葉を聞くことが出来たのを思いだし、記事にしようと思い、書いています。


Hさんとは地元が一緒で、知人の紹介で知り合いました。
 

日本で活動していましたが、その後フィリピンに活動の拠点を移しました。


貧困というテーマに立ち向かい、講演やスクールなどの活動にも尽力されている方です。


フィリピンから帰国している期間にお会いすることができたので、新宿で食事をしながら色んな話をしました。



彼は小学生の頃から約10年間、誰にも負けたことが無い選手だったそうです。


僕のように柔道の知識に明るくない人間でも、それがどんなに凄い事かは安易に想像がつきました。


その後膝の靭帯を断裂する大怪我をして、第一線から離れる期間があったそうです 。


勝つのは当たり前。会場に行けば誰もが自分のことを知っている…。


柔道が強いということが自分のアイデンティティであると思っていた彼にとって、怪我でまともに立つことすら出来ない期間は、まさに地獄のようだったと言います。


そんな話の中でとても印象に残る一言がありました。


「俺がスタンドに座って試合を見ていた時、後ろで俺の話をしている人がいて、
『休憩所でHはもう終わったと話している人がいたけど、Hさんってどうなったの?』という会話が聞こえてきたのね 。

その休憩所にいた人は、俺がなんで柔道を始めて、どんな風に続けてきたか何も知らないわけじゃない?

終わった、終わったって言うけど、なんで俺のスタートも知らない人が、勝手に俺のゴールを決めるんだろうって思ったよ。」


「大事なのは、何を言われたかじゃなくて、誰に言われたか。大切な人の言葉は耳が痛くても受け入れるし、そうでない人の言葉は、例えどんなに褒められても聞き流すようにしてる。」



この言葉を聞いた時は、本当に胸がスカーっとして、Hさんが色んな人に言い返してくれたような気持ちになりました。


実際に言い返さなくても心に留めておくだけで自分を守ってくれる、とても力強い言葉だと思います。



10年負け無しなんて偉業とは比べ物にはなりませんが、僕も似たような思いをしたことがありました。


仕事を辞めるか、誰も自分のことを知らない国で仕事がしたいと、本気で思ったこともありました。


結果が出なくなって色んな人が離れていって初めて、自分が今までチヤホヤされていたことに気づくし、そんな時に離れていかなかった人に、支えられているのだと思います。


ただそういうことを経験するというのは、とても貴重な道なのかもしれないなとも、最近は考えるようになりました。


1回集まった人が離れていく体験をすることは、自分の価値って何なんだろうということをとても考えさせてくれます。


その時に大事なことに気が付けるか、悲しさに心を任せてしまうかは、それぞれだと思います。


僕が走る意味は何だろうと考えていくうちに、今まで自分を動かしていたガソリンではもう走れないな、ということに気が付きました。


自分が正しいことを証明したい、人間的に認められたい、結果でしか自分らしさを表現出来ない、だから数字を出さなきゃいけない…


一時的にこのガソリンで走る事は出来ても、それが長続きするのか、それが本当に幸せなのか、もうわからなくなっていたんです。


また続けようと思ったきっかけは大切な人からの言葉でした。


続けても続けなくても、梨亜が梨亜ってことに何の変わりも無いよ、と言われた時に僕はまだ走れるなぁと思ったのを覚えています。


だけどこれからは、今までとは違うガソリンを燃やして走ろうと思いました。


人に認められたい、自分が正しいこと証明したいという原動力ではなく、自分が面白いと感じることに前向きに取り組んでみたい、というガソリンを注ぎ込むことにしました。


だから、どんな結果になるのかはまた違ってくるものだと思います。それに、結果が出た時にどう思うのかも、絶対に違うはずです。


僕はそのことに興味があって走り続けてます。


その時、自分が何を感じるのかにとても興味があるんです。



色んなことを書きましたが、まとめると、
終わったなんて言う人はあなたにとって、そんなに大事な人じゃ~無いかもよということです。


そしてそんな経験をすること自体、スペシャルですから。


Hさんと話していると昔のことを思い出したり、懐かしい話も沢山できました。


やってることは違えど、同じ事を感じていたり、それぞれ夢や大事なものがあることも感じました。


彼は両膝合わせて計4回の靭帯断裂と手術を乗り越え、今も第一線で競技を続けています。


終わるどころか、進化を続けまくるHさんを、これからも応援したいなと心から思いました。


僕もまだまだこれからです!







********





僕の会社の若手スタッフのJくんから「面白い家飲みをするので梨亜さんにも来てもらいたいです。もちろんソーシャルディスタンスを保って」と言うので行ってきました。


今度、イベントでの企画の参考にしたいとのことでした。





というこで、各自 「小学生の頃に遠足で買っていた300円分のおやつ」を買って、Jくん宅に行くと20代前半〜20代後半の男女5人のスタッフが集まっていました。



ということで、まずは僕からおやつの紹介を行いました。なお合計が300円超えている人もいましたが、そこは遠足と同じでご愛敬。



1人目:梨亜のおやつ



・ヤングドーナツ(43円)
・すっぱいレモンにご用心(30円)
・こざくら餅(24円)
・プチプチチョコ占い(20円)
・カリポリ(93円)
・ゴールドチョコレート(50円)


僕のお菓子選びの特徴としては、「みんなで分けられる」ということがポイントになっています。


小さい頃から目立ちたくて承認欲求が強かった僕は、自分が好きなものよりも「みんなで食べられるもの」が中心。


ワイワイ感…!


