まずこれを読んでください。
「硫黄島の話。
硫黄島は「いおうとう」が正しい読み方である。
「いおうじま」という読み方は、日系のアメリカ兵がその読みの音を知らず、「いおうじま」と読んだことがきっかけだったそうで、つまり、「いおうじま」はアメリカ側の読み方だ。
したがって、日本人は「いおうとう」と読むべきなのであろう。
硫黄島は東京都小笠原村にある。
つまり、日本の島だ。
しかし、なぜか一般の日本人は硫黄島に行くことができない。
それなのに、映画「硫黄島からの手紙」の撮影ためにクリント・イーストウッドらは硫黄島に入ることができた。
その理由を防衛省は、「アメリカの国務省が要請してきたから」だと言う。
しかし、日本の領土にアメリカは関係ないはずだ。
先の戦争時、硫黄島には日本人兵士2万1千人が派兵された。
この時戦争は末期だったため、ほとんどの人が職業軍人ではなく、元は一般の方々だった。
その2万1千人のうち、無事生還出来た者はたったの1033人。
お骨として帰って来た者は8千人ちょっと。
残りの1万人以上の日本人の骨がまだ埋まったままだ。
しかも、彼らは今の多くの日本人に忘れられている。
アメリカ軍は硫黄島を占領した後、たくさんの日本兵の遺体の上にそのままコンクリートを流し、滑走路を敷いた。
戦後から23年後、アメリカから返還された硫黄島は自衛隊が管理することになり、埋もれた彼らの骨を拾うためその滑走路は、ずらされた。
しかし、完全にずらしたわけではなく、元の位置と大部分が重なるため、まだたくさんの骨がそのままである。
自衛隊機や硫黄島に来る飛行機は、今でも彼らの骨の上で離着陸をおこなっているということだ。
硫黄島には、日本兵たちが掘った地下壕がある。
その地下壕は、手のひらの長さぐらいの大きさしかないトンカチなようなもので掘られた。
1日に1メートルしか掘り進めなかったそうだ。
しかも、硫黄島は地熱や島の位置などから、時には気温が60℃を超える。
連続した作業は5分も続かなかったそうだ。
その壕は入り口から奥までは狭いが、奥の空間はちゃんと人が立てるぐらいの広さがある。
奥までの狭い通路は曲がっていたり、側面には穴がいくつか掘られている。
これは米軍の攻撃が壕の奥にまで届かないようにするためだ。
側面の穴は火炎放射器の火炎の抜け道になる。
栗林中将(映画「硫黄島からの手紙」で渡辺兼氏が演じた役)は、部下たちに「自決」と「万歳突撃」の禁止を命じた。
これには部下たちから批判が続出した。
なぜなら、硫黄島が陥落されることは、みんな分かっていた。
であれば、潔く最期を遂げるのが、日本兵の武士道ならではの習わしだったからだ。
特に捕虜になることは恥ずべきとされていたからである。
しかし、栗林中将には考えがあっての命令であった。
硫黄島はアメリカの軍事戦略上、重要な島であった。
なぜなら、アメリカにとって、硫黄島は日本への本土爆撃のための拠点として必要だったからである。
とすれば、硫黄島の陥落が一日伸びれば、一日爆撃が遅れる。爆撃が一日遅れれば、その一日分、日本国民の命が救われる。
したがって、潔く死なずにできるだけ粘る方が良い。
栗林中将はみんなをそう説得し、日本国民を護るために戦っている日本兵は納得した。
そして、硫黄島の陥落をアメリカは5日間を予定していたが、日本軍の奮闘で36日間もかかった。
31日分の日本人の命が救われた。
その救われた命は誰の命だろう。
陥落されると分かっていながら、灼熱の60℃の中で地下壕を堀り、蒸し風呂状態の壕の中でじっと耐え、武器を持って、強力なアメリカ軍に立ちはだかった。
これは生半可な気持ちでできるわけがない。
なんのために、日本兵はここまでしたのか。
それは決まっている。
本土にいる女・子供のため、我々の未来のため、つまり私たちのためにやったのだ。
その彼らが命を懸けて護った日本は今どうなっているのか。
親が子を殺し、子が親を殺し、仲間をいじめて自殺に追い込み、連日のように異常な犯罪ニュースが流れ、大した事件でも何も感じなくなってはいまいか。
個人主義がはびこり、自分にしか興味がなく、自分の為にしか生きていない。
硫黄島で散った兵士たちは我々をどう見ているだろうか。
我々がこの日本をどんな国にするのか。
我々がやらなければならない。
アメリカ兵の遺族は国費で慰霊のために硫黄島を訪れることができる。
また遺骨のほとんどがアメリカに帰ることができたそうだ。
しかし、日本の遺族は硫黄島まで自費で行くか、ボランティアの援助しかなく、多くの遺骨が埋まったままだ。
クリント・イーストウッドは、「硫黄島からの手紙」の撮影の際、日本人スタッフらに硫黄島での戦いについて尋ねた。ところが、日本人スタッフは誰もその実態を知らなかった。
クリント・イーストウッドは大変驚いたそうだ。
硫黄島の戦いは、日本が圧倒的に不利でありながら、日米間でもっとも激しい戦いで、唯一米軍の損害が日本の損害を上回った戦いだった。
そんな戦いをした栗林中将にアメリカは尊敬をしていたからだ。
そのため硫黄島はアメリカにとって日米戦の勝利の象徴になっていた。
硫黄島から生還された方に、金井啓さんと言う方がおられる。今年83歳の元海軍下士官だ。その金井さんに、独立総合研究所の青山繁春氏がこんな質問をした。
