①39歳
②独身
③福岡出身
④高身長
⑤趣味登山


今のわたしを形容する最も簡素で代表的な言葉たち。

初対面の人に、このワードを並べれば、それなりに会話が出来る。そして知人がわたしを誰かに紹介するときも、このワードで第一段階は事足りる。もちろん「役者をやっている」とか「脚本を書いている」とか付け加えるとより興味を引くことが出来るかもしれないが。

①&②と来れば、「結婚は?」「彼氏は?」の質問は当たり前だし、何なら「誰か紹介してください」と願い出ることも多々ある。死にもの狂いで求めているかと言われると自信はないが、ある程度の必要性は感じている。そうなると「どんな人がいいの?」は”ここテストに出るよ!”くらいの確率で聞かれる質問でありながら、毎回答えに窮する難問でもある。

その時の制限(条件3つまで等)であったり、気分やコンディションであったり、環境であったり、で返答も変わってくるものだが、絶対に外さない条
件が一つだけある。

それは

「身長が自分と同じか高いこと」

そう言うたびに「身長がすべてじゃない」とか「ほとんどいない」とか、その意見はおそらく間違ってはないのだけど、その条件はあまり”言うべきでない”とされてきた節がある。

身長で相手を選ぶなんて。
自分が大きいだけだろう(わたしは176㎝)。
大きい女性が好きな男性も多い。

など言われ、その条件を消すことを求められているような気分になったし、その条件を言っている限り「一生無理だ」とも言われているような気がした。好条件ばかり求める嫌な女と見られているような気さえした。言わないほうが正解なんだろう…そう思いながらも(仕事関係の方や明らかに自分より背の低い男性がいるときは控えつつ)心を許している友人などには言い続けてきた。

身長がすべてではないことくらい分かっている。現に自分より背の低い人とお付き合いしたこともある。それでも外せないのは高望みしているだけなのか?自分より背の高い人と歩くほうがカッコイイと見た目ばかり気にしているからなのか?そうだとしたら自分って人間としてどうなの?でもやっぱり外せない。そのループに陥る。結局、相手もいない(それは別問題か)。

それでも懲りずに「身長が高い人がいい」と話していたら、やはり「その理由」を聞かれた。いつもだったら「並んだ時のバランス」とか「相手を見上げたい」とか適当なことを言うのだけど、その時は

自分が背が高い女だと思わなくていいから

と答えていた。


わたしは背が高いことをコンプレックスに思ったことはない。もちろんメリットデメリットを常に感じてはいるけれど、それで引きこもったり卑屈になったことはなく、むしろそれをスポーツや実生活で生かしてきたタイプである。だから、自分で言っておきながら、本当に目から鱗が落ちる感覚だった。

「デカい!」「背伸びた?」は挨拶代わりだ。それに対する受け答えはもう何千万回としてきて慣れている。だから傷つくとか嫌な気持ちになることはほとんどない。逆に「モデルみたい」「スタイルいいね」の誉め言葉に対しても、正直ほとんど感情がない。もちろん嬉しいけれど、やはり挨拶に近い感覚だ。

つまりもうその社交辞令なんだかイジリなんだか誉め言葉なんだか分からぬその枕言葉なしに接してくれる人を求めていただけなんだと気付いた。それはきっと「背が高い人」ではなくて「身長のことを何にも言わない人」と表現するほうが正確かもしれない。

もちろん人間だから相手の特徴やいいところを、初対面ならなおさら伝えたいと思うだろう。身長なんて分かりやすいポイントだから、言うのは当たり前である。それを責める気はない。むしろ有難うとさえ思う。わたしだって自分より大きな人には言うかもしれない。

それでも。

もう飽きてるんだよきっと。
身長について語られることに。
心の奥底で「またか」と思ってる自分がいる。
誰も悪くないのも分かってる。
でも飽きちゃってるんだよ。
それは許してよ。
ちゃんと笑顔で受け答えするから。
だから、外せない条件に入れさせてよ。身長くらい。