お菓子を出した瞬間に全員から、

「チョコの占いのやつ懐かしー!」

「これ私も食べました」

「この金色のお菓子なんですか? 初めて見ました!」

などと意見が飛び交いすぐに盛り上がりをみせました。


やっぱり駄菓子・お菓子は共通の思い出があるから盛り上がりますね。


ピックアップお菓子①:すっぱいレモンにご用心



3個のうち1個がハズレですっぱいガムになっている 「すっぱいレモンにご用心」というお菓子は小さい頃みんなでよく食べて笑った思い出があります。


その頃を思い出してみんなで食べてみたけど、やっぱりあの緊張感は大人になっても変わらない!

小学生に戻った気分…

青春はすっぱい。


ピックアップお菓子②:ゴールドチョコレート



僕のお気に入り、ゴールドチョコレートという金の延べ棒の形をした駄菓子。


これは箱の中に10~100円の金券が入っていて、開ける瞬間のワクワク感はどのお菓子よりも一番!!

昔はカードのようなものが入っていたけど、仕組みが変わってました。


しかし今日来ていたみんなは知らなかったようで、「初めて見た!」という意見が多くて驚きました。


僕は出身が神奈川でほかの人は静岡や名古屋でしたが、地域差があるのでしょうか?




この企画で一番楽しかったのは、選んだお菓子の傾向でその人がどんな子どもだったのかわかるということです。


僕が「みんなで分けられるお菓子を選んだ」と説明したときも、

「そんなこと考えたことなかった」

「私は小さい頃はとにかく好きなもの選んでいたなー!」

「ちょっと純粋じゃない感じがして怖い」

などといろんな意見がでて、「自分が小さいときは ○○な子どもだった」「うちの小学校は〜」という話にまで発展しました。



なにこれ楽しーーーー! 企画は始まったばかりでしたが、すでに楽しい。


300円のおやつのチョイスが自分の人格を反映しているし、お菓子の説明自体が自己紹介のようにもなっているから、肩肘張らないリラックスした自分をそのままみんなに知ってもらえる感じです。


それから単純に駄菓子の会話するのが楽しい。


企画とか関係なくこのまま駄菓子で朝まで飲み明かしたい。



では次の人にいってみましょう!

2人目:Jくんのおやつ



・ヤングドーナツ(43円)
・ビッグカツ(30円)
・ラムネ(70円)
・キャラメル(100円)
・うまい棒(10円) ×2
・チョコバット(30円)

次はJくんに紹介してもらいました。


「僕は梨亜さんと違って、どちらかというと1人で食べられるお菓子が中心で、自分でいうのもあれですけど、ボッチ感がでている感じですよね」ということで、選んだおやつを見てみると、確かに僕の分ける前提のお菓子と比べると1人で食べるものが多い気がします。


キャラメルやラムネといった値段が高いものが入っているのにみんな驚いていました。


ほかの人からも「遠足のおやつでキャラメルを選ぶのは金持ちだけだ」 「高級志向だ!」と謎のツッコミであおられていま した(笑)



ピックアップお菓子①:うまい棒



いわずと知れた有名お菓子のうまい棒ですが、「うまい棒を上からつぶすとキレイに4つに割れる」という話を聞きました。


実際にやってもらったら本当にキレイに割れて驚き!


そんな方法があったのか…。テレビでも紹介されているような有名な技らしいです。


これ子どものときに知っていたらヒーローだっただろうな。


僕が子どもの頃に知ってびっくりしたことなのですが 「ビッグカツは肉ではなく魚肉」ということを話したら、みんな驚いて成分表示を確認していました。


ただ参加しているメンバーの中で「遠足でおかずがなくなったときに、ビッグカツをご飯にのせて食べていましたね」という強者もいて驚きました。


3人目:Yさんのおやつ



・五連ボーロ(100円)
・モロッコヨーグル(20円)×2
・いちごつみ(60円)
・ハイエイトチョコ(30円)
・ポテトフライ(30円)
・甘いか太郎(20円)
・うまい棒(10円)×3


Yさんはポテトフライやモロッコヨーグルなど、駄菓子屋で見かけるお菓子が中心になっていました。


その中でもとくに好きなのはタマゴボーロと甘いか太郎とのこと。


タマゴボーロは今でも食べるらしく、家にあれば一生食べ続けられるらしい…。


タマゴボーロなんて最後に食べたのって幼稚園のときとかじゃないかな…。



ピックアップお菓子:甘いか太郎



「遠足に甘いか太郎持っていくの? 臭くない?」 「甘いか太郎って僕は食べたことないですね」

と口々に話していたら、待っていましたと言わんばかりにカバンから大量の甘いか太郎がでてきた。準備が周到すぎる。


なにこのジュリアナ東京的な甘いか太郎の持ち方(笑)


