1月28日 土曜日 幸せになる正しい生き方 (28)
~迷ったとき、悩んだときの我が人生の拠り所となれば~
● 日々の生活を大切に――わが仕事を愛せよ
その日その日の仕事を、愛しているか。
自分が日々働く職場を、”無上の働き場”と
考えているか。
ともに働く人々を、愛しているか。
これが、貧富の分かれ目である。
今日私のしている仕事は、
また、今日”ただ今”は、
私にとっては他にない仕事である。
これを立派に仕上げれば、
人が助かり、世が救われ、家が栄える。
この唯一の仕事を、なぜ大切と思わぬか。
その仕事の意義を知ったら、
心から喜んで、その仕事を愛する、
まごころを傾けて力を出す、心を尽くす。
そうせずにはいられなくなってくる。
<丸山敏雄 「人類の朝光」 p54>
◆ 丸山敏雄(明治25年5月~昭和26年12月没)は、
教育者であり、歴史研究者、書家、歌人、思想家でもあり、
今日の文部科学省所管の社会教育団体の(社)倫理研究所を戦後、スグの昭和20年9月に創設して以来今日まで、親子三代に渡って、敗戦で失ってきた日本人としてのあるべき正しい精神を取り戻すための、社会教育運動を続けています。
私たちの生活改善のための様々な実践を通して、
苦難や困難に直面した時の「心の持ち方」や「心のあり方」を
教えてくれています。
特に、「家庭の愛和」がその中心である、と述べています。
◆ 私たち一人ひとりが、日々、自分のの身の回りの生活改善を行うことで、家庭内の夫婦、親子、親戚関係を、会社を良くし、地域を、そして日本を・・・よりよくしていくために一人一人が「日本創生!」を目指して、自分の足下の実践を「朝起き」からはじめて、活動を続けています。
丸山敏雄ウェブは http://maruyamatoshio.com/
◆ 至らない自分への気づきと、
「苦難の原因になっているワガママを取り去る」ために、日々自分の足下(あしもと)を掘りながらの「一日一回の実践」が、このしろしろジイチャンのブログです。
当時、丸山敏雄が書きしるした「ワガママを取り去り、人が幸せになる様々な論文」の中から、少しづつですが、会員である自分の実践として、これまで購入してきた著書の中から、気がついた言葉を、その日、その時に、掲載させてもらってます。
先行き不透明な、こんな時代だからこそ、偉大な先人の生き方や教えを、スナオに学びたいものです。
人格の陶冶と、より良い人生の成就のために・・・・・
◆ 昨日は、しろしろジイチャンが理事をさせてもらっている会社が所属する「中部法人会」の一年に一回の会員企業訪問の日帰り研修バスハイクでした。
参加者は約50名でした。
◆ コースは福岡~鳥栖の積水ハイムの工場見学
~原鶴温泉ホテルパーレス小野屋でランチ懇親会と温泉三昧~朝倉杷木原鶴道の駅バサロで農産物の買い物~筑前町太刀洗平和記念館で戦争を語り継ぐ特攻機零戦が作られた太刀洗飛行場の歴史探訪~福岡の旅研修でした。
◆ まずは、セキスイハイムの住まいの工場ラインの見学
チョコレートや清涼飲料水や自動車を見学するように、見学者ラインがキチット安全に作られており、部門ごとの建築職人というよりも時間限定の工員そのもの。
次から次にコンベアーで流れてくる建築構造物を、ロボットを遣いながら、あっという間に組み上げていきます。
在来木造構造の家しか知らないしろしろジイチャンは、まさにカルチャーショック!
車の生産ラインとまったく同じように、鉄骨構造の家が流れ作業で作られてました。
一軒の家が、何と5時間で出来上がり、毎日5軒の家が出荷されているのです。
1軒の家の80%がこの工場で作られて、現場での作業は20%だそうです。
だから、現地現場での組み立ては5時間で完了するという驚異的な建築工法を目の当たりにしました。
地震対策はこの工法が最強です
震度7の体感実験もさせてもらいました。
今日までに震度7のテストを12,000回以上していても、窓枠もドアも外壁も寸分の狂いもなく保たれているのを目の当たりにしてきました。
今日の見学コースの説明と、セキスイハイムの特徴説明がありました
1部屋づつ、コンテナのようにトラックで現場へ運搬されますが、窓、ドアーなどの建具も寸分の狂いもなく届けられるようです
在来工法のように雨にさらされることもないので、材料の腐食も、断熱材の腐れもないそうです
1軒の家で、15~16個のコンテナを組み合わせ、つなぎ合わせ、積み重ねて作っていくそうです
家の製作工程の見学は、この材料から、~切断~溶接へと流れます
以上、ほとんどがコンピューター制御での流れ作業で
一軒の家を、耐震性に優れた普通の商品として出荷していました
◆ 温泉のあとは、ひまわりの里「道の駅原鶴バサロ」で
おみやげショッピング
戦争は、本当に悲しいものですね
これだけ見せられると、体裁よりもセキスイハイムで身の安全を守ることを最優先にする家を建てたい!という気になりますね。
コンテナ生活に変えてみるか?(笑)
◆ 日曜日には一般開放もされているようで、注文を取りやすい素晴らしい販売促進ですね。
「触れて納得! 見てスッキリ! ここは住まいの遊園地!」
これがうたい文句の工場見学でした。
次は、待望のお昼になりました。
◆ 原鶴温泉 ホテルパーレス小野屋での、ランチ懇親会と温泉入浴
落ち着いた静かなたたずまいの上級のホテルでした
初めてみました!
浴場は全部、水OK!の特殊ビニールのたたみ敷きです。
タイルや石と違って、雰囲気も変わり、実際の畳みそのもののような、ふわふわソフトな足ざわりでした
一緒になった子どもたちも、喜んで露天風呂へ
外気はとても冷えてましたが、湯上がりはぽかぽかで大満足!
◆ 温泉のあとは、ひまわりの里「道の駅原鶴バサロ」で
おみやげショッピング
フルーツ街道朝倉の農産物、柿、いちご、梨、ぶどうの産地です
皆さんたくさん買っていましたね。
◆一日研修の最後は、太刀洗飛行場後の見学です。
太刀洗は、一般にはほとんど知られていませんが、戦前までは、中国大陸に近いこともあって、陸軍航空隊の本拠地で、大正8年から昭和20年の敗戦まで、ここで零戦は作られていたそうです。
◆ 昭和20年3月 アメリカのB29からの1,000発の爆弾投下で、子供達30人も含めて、婦女子や若者約300名の犠牲者を出して、壊滅したそうです
戦争は、本当に悲しいものですね
特攻隊で有名な知覧はこの飛行場の分校でした。
当時、戦局が南方戦線であったため、戦場への距離の近い知覧が出撃基地となったようです。
しかし零戦は太刀洗~知覧~南方海上へと、飛び立っていったのです
距離的に近い中国大陸をにらんで作った太刀洗飛行場の詳しい歴史は、下記をクリックして下さい
知られていない意外な史実が書かれてます
満州~太刀洗飛行場から知覧へ向かう時、エンジントラブルで博多湾に墜落した零戦が引き揚げられて、ここに展示してありました
この飛行場から知覧へ向けて飛び立ち、特別攻撃隊員として、南方に散っていった多くの若者(18歳~)の遺影もありました。
涙せずには見れませんでした。
今日私のしている仕事は、
また、今日”ただ今”は、
私にとっては他にない仕事である。
これを立派に仕上げれば、
人が助かり、世が救われ、家が栄える。
ありがとうございます
~しろしろジイチャン~

























