1月13日 日曜日 幸せになる”心のあり方”
~迷ったとき、悩んだときの我が人生の拠り所となれば~
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● 自分の力を引き出す
「お百度参り」というのがある。
「お百度」とも言うが、神前または仏前までを境内の一定の場所から百回往復して参拝し、願い事が叶うように祈ることである。
それほどの強い願いがあれば、その影響はいろいろな面に伝わり現われて、その事が出来るようになるのは、しごく当然である。
神仏と言っても、それは自分自身の中にこもる神秘的なエネルギーのことである。
神符(しんぷ)や仏像がそうさせるのではない。
それらは神仏のシンボルともいうべきものであって、大宇宙にみなぎる霊妙(れいみょう)な偉大な力(これでも表現できないが)の「しるし」、代わりといったようなものだ。
人間の力は弱いように思われるから、偉大なそうしたものにお願いをして、目的が達せられるように祈るのだが、もともとは自分の生命力の純粋さ、すばらしさによるものである。
その力をますます引き出し、発揮するのは、他ならぬ自分自身なのである。
もともと自分自身の中には、そうした力があるのである。
特定の宗教を信じない人でも、強い願いをある行(ぎょう)に現わして、その力をいよいよ発揮する場合は、実に多い。
<丸山竹秋 「つねに活路あり」 p266>
◆ 今から50年以上前、しろしろジイチャンが小学生の頃、時々母に連れられて、粕屋郡の若杉山にある不動明王が祀られている養老の滝におにぎりを持って行ってました。
当時は険しい山道しかなく、一歩一歩登って、養老の滝のあるお寺に連れていかれてました。
昔は、急斜面の細い山道を、金剛杖をつきながら2時間かけて登ってきた場所です。
お百度を踏んだお堂が後方に見えます
◆ 母は、父と早くに死に別れて(昭和26年9月)、女手一つで残された5人の子どもを育てなければならない境遇にありました。
生活上での辛いことも苦しいことも、この若杉山に登って、お百度参りをしてました。
まだ末っ子で6歳位のころのしろしろジイチャンも母に連れられて、何もわからないなりに、言われるままにお百度を踏んでました。
ブツブツと般若心経を心で唱えながら、母は御堂を百回廻ってましたが、しろしろジイチャンも、「二人だと50回づつで済むから、後ろからついて来なさい」と言われて、スナオについていきました。
いま考えてみると、子ども心に、スナオに無心になって廻ってたような気がします。
◆ 母はまた「願を掛けてるから、大好きなお茶を今は断っている」ともよく言ってました。
母はいつもニコニコしていて、決して私たちにはグチ一つ、口に出した姿を見せませんでしたが、女手一つで5人の子どもを育てなければならないという情況にあり、この若杉山の養老の滝に来て、お百度を踏んで、生活の相当の苦しさを乗り越えようとしていたのだと思います。
今日の言葉を頂いて、今は亡きいつも笑顔の母の顔が浮かんできました。
「お百度」とも言うが、神前または仏前までを境内の一定の場所から百回往復して参拝し、願い事が叶うように祈ることである。
それほどの強い願いがあれば、その影響はいろいろな面に伝わり現われて、その事が出来るようになるのは、しごく当然である。
~しろしろジイチャン~