大人がテーブルを囲んで全員で甘いか太郎を食べる姿は異様でシュールな光景だったので、思わず全員で笑ってしまいました。


今知らない人が入ってきたら、 その光景とニオイに驚くことでしょう。


あと、甘いか太郎が酒のツマミに最高というのは僕的には新発見でした。




Yさんが「本当はさくら大根もってきたかったんだよねー!」と話していたけど、さくら大根という駄菓子を知っている人と知らない人は半々くらいでした。




しかし、スマホで調べて画像を見せると「あー! これね!」とみんな納得していました。


これ「駄菓子あるある」なのですが、小さい頃はお菓子の名前を知らずに買っていたので、大人になって改めて名前を知ると「え? このお菓子ってこんな名前だったの?」と驚くことが多々あります。

ハイエイトチョコとかまさにそうで、僕はメガネチョコって呼んでいました。


4人目:Wくんのおやつ



・のし梅さん太郎(10円) ×5
・酢だこさん太郎(10円)×5
・カットよっちゃん(30円)
・餅太郎(10円)
・クッピーラムネ(20円)
・きびだんご(30円)
・ねるねるねるね(100円)

Wくんのおやつはかなり異質でした。


「遠足のおやつ」といっているのに、「ねるねるねるね」が入っている!!


これは本人的にはボケでもなんでもなく、小学生時代に水筒の水を利用して本当に作っていたらしいです。


僕からしたら未知の生物に出会ったくらいの衝撃があった。UMAだ。



「同じものを買う発想が子供の頃になかった」「遠足ではいろんなお菓子を持っていくのが当たり前だと思っていた」という意見がありました。


Wくんは 「ボッチだったから好きなものを買っていた」と爽やかにいっていました。



5人目:Kさんのおやつ



・CHELSEA(120円)
・チョコボール(60円)
・マーブルフーセンガム(10円)×2
・どんぐり飴(10円)


Kさんも変わったお菓子の選び方でした。


「口に残るお菓子が好きなんですよ!」ということらしいです。


それよりもおやつの量の少なさに驚きます。「遠足のおやつ」を選ぶというハッピーな企画でこんな写真映えしないラインアップを見るとは思いませんでした。
(シゲキックスというお菓子を買ったはずだったがなくしてしまったらしいです。それでも見た目的な寂しさは変わらないと思う)


本当にこの300円のおやつ選びはその人の個性がでるなと思いました。


6人目:Sくんのおやつ



・蒲焼さん太郎(10円)
・わさびのり太郎 (10円)
・おやつカルパス(10円)×2
・うまい棒(10円)×3
・タラタラしてんじゃねーよ(100円)
・poifull(100円)



最後はKくん。「僕は人と交換してお菓子を食べるのが好きでした」と語るように、有名どころのお菓子をガッツリと集めている印象。


子供の頃からなんて策士なのだろうか。
諸葛亮の再来かもしれない。


ただ「純粋さをまったく感じない」という厳しい指摘も受けていておもしろかった。


駄菓子は懐かしくて楽しいし、個性がでておもしろい。


ひととおり全員が紹介したあとも、盛り上がりは続きずっとお菓子トークと昔話で盛り上がっていました。


駄菓子の力ってすごい!!




有名なお菓子や、食べたことのないお菓子を食べて驚いたり…


占いができるチョコで遊んでみたり…


駄菓子の説明文がシュールでおもしろいのを探してみたり…


一番センスのあるおやつを多数決で決めてみたり…(優勝者のYさんには駄菓子セットをプレゼントした)



とにかく駄菓子や昔話のネタは尽きませんでした。


やっぱり共通の話題があると自然に話が膨らむし、駄菓子が意外におつまみになるのでお酒も進む。いいことずくめです。


問題は異常に甘い駄菓子が多いので、 次の日の胃もたれが気になることくらい(笑)


駄菓子を食べていると、自然と子どもの頃の話題になって、その人の核の部分に触れられるような気がしておもしろいですね。


また「おやつは300円」というルールでやると、みんな似たようなお菓子ばかりになるかな? と思いました が、それぞれの個性がバッチリ反映されていて見事にバラバラでした。


300円のおやつがそのまま名刺代わりになるというか、その人の本質を表しているようにも見えました。奥が深い!


今回は20代中心でしたが、世代がバラバラのほうが「え? こんなお菓子初めて見ました!」という発見がありそうなので、いろんな世代を集めてやったほうが盛り上がるかもしれません。





毎日暑っいですね。

猛暑日、そして夜は熱帯夜で寝苦しい日が続いています。

みなさん、体調は崩されてませんか?

マスクをしているせいか、水分補給の頻度が減っているように感じます。

適度にマスクを外し、熱中症対策をしっかりして過ごしてくださいね。

今年の夏は本来とは異なり、おもいっきり夏を満喫!とはいきませんが、笑顔で健康に過ごせますように願っています。



それでは。