8月6日 月曜日 幸せになる”心のあり方”
~迷ったとき、悩んだときの我が人生の拠り所となれば~
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● 我の外(ほか)に何物もなし
実は、世に我(われ)の外(ほか)には、
何も無いのである。
我(われ)が目で見た花であり、
我が耳で捕らえた鳥であり、
我が手で触れたモノ(物質)であり、
我が全身に知った人々であり、
社会であり、科学であり、芸術である。
我がある故(ゆえ)に、自然がある。
我があって社会がある。
我あってはじめて存在する宇宙である。
ゆえに、我の外(ほか)に何物もない。
ことごとくが我である。
存在は、ことごとく我であり、
我の外(ほか)に何物もない。
大宇宙、即(すなわ)ち我である。
故(ゆえ)に「我(われ)」と取り立てていう我はない。
<丸山敏雄 「純粋倫理原論」p72>
◆ いまこうして生命があり、生かされている自分があることを知りなさい、と教えてくれでいるようです。
身に起こる良いことも悪いことも全部、我(自分)なのですね。
どんな環境でも、境遇でも、大宇宙、大生命の元に生かされているのが、我(われ)つまり自分である、ということでしょう。
◆ それなのに、色々な物に、人に、情況に、待遇に・・・不足不満を言い、好きだ嫌いだと、ワガママを言う自分がいることに気が付きます。
これでは、せっかく親から頂いて生まれてきた我(自分)を粗末にしていることに気が付きます。
森羅万象のことごとくもすべて「我」、このようにして、今日も生かされている自分に気づくことが出来ました。
◆ 大自然がそのまま残っている糸島の志摩町の友人宅を訪ねました。
庭先には盛夏の色とりどりの花が美しく咲いていました。
カンナでしょうか?
志摩にはこんなレトロな喫茶店も点在しています
野北牧場跡地より糸島名勝の芥屋の大門(けやのおおと)が遠くに望まれました
~しろしろジイチャン~






