11月19日 月曜日 幸せになる”心のあり方”
~迷ったとき、悩んだときの我が人生の拠り所となれば~
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● 死は最高次の”生”
死というのは、生存中、呼吸の主体として、人間の肉体にまで出張
して来ていた霊魂(れいこん)が、故郷に帰るのである。
死が荘厳にして、入り日(夕陽)を仰ぐがごとく目出たくゆかしい
のは、本体に帰るからである。
死が悲しいのは、永の別れであるからではない。
初めて会った時が、一種何とも言えない、不可思議の心情になるよ
うに、この世での別れとなると・・・・・これっきりとなると・・・・・神秘
な高い感情に打たれて、ただ頭が下がるのである。
死は、永世の安らぎである。
暗ではなくて、無量の輝きである。
しかしながら、生活を正しくする術(すべ)を知らずに、ただ死の
瞬間の安楽を願おうとするのは、屋根を作らずして雨をよけようと
する類(たぐい)である。
ただ死の直前でも、生前の生活のあやまりの一切をさとり、わび
て、その罪を消し、または偉大なる他者の力を借りて、罪を消して
しまうことが出来れば、堂々と大死を出来ることが出来よう。
死は最高次の”生”であり、永遠の輝きである。
<丸山敏雄 「清き耳」 p171>
◆ しろしろジイチャンも「死を意識して生きる」ことも大事な気がする年齢になりました。
誰ひとり死を避けることが出来ません。
平等に与えられた人としての宿命です。
生かされているわが生命をどれだけ大切にして生きるか?
見事な死に方を願うなら、見事な生きようをしなければならない!と、丸山敏雄師から教えてもらっています。
◆ 今朝月曜日は福岡市東倫理法人会での経営者モーニングセミナーに参加して帰りに、いつもの通り、途中にある博多区御供所にあるしろG家の菩提寺の幻住庵に墓参に行って、ご先祖さまに近況報告をし来ました。
今朝は特に冷え込んでましたので、秋の深まりを強く感じて、ついつい短歌が出て来ました。
幻住庵にこんな言葉が石に刻まれていました
「常楽我浄」(じょうらくがじょう)
お釈迦様の仏教用語のようです
常 - 仏や涅槃の境涯は、常住で永遠に不滅不変である
楽 - 仏や涅槃の境涯は、人間の苦を離れたところに真の安楽がある
我 - 仏や涅槃の境涯は、人間本位の自我を離れ、如来我(仏性)がある
浄 - 仏や涅槃の境涯は、煩悩を離れ浄化された清浄な世界である
これが「常楽我浄」である。
◆ 12月のしきなみ短歌会(倫理研究所主宰)の勉強会用の歌が出来ました。
12月に皆さんに推敲してもらおうと思っています。
●秋深き禅寺訪ぬ吾(われ)一人
木々の紅葉(こうよう)色めき迎ゆ
●早朝の禅寺の道聴こゆるは
静寂の中鳥々(とり)のさえずり
●深まりぬ秋の風情を感じつつ
幻住庵への道を歩まん
●ご先祖のおわしましたる幻住庵
秋の冷気に身の引き締まる
●お墓へと続く木立を歩みつつ
深まる秋に霊気ただよう
幻住庵正門
ただ死の直前でも、生前の生活のあやまりの一切をさとり、わび
て、その罪を消し、
または偉大なる他者(ご先祖さま)の力を借りて、罪を消して
しまうことが出来れば、堂々と大死(大往生)を遂げることが出来るであろう。
ありがとうございます
~しろしろジイチャン~






