アドバイスとお節介って本当に紙一重。

ゴルフの打ちっぱなし場で勝手に手ほどきをしてくるおじさんなんかがよく話題になるけれど、大抵の場合、当人は善意を持って、良かれと思って、相手のために、「アドバイス」をしている。だがそれは時に、お節介、余計なお世話と言われてしまう。

それはおじさんのみならず、歳をとってくると特に、気付かぬうちに、してしまっているものだし、もちろん求められる機会、つまり教えを乞われることだって増えるから、区別が付きにくくなるのも仕方がない。

その、一番分かりやすい区別方法は、

相手がそれを求めているか、

に尽きる。

それはセクハラなどのハラスメントと同じ構造であり、相手の感じ方次第だからこそ、判断が難しく、過ちを犯してしまう。

アドバイスは自分がしたいからするのではなく、「相手が求めているならばするもの」という認識を常に持っていないといけない。

そして、アドバイスをする上で、自分が責任を果たせるかどうか、その覚悟があるかどうか。好き放題言っておいて、あとは君次第だよ、みたいな人はアドバイスすべきではない。仮に相手が上手くいかなかったり、失敗したりしたとき、尻ぬぐいするくらいの気概を持っていなければダメだ。ちょっとした思い付きで、軽い気持ちで、言うな。

更に言うと、うまくいったときに、私が教えました、みたいな顔をするやつもダメだ。心の中で思う分は百歩譲って許すとしても、手柄を奪うような真似を絶対にしてはいけない。

ついでに言うと、それ相当の覚悟を持ってアドバイスしたとしても、その覚悟した分だけの重みがあるように言ってもいけない。相手にその強い意志を悟られたら、負けだと思っていい。

これが出来ないならば、アドバイスをすべきではないし、したとしたらそれは単なるお節介だ。

相手との関係性によっても、もちろん尺度は変わるだろう。アドバイスがほしいと思っていても、それを出せずに苦しんでいる人もいるだろう。だからジャブは打っていい。相手がどういう状態なのか、出来る限り把握した上で、軽いアドバイスを入れてみて、その反応を見てみる。

判断は非常に難しい。上下関係があるならなおさら、「いらない」と思っていても、それを表面化できない人もいる。強引なお節介によって、結果救われるパターンだってある。だから全部ダメだと言えない。言えないけれど、やはりアドバイスをする側の、心意気は常に持つべきだと思う。

と、お節介よりのアドバイスをしている人を見て、我がふり直さねばと思った。みんな合わせ鏡。自分は大丈夫、ということはない。それを判断しているのは自分自身だから。自分の物差しは大切だけど、疑ってかかる目を忘れてはいけない。

何だか今日は説教くさい。

備忘録として。