「わたしは好奇心の強い人間です」

「わたしはリーダーシップがあり、ポジティブです」

「わたしは負けず嫌いなタイプです」

就職活動とかオーディションとか、時に初対面の人との会話で、自己紹介をする機会はよくある。ある程度歳を重ねると、その状況に慣れもするし、(真実はどうであれ)それなりのことを言えるようになるし、大抵の人はその回数も減っていくだろう。

テンプレート化されたものの中から、自分に大外れしていない内容のものを抽出し、アレンジし、並べて、相手に伝える。正直、自己紹介にそこまでのバリエーションなんてない。大方の人が、一見短所と見える点をさぞかし長所のように話し、一見長所と言うには忍びない点でも風呂敷を広げたように誇張して話す。

それが自己PRであるからいいのだ。本人がそう思っている、もしくはそう思いたいならばそれでいい。

だが。

他人から言われるものに関して、わたしはいつも「?」が浮かんでしまう。それが例えポジティブに捉えられるものであっても。

よく自己紹介で、

「周りからはよく優しいと言われます」

みたいに書く人が多い(マッチングアプリの指南書にも書いてある)。要は主観的なものだけでなく、客観的な評価も入れたほうが信憑性が上がるよ、みたいなアドバイスが書かれているからだ。

確かに、周りにそう見えているのだとしたら、それは受け入れるべきかもしれない。だけど、天邪鬼で、ひねくれもののわたしは、そうならない。

「明るいね」

と言われても、その表現は、その装飾は、正しいのか?と思ってしまう。一般的に見ると、もちろん誉め言葉だろう。でも「明るいんだ、そっかー!嬉しい!」となった試しがない。

自分を暗いとは思わない。でも本当に「明るい」のか?明るいというのは例えば、常にテンションの高いフワちゃんとか、いつも笑顔の佐藤栞里さんとか、あの辺りのレベルのことを言うのではないのか?みたいな、比べても仕方ないもの(もっと身近な人も含め)を引き合いに出してしまう。

更に言うと、

「真面目だね、几帳面だね」

には全否定したい気持ちになるし、

「体育会系だね、礼儀正しいね」

も、いやいやいや。。。と思ってしまう。

一方で

「面白いね、変わってるね」

は素直に嬉しかったりする。

結局、自分が言ってほしい言葉かどうかという結論に至るわけなのだけれど、それだけではなく、その人が言ってくれるわたしを修飾する言葉が、自分の思うそのレベルに達していたら納得できるけれど、そうでないと疑問が湧いてしまうということだろう。

素直に

「ありがとう」

「そっかー嬉しい」

と誉め言葉として言われているならば受け入れりゃいいものを、わざわざ真意を確かめたくなるからややこしくなるのだ。

だからきっと

「ややこしいなぁ」

と言われたら納得するのかもしれない。

いやきっと

「そうでもないのになぁ」

と思うだろう。

根底には、ありきたりな装飾されたくないという思いが働くのだろうから。

やっぱり

ややこしいやっちゃなぁ。