「獨島は韓国領土だ。  竹島は日本領土だ。  獨島は竹島ではない。  だから竹島を返しなさい」 | mappyの憂国

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転載・竹島に関して
148:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2011/03/26(土) 08:51:09.49 ID:yzDykNiw [sage]
【韓国の捏造を暴くポイント 于山島(于山国)編】

1 「三國史記」1145年
巻四 智證麻于十三年(西暦512年)夏六月条
于山國征服、歳以土宜為貢、于山國、在溟州東海島、或名鬱陵島、地方一百里、恃嶮不服、伊喰異斯夫、為何琵羅州軍主、謂于山人愚悍、難以威来、可以計服、乃多造木偶師子、分載戦船、抵其國海岸、誑告曰、汝若不服、則放此猛獣踏殺之、國人恐懼則降

key point
「于山國征服」「或名鬱陵島」「地方一百里」
>この「百里」という大きさから、竹島(獨島)では無いとわかります。
さて、まずここで疑問「獨島」は20世紀の言葉ですが、この資料に出てくる「于山」は1000年前の言葉です。
獨島は512年から領土というなら、「獨島=于山島」を証明する必要があります。

2 「三國遺事」13C
巻一 智哲老王
何琵羅州今溟州東海中、便風二日程、有于陵島今作羽陵、周廻二万六千七百三十歩、島夷恃其水深、橋傲不臣、王命伊喰朴伊宗、将兵討之、宗作木偶師子、載於大艦之上、威之云、不降則放此獣、島夷畏而降賞宗為州伯

keypoint
「有于陵島今作羽陵、周廻二万六千七百三十歩」
この記述から、「鬱陵島」だと分かりますね。

3 「太宗実録」1417年
太宗十七年二月壬戌条
安撫使金麟雨、還自于山島、献土産大竹・水牛皮・生苧・綿子・検樸木等物、且率居人三名以来、其島戸凡十五口男女并八十六、麟雨之往還也、再逢颶風、僅得其生

この記述は、「于山島で、豊富な作物がとれること」を、示しています。しかも86名物人間(Tommy注:86名もの人間)が生活していると言うことは、竹島(獨島)では無いです。
ここでも、于山島=鬱陵島ですね。

149:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2011/03/26(土) 08:53:16.60 ID:yzDykNiw [sage]
4 高麗史地理志 in 1452
(巻五八)
鬱陵島 在縣正東海中、新羅時、称于山國、一伝武陵、一伝于陵、地方百里、智證王十二年以降、太祖十三年、其島人、使白吉、土豆献方物、穀宗十一年、王聞鬱陵地廣土肥、旧有州県、可以居民、遣溟州道監倉金柔立、往視、柔立回奏云、島中有大山、従山頂向東行至海、一万余歩、向西行一万三千余歩、向南行一万五千余歩、向北行八千余歩、有村落基址七所、有石仏鐵鐘石塔、多生紫胡蒿木石南草、然多岩石、民不可居、遂寝其議、一云、于山、武陵、本二島、相距不遠、風日清明、則可望見

5世宗実録 in 1454
世宗実録 地理志 江原道襄陽縣于山、武陵二島、在縣正東海中、二島相去不遠、風日清明、則可望見、新羅時、称于山國、一云鬱陵島、地方百里、恃険不服、智證王十二年、異斯夫為何琵羅州軍主、謂于山人愚悍、難以威来、可以計服、及多以木造猛獣、分載戦船、抵其國、誑之曰、汝若不服、則即放此獣、國人懼来降、高麗太祖十三年、其島人、使白吉、土豆、献方物、毅宗十三年、審察使金柔立等、回来告、島中有泰山、従山頂向東行至海、一万余歩、向西行、一万三千余歩、向南行、一万五千余歩、向北行、八千余歩、有村落基址七所、或有石仏像、鉄鐘、石塔、多生紫胡蒿本・石南草、我太祖時、聞流民迯人其島者甚多、再命三陟人金麟雨、為安撫使、刷出空其地、麟雨言、土地沃饒、竹大如柱、鼠大如猫、桃核大於升、風物称是