「日本は悪者だったと教えられたため、日本人はみんな無関心になってしまったのでしょうか?」
すると、戦後多くをずっと語らずにいたという金井さんが、
「その通りだよ!俺達のどこが悪者なんだ。あなた方を守るために私たちは闘い、みんなは死んだんだ!」
そうして、次のように語った。
「帰って来てから水のことが忘れられない。地下壕でじっとしている間、タンクにある水だけが頼りだった。仲間が死ぬ寸前、水をくれというので、水と言っても60℃ぐらいありますから熱湯です。その水を末期(まつご)の水として、仲間の口にあててやるんです。そうすると熱湯だから唇が腫れるんです。だから、今はキンキンに冷やした水を仏壇に供えてやっているんです」
栗林中将は戦闘で斃れる間際このような短歌を詠った。
『国の為 重きつとめを 果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき』
金井さんは青山氏と別れるとき、小さく海軍式の敬礼をした。 」
どうか、みなさんこれを見てください。
どうか最後まで見てください…
みてくれた方で関心を持ってくれた方が一人でもいたら、
御水を南に捧げて祈ってください!
そして、民主党に「硫黄島の遺骨収集はどうなったんだ?」
とメール送ってください!
私はもう送りました。
これは右でも左でもありません。
「人間として感謝できるかできないか」の話です。
感性の問題です。
どうか何卒よろしくお願い申し上げます。
硫黄島のブログ。
http://d.hatena.ne.jp/hyuga226/20090830
硫黄島で戦った米国軍人は英雄、国、国民に賞賛を浴びました。
私たちを命をかけて守った日本兵は・・・
硫黄島いまだ玉砕せず (文藝春秋 1993年、のち文春文庫)上坂冬子を読んでいただければわかりますが、遺骨収集のときに頭蓋骨の数があわなかったのですよ!
米国軍はお土産で日本人兵の頭蓋骨をもちかえりました。
戻ってきたのは一個・・・
反日売国勢力は隠しつづけ、大東亜戦争の大儀を捻じ曲げ続けています。
友人が「硫黄島からの手紙」のある登場人物の直系で、色々と話を聞いたことがあります。
硫黄島に慰霊に行く企画も考えていますが、民間だと、なかなか許可がおりないのが現状です。国が慰霊祭主催や遺骨収集にもう少し積極的になっていただければいいのですが・・・。
泣きました。
しかし救ったのは31日分の命だけではないと思います。
この抗戦でアメリカは日本人の底力を感じたのではないでしょうか。
少なからずアメリカ軍の日本の評価が変わったと信じたいです
いつか私は靖国にいって英霊の皆様に感謝したいです。
本当にその通りです。土曜日にナショナル・ジオグラフィックの空母「ロナルド・レーガン」を取材した番組を観ました。
その中でサンディエゴに帰る途中真珠湾に寄るのですが、アリゾナ記念館の側を通過する際は総員登舷礼で、記念館が見えなくなるまでの15分間敬礼をするそうです。
また彼らは賞賛に値する敵には賛辞を惜しみませんでした。ニミッツ提督は「ペリリューで戦った日本兵のことを後世に伝えて欲しい」という言葉を残しましたし、ミズーリのキャラハン艦長は自分の艦に体当たりして果てた日本の航空兵の勇気に感服し、不平を鳴らす水兵に「勇敢な兵士にふさわしい処遇をしたい」と説得して、手製の海軍旗を作って遺体をそれに包み水葬に付すと言う海軍軍人として最高の礼を以って弔いました。真珠湾にも奇襲の際被弾して弾薬庫に突入した日本の航空兵を称えた碑があります。
当初彼らが「獅子身中の虫」扱いをした442連隊や100大隊は、今や陸軍では「陸軍の誇り」としてその歴史を教えるほどです。
親日家でもあるイーストウッドはアメリカ人でありながら、日本の戦いぶりも伝えたいと思ったのでしょう。わざわざ二つの視点で映画を撮りました。
しかし現代の日本人がアレではイーストウッドも落胆したかもしれません。
アメリカもとんでもない連中と喧嘩をしてしまったと思ったのは間違いないでしょう。戦後昭和天皇に咎が及ばないように必死になっていたのは、もし有罪判決が出て陛下を罰したらそれこそ「トラの尻尾を踏みつける」愚行を犯すことになり、その後の統治が不可能になることもありえますから。
それに実際「日本とだけは二度とやりたくない」と言う言葉もあるほどです。
>>アメリカ兵の遺族は国費で慰霊のために硫黄島を訪れることができる。
また遺骨のほとんどがアメリカに帰ることができたそうだ。 しかし、日本の遺族は硫黄島まで自費で行くか、ボランティアの援助しかなく、多くの遺骨が埋まったままだ。
現行インスタント憲法支配下にある、日本国家の冷情体質がここにも表れています。
>>クリント・イーストウッドは、「硫黄島からの手紙」の撮影の際、日本人スタッフらに硫黄島での戦いについて尋ねた。ところが、日本人スタッフは誰もその実態を知らなかった。 クリント・イーストウッドは大変驚いたそうだ。
同映画製作に際して、クリント・イーストウッドの日本人への熱い思いを込めた語り方が印象に残っています。
>>「その通りだよ!俺達のどこが悪者なんだ。あなた方を守るために私たちは闘い、みんなは死んだんだ!」
今の日本国安泰は硫黄島の戦没勇士の基にあるのです。インスタント偽平和主義憲法が故ではありません!
