9月5日 日曜日 今日の道しるべ
● 人を変えるより、まず自分が変わること
人は、機械とは違う。
操作しようとしても、思い通りにならない。
人は鏡に映った「自分の心の姿」なのだ。
そう悟ったら、まず自らを正す。
すると、人間関係は一瞬にして
プラスに変容する。
<倫理研究所発行 07'標語カレンダーより>
◆万人幸福の栞の第4条に、「人は鏡、万象はわが師」(万象我師)と丸山敏雄師は述べている。
4.人は鏡、万象はわが師 ー万象我師ー
人は人、自分は自分と、別々の生き物だと考えるとことに、人の世のいろいろの不幸がきざす。
実は人はわが鏡である。
自分の心を映す映像に過ぎぬ。
やまびこの呼べば答える、それにもたとえられる。
にこにこして話しかけると、相手は笑みかけて答える。
大声で怒鳴れば、むったして睨(にら)みかえす。
物売り来る。イラナイヨと、とつっけんどんに言うと、ピシャリと戸を閉め出ていく。
親子、夫婦、交友、隣人、すべてがわが鏡であって、わが心のままに変わっていく。
今日までは、相手の人を直そうとした。
鏡に向かって、顔の墨をけすに、ガラスをふこうとしていたので、いっこうに落ちぬ。
自分の顔を拭えばよい。
「人を改めさせよう、変えようとする前に、まず自ら改め、自分が変わればよい。」
(万人幸福の栞 p40~41)
と教えてもらっている。
◆「人は、鏡に映った自分の心の姿」という言葉の歴史は古い、それは中国古典にも、仏教や神道の宗教の教えの中にもある。
たとえば、次のように歌(=短歌)にも表現されている。
●みな人の悪しきは己が姿なり よく省みよ清きこころを
●天地(あめつち)の心は己(おの)が心なり 他に心の有りと思うな
●姿こそみなそれぞれに変われども 心のもとは一つなるらん
●天地(あめつち)の心のありか尋ぬれば 己が心の内にぞ有りける
(黒住宗忠 江戸時代末期の人)
◆また吉川英治は、「我以外皆師」(われいがい みなわが師) と言っている。
人を悪くばかり言うのではなく、それぞれの人から学ぶことはたくさんあるのだから、嫌ったり否定をするのはよくいない。
どこかいいところがないか探す、そういう姿勢を持ちなさい、という意味だと思う。
◆嫌いな人は、案外自分自身を磨いてくれる「砥石(といし)」かも知れません。
砥石が有ると、無いとでは、人としての成長は大きく違ってくるのではないでしょうか。
◆こう考えると、世の中には嫌な人、嫌いな人はいない!ということにもなりますね。
「人は鏡、万象はわが師」と受け止めて、自分を変えて行きたいものです。
◆以上が「人は鏡」の意味でしたが・・・次の「万象わが師」とは・・・
これを広げていくと、人の世のすべては、自分の鏡であり、さらに草木(くさき)も、鳥獣(とりけもの)も、自然の動きも皆、わが鏡であることが判ってくる。
作物も家畜も、わが生活を変えれば、その通りに変わってゆく。
それだけではない。
求めれば、何事でも教えてくれないものはない、無上のわが師である。
自然は真理の百科事典、書籍(ほん)はその索引(インデックス)である。
万象は真理の顕現(けんげん)であり、芸術の開花である。
目を開いてこれを見、口をすすいでこれを味わい、心を空(から)にしてこれに対するとき、興味津々(きょうみしんしん)、地上は喜びの楽土と変わってくる。
古人は言った、 「万象是我師(ばんしょうこれわがし)」と。
まじめにこれに師事して尋ねる人には、正しく答えてくれる。
昔の人は天を父、地を母と呼んだ。
父母(ちちはは)その子の求めには、何物をも惜しまず与える。
与えられぬのは、ま心からこれを求めないからである。
「優れた人物は天を師とし、その次は人を師とし、その次は書物(ほん)を師とした」
と佐藤一斉の言志録に言われている。
(丸山敏雄著 「万人幸福の栞」 p41~43)
◆今朝の我が家の屋上から見た、東の空の日の出です。
このブログを書いてると、日の出を見たくなり、駆け上がりました。
「万象是わが師」です。

午前5時56分




