ある作品を観たら、次はその脚本家や監督、役者の関わった別の作品を観たみたくなるものである。まるで数珠つなぎのように。
前回:『九十九龍城』

 

 


【数珠つなぎ経緯】
2度目の目黒シネマに行ってきた。
前回の様子☟

 

 


旧作ではあるが、映画館が定めたテーマを元に洗練された2本を1,500円で観れるという素敵な空間。

公演が終わり一区切りついたので、目に入ったものの中で興味が持てたものを片っ端から平らげていくというインプットをしまくるタイムに入っている。

その序章が目黒シネマである。
ホームページを見ると、今回のテーマは「~父と娘、家族の絆を結ぶ2本立て~」だった。家族というテーマはわたし自身、恋愛よりも身近である。今恋人がいないという理由ではなく(それもあるけれど)、思い悩んだり、煩わしいと感じるのはどうしてか家族についての占める割合が多い。そして何となく泣けそう。舞台があってどこかずっと緊張していたから、緩めるための涙活も必要である。
上演中の映画の詳細をろくに確認しないまま、軽い用事を済ませたその足で目黒シネマに向かった。

1本目がその「パーフェクト・ノーマル・ファミリー」

デンマークの映画を見るのは初めてかもしれない。役者さんも知らないし、言葉も英語ではない。


【あらすじ・感想(ネタバレちょい)】
かわいい赤ちゃん(エマ)を映した幸せあふれるホームビデオから物語は始まる。撮影しているのはパパ(トマス)。その赤ちゃんには姉(カロリーナ)がいて、優しそうなママがいる。パパはサッカーが好きなようで、赤ちゃんと一緒に見ようと準備をしてー。

それから10年後くらい?エマはサッカー少女になっていた。新しくやってきたコーチが気に食わず文句を言うエマにトマスは「本(雑誌)を表紙だけでつまらないと決めてはダメ」つまり「人を外見で判断しちゃダメ」と話す。

【なんていいお父さんなんだ!】怒らずに優しく人としての在り方を諭すパパに、この先はおそらく家族に困難ー誰か死とか災難のようなもの-が訪れ、それを乗り越えるという涙チョチョ切れの感動ストーリーを期待した。

家族でピザを食べている最中、ママが突然「パパとママは離婚する」と言い出す。【あぁ出た。こんないいパパにも女がいたか、やはり】と憤りは感じるものの、構成的にはやむなし、と先の展開を考えていた矢先…



「パパは女性として生きていきたいって」


はぁぁぁあああ?????



エマと同じがそれ以上驚いたよわたしは。声が出ちゃいそうだったよ映画館で。

【あぁ、そっちね】と無理やり感情を飲み下した。もうどっちかどっちかも分からないけれど。そこで初めて、タイトルとか、トマスが冒頭で言った「人を外見で判断してはダメ」の本当の意味とかが効いてきて。

そこからは、エマと、ママと姉の葛藤とか、もちろん女性として生きながらも、娘たちのパパ(というより親)であろうと努力するトマス(女性としての名前はアウネーテ)の痛みとか、涙腺崩壊シーンはたくさん出てくる。

わたしは親になったことがないから、もういい年だけどやっぱりエマに共感しちゃうところが多かった。年齢がどうこうじゃなくて、親の前では誰しもいくつになっても子どもだし、親の変化(老いとかも含め)に対して子どもはいつも戸惑わされることが多い。

だから比較的スムーズに受け入れて応援していたカロリーナはすごいと思う。自分がエマやカロリーナの立場だったら、頭では分かっていても、親をクラスメイトに会わせたくなかっただろうし、旅行したり一緒に住んだりも出来ないと思った。気になったのは、どうして二人ともアウネーテと住むことになったのかということ。ママ側に恋人がいたようにも見えなかったし、ママがそれを許すのが不思議だった。これは文化の違いなのだろうか。

とにかくエマの心情が切なくて切なくて。
パパの影響でサッカーが大好きになって、きっと褒めてもらうためにサッカーを頑張ってきたエマ。アウネーテが旅行先で知り合った女性に「サッカーって面白さが分からない」と冗談を言うシーンがあったのだけど【さすがにそれは言っちゃダメだよアウネーテ!】と思った。怒ったエマは帰ろうとするけれど、カロリーナに宥められてアウネーテの元へ向かう。そして優しくハグされる。突き放したいけれどやっぱり求めてしまう。そんな「拒絶」と「受け入れ」の間でエマはずっと揺れていた。お酒のせいで思わずアウネーテに対して「嫌い」という本音(ではないのだろうけど)が出たとき、【誰も悪くないはずなのに何でみんなこんなに苦しまなきゃいけないんだろう】って胸がギュッとなった。

自分の幸せと家族の幸せを求めるのは悪いことじゃない。
そこにどんな逆境があるのかを理解したうえでトマス(アウネーテ)はカミングアウトをした。想像を絶する葛藤と勇気があったと思う。きっとそれは自分の”性”が変わろうと、娘たちを「愛する」気持ちは変わらない自信があったから出来たこと。

完璧で、普通の、家族なんてありえない。人の数だけ、その組み合わせの数だけ、無限に広がっていく。他人に理解されなくてもいい。自分たちが納得できたり、居心地の良さを感じたりできる場所が、あるならば。

多様化が叫ばれる世の中で、生き方も、人との関係性も、変わりつつある。当たり前や普通と呼ばれていたものは単なる”多数派”だっただけで、そう呼べない時代になった。「自分だったら…」と一度立ち止まって考えることが出来たなら、必ずしもすべて受け入れなくてもいいと思う。受け入れないという多様性も理解しなくてはならないのだから。

 

 

エマを演じているカヤ・トフト・ローホルトちゃんめっちゃ好き。
大きくなったらジュリアロバーツみたいになりそう。
脚本・監督の実体験をもとに作られているそう。道理で…リアル。


【次の作品】
もう一本の上演作品『かそけきサンカヨウ』