映画がきっかけで、自分なりに調べたらすごい事実がわかり、これではいけないと痛感しました。
歴史までも伝えなかった日本は、こんなにながく誰に遠慮してきたのだろう。
上陸して亡くなったり、霊体験もあるからなのか、行けない島のままにしてはいけないと思います。
麻生さんがせっかく遺骨収集するようにきめたのに、民主ではまずここまで、頭はないですから、これさえ足止めにしますね。
英霊は、ほんとに本国に帰りたがっています。
まずは帰還していただかないと、島から出られないままですから。自衛隊も本来の活動もできないし、人も入れません。中国から護るためにも、なんとか麻生さん案実行しないとならないですね。
一昨日、靖国に参拝し、そのついでに売店の書籍コーナーで硫黄島玉砕のことを立ち読みしたばかりだったので、すごくきになりまして。
涙が出て止まりませんでした。
硫黄島関連では、新藤義孝議員が栗林忠道の孫だと言う事を知っています。新藤さんとは、3年前の7月に川口で会いました。新藤さんに栗林忠道の話をしたら喜びました。
これから、太平洋戦争は、「大東亜戦争」
日中戦争は「支那事変」
中国人は「支那人」
中国は「中華人民共和国」または、「共産支那」
中華民国は「台湾」
以上で書き、言いましょう。
こんなに大事な戦いを日本人はなぜ知らないのでしょう。
戦争から60年余り、、、日本は経済大国という地位を得た代わりに
一番大切なものを失くしてしまった気がします。
青山さんの硫黄島のお話は前にも聞いて不覚にも泣いてしまいましたが、今回もまた泣いてしまいました。
子供の頃、東京大空襲の話は祖母から聞いていましたが、もしもあの硫黄島の戦いで栗林中将以下2万人強の日本軍が36日間、米軍を引き止めていなかったら、もっと酷い空襲があったのですね。
政権交替していなければ、今頃は滑走路の下の遺骨収集の為の準備(新滑走路作りの為、まずその予定地の遺骨収集)が始まっていたのでしょうが...。
私もまずは南に向けて冷たい水をお供えする事にします。
大東亜戦争のことを知れば知るほど、日本はもっとも大切な心を欧米に奪われ、その誇りを太平洋に忘れてきてしまったのではないか?と思わずにはいられません。
かつて日本国を守るため、自らの命を賭して戦い散っていった英霊は、現代の日本を見てなにを思うのだろうか?と思わずにはいいられません。
彼らの守ったこの国と人を、いつまでも大切にしてゆきたいものです。
また、8月が近づいています。
私の職場に祖父が硫黄島に、出征し散華された方の孫がいます。
お骨は帰っていません。
そのとき、おばあさんのお腹には、彼女のお父さんがいました。
家族を守るため、国を守るため戦いました。
今年も朝礼で英霊に感謝、黙祷をします。
中将閣下、そして硫黄島に眠る英霊の皆様、ありがとうございます。
いまも私たちは生きています。ありがとうございます。
イーストウッド映画の原作である「硫黄島の星条旗」ジェイムズ・ブラッドリー著を読みました。すり鉢山に2度目の国旗掲揚した6人の内生き残った3人の中に著者ジェイムズの父親ジョン・ブラッドリーがいます。物語は残されたブラッドリーの家族が米軍を通じて硫黄島を訪れるところから始まります、硫黄島の指揮官(自衛官)も出迎えています。戦勝国・生還したヒーローの家族、立場が違うとこんなにも違うものかと最初に感じます。亡くなった両国兵士はどちらも戦争の犠牲者です、この本に出てくる人々も決して憎む対象ではありません。生還者の一人、ピマ族インディアンのアイラの感情は共感するものがありました、同じ黄色人種(もしかしたら縄文人の末裔)という先入観もあるかもしれませんが、精神構造に近いものを感じたのです。
現在、中国は硫黄島も自国領にしようと画策しています そうなっては益々遺骨返還もありません、そうならない為にも日本の政治を見直すべきです。
今の日本人はかつての日本人が持っていた誇りを失っているように感じます。彼らが命をかけて戦わなければ今の日本はなかったと思う。
彼らのためにも今の日本を守ることが僕たちの使命であることを忘れてはならない。
私も硫黄島に心を寄せていますので、感銘を受けました。。