keypoint
「于山、武陵、本二島、相距不遠、風日清明、則可望見 」
「于山と武陵の二島は互いの距離が、遠くない。晴れていれば、鬱陵島は朝鮮半島から見ることが出来る。」
pointとしては高麗地理誌にて、chkudo(日本の竹島とは、異なる)の存在が、出ている。
この部分は1694年に、朝鮮が主張した「東國輿地勝覧」の解釈に従って、訳しています。

6 「東國輿地勝覧」巻四十五 蔚珍縣
一云武陵 一云羽陵 二島在県正東海中 三峯及業掌空 南峯梢卑 風日清明則峯頭樹木 及山根沙渚 歴々可見風便則二日可到 一説干山 鬱陵 本一島

keypoint
朝鮮は1694年に、この「鬱陵島は、朝鮮半島から見える」という記述を用いて「鬱陵島・chukdoは、朝鮮領土」の根拠とした。
このことは粛宗実録に書いてあります。
よって、世宗実録や高麗地理誌を「獨島」の根拠とすると、自己矛盾になる。

150:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2011/03/26(土) 08:55:32.41 ID:yzDykNiw [sage]
7 鬱陵島の無人島政策は1438年から1881年間で続きました。1696年以後、3年に一度巡察使を、当時無人島であった鬱陵島に派遣していました。1882年に、高宗の于山島調査の命を受けて、102名の部下と7日間に渡って鬱陵島を大規模に調査した李奎遠の復命書で一層 正体がはっきりする。

是白乎〓 松竹于山等島 僑寓諸人 皆以傍近小島當之 然既無圖籍之可據又無導之指的 清明之日 登高遠眺 則千里可窺以更無一拳石一撮土 則于山指稱鬱陵 即如耽羅指稱濟州


「鬱陵島に住んでいる人は、松竹島や于山島を全て鬱陵島近傍の小島に充てている。晴天の日に高台に登って、千里を眺めたが、一欠片の石も、土もなかった。鬱陵を于山と呼ぶのは、済州を耽羅と呼ぶのと同じである。」

8 日本は1600年前半には、「日本の竹島」を発見して、実効支配を始めました。
実は「鬱陵島」も実効支配を始めました。
そして1693年に、「鬱陵島」の帰属問題が出てきます。
結果「鬱陵島」だけは、朝鮮の領土となりました。
近代国際法の観点からは1905年に、明治政府が「島根県への編入」をし、1600年代からの、実効支配を継続する。
1950年になるまで、韓国側から「竹島領有」に関する抗議無し。よって、日本の実効支配が成立している。
サンフランシスコ条約にて、日本の領土のままであることが、判明する。
最終決定の条約では、「竹島」が返還すべき領土には、書かれていない。
だから、日本領土のままである。
1965年の日韓基本条約にて「領土問題は、国際機関での話し合いにて解決する」という基本方針が結ばれる。
それ以降 現在に至るまで、日本政府は毎年抗議し、国際司法裁判所への出廷を求めているため、韓国の実効支配は成立していない。
(韓国人は、条約の途中経過で「獨島は、韓国領土」と言うが、最終決定の条約とは、何ら関係がない。途中経過は、条約として効力を持っていない。例えばSCAPIN667やSCAPIN1033のことである。また、この途中経過は、UNが調査した結果 誤りであると認めている。)

結論
朝鮮の歴史資料には、「鬱陵島とchukdo」のことしか書かれていない。
「獨島=于山島」というのは、韓国の捏造である。


(感想)
歴史資料を丹念に、虚心坦懐に読めば、獨島と竹島が別の島だと分かる。
だから韓国人には、こう言ってやりたい。

「獨島は韓国領土だ。
 竹島は日本領土だ。
 獨島は竹島ではない。
 だから竹島を返しなさい」