転載記事  三橋貴明氏の<続々々 ショックドクトリン> | mappyの憂国

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三橋貴明氏の<続々々 ショックドクトリン>
引用文をお読みする前に、ショックドクトリンの正体の動画をご覧いただくとより理解が深まります。



<以下引用>
本日の話題は、上記にも出てきました「復興特区という名のショックドクトリン」です。



『京都大学大学院教授・藤井聡 被災地を「壊死」させないために
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111216/dst11121602530002-n1.htm
 日本は今、世界大恐慌再来の危機や超巨大地震の連発などの国家的危機に直面している。だから、今求められているのは、「強くしなやかな強靱(きょうじん)な国」をつくりあげる、あらゆる取り組みである。
 ≪8カ月空費したふるさと再生≫
 とりわけ急務となっているのは「震災復興」である。しかし、恐るべきことに、最高責任者たる我(わ)が国政府は、被災地を見捨てるかのように振る舞い続けている。
 そもそも、本格的復興予算といわれた第3次補正が決定されたのは、8カ月以上も時間が経過した11月だった。この8カ月間、被災地にはカネさえあればできたことが山ほどあった。それなのに、なすべきことの大半が、政府の無為によって差し止められてしまい、その結果、数多くの「ふるさと」がさながら壊死(えし)するかのように、二度と回復できない状況にたたき落とされてしまったのである。
 さらにいえば、第3次補正も十分なものであるという保証などどこにもない。例えば、わずか2兆円の補正予算が決定された7月段階で野党側が主張していた補正予算は、3次補正の金額をはるかに上回る17兆円だった。それだけの予算が7月時点で決定されていたなら救えた筈(はず)の「ふるさと」が数多くあったことは間違いない。
 むろん、こうした批判を向けても、政府は「復興に真剣に取り組んでいます!」と声高に反論するだろう。しかし、政府当局者たちは被災地に赴いて被災者の眼(まなこ)を見据えたときも、そう勇ましくのたまうことができるのだろうか。
 ≪住民自助への財政出動なし≫
 我々(われわれ)日本人は、あの大戦後の焦土と化した国土にバラックや闇市をつくるところから始めた。復興において何よりも大切なのは、小ぎれいなアイデアやプランではない。生き残った人々の復興にかける意志と魂の活力こそが何よりも重要なのだ。政府は、創造的復興なるものや財源論などを論じている暇があったら、1日も早く大規模に財政を出動し、被災地住民の復興に向けた意志と活力を徹底的に支援すべきだったのである。
 さらなる問題は、政府が被災地を「放置」しているばかりか、天災を「利用」しようとしている側面すらうかがえることである。
 読者の方々は、大災害によって破壊された土地で、大資本家が新しいビジネスを立ち上げるというタイプの資本主義が近年、世界に広がりだしているという指摘があることを、ご存じであろうか。 
 例えば、2004年のスマトラ島沖地震・インド洋大津波の時には、これを好機と捉えた大資本家の手で被災地に大リゾートが造成された。05年に米南部を襲ったハリケーン・カトリーナの際には、奇貨居くべしと見た大資本家の圧力を受けて、100校以上もの公立学校が廃校にされる一方で、20校以上もの私立学校が大資本家たちによって新設されたという。
 これらは全て、経済はできる限り市場に委ねるというミルトン・フリードマン氏ら「新自由主義」の経済学者たちの理論に基づいており、実際、同氏はカトリーナの時には、前述の「構造改革」を米政府に直言している。そこには、大資本家たちが天災を商機と捉えて、自らにとって都合の良い学者たちを使いながら、政府に圧力をかけ、新しい商売を始めるという構図も透けてみえるのである。
 ≪「災害資本主義」の回避を≫
 そんな観点を世に問うたのが、カナダ人ジャーナリストのナオミ・クライン氏であった。彼女は、自然災害に便乗する新しいタイプの資本主義という意味で「災害資本主義」という新語を造り、これらの商売の手法を、「ショック・ドクトリン」と名付けている。
 翻って我が国をみれば、野田佳彦・民主党政権がこの度、「復興特区法」を国会に提出して、成立させている。これは、「復興のために被災地に特区を」という趣旨であり、内容は要するに、被災地で構造改革、規制緩和を徹底して推進すると同時に、外資も含めた大資本家からのさまざまな投資を呼び込もうとするものである。
 そもそも、この法律は政府の新成長戦略に基づいてもいて、それは震災前に閣議決定されたものであった。同法には、政府がもともとやりたかった「特区による構造改革」を、災害復興に乗って進めてしまおうという、「災害資本主義」の側面もありはしないか。
 であるならば、その果てにあるのは、「ふるさと再生」などではないだろう。その代わりに、東日本大震災の被災地に、「外資も含めた資本家たちの営利目的のために好きなようにいじくり回された土地」がつくり上げられてしまうことが、懸念されてくるのだ。
 むろん、読者の中には、それは可能な解釈のひとつに過ぎないとお感じになる方もおられるかもしれない。しかし、この解釈が当たっていれば、復興特区法と、それに基づいて実施される復興事業が、被災者たちに大いなる不幸をもたらすことは避け難い。
 そのような危惧が現実にある以上、今、求められるのは、その懸念をひとりでも多くの国民が冷静に吟味することではないのか。(ふじい さとし)』
 
 ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」は、ハリケーンカトリーナで大きな被害を受けたニューオリンズのシーンから始まります。ニューオリンズ選出の共和党議員、リチャード・ベーカーがロビイストたちに以下の言葉を語ったのです。
「これでニューオリンズの低所得者用公営住宅がきれいさっぱり一掃できた。われわれの力ではとうてい無理だった。これぞ神の御業だ」
 さらに、ニューオリンズの不動産開発業者ジョセフ・カニザーロも、
「私が思うに、今なら一から着手できる白紙状態にある。このまっさらな状態は、またとないチャンスをもたらしてくれている」
 と語りました。


 結果、ニューオリンズでは、「減税」「規制緩和」「低賃金労働力」「より安全なコンパクト都市構想」などの法案が議会にかけられます。要するに、「更地」と化した被災地について、「新たなスタート」「白紙の状態」としてマンションを建築していこうというプロジェクトが進んだのです。


 それに対し、被災者の一人であるジャマール・ペリーは、
「一掃だとか、言っている場合じゃないだろ。凄まじい数の人間が死んだんだよ。そっちの方がよっぽど問題だ。こんな死に方をするなんて浮かばれないよ」
 と反論し、さらにペリーの前に並んでいた老人が、
「バトンルージュに来ているあの連中はいったいどういうつもりだね? 今がチャンスなぞと抜かしおって。こんなひどい惨状だっていうのに、あいつら、目が見えんのかね」
 それに対し、子供を二人連れた母親が、すかさず、
「いや、ちゃんと見えているでしょ。なんせ腹黒いやつらだからね。こりゃしめたもんだって思っているのよ。」




 今回の東日本大震災の復興が、ここまで遅れたのはなぜですか?


 大規模リゾートなどの「プロジェクト」は、民家が立ち並んでいるところではほぼ不可能です。すでに住んでいる住人の方々に「どいてもらわねば」なりませんので、できたとしても時間がかかります。 


 津波で民家が流され、ほとんど更地となった東北海岸地区に、「これ幸い」とばかりに、外資系企業と組んだ日本の民間企業が、被災地を「これまでとは違う何か」に変えようとしていませんか? 復興特区法に、「外資」「民間資本」「規制緩和」などの概念が盛り込まれているのは、なぜですか?


 復興が早く実現すると、再び被災地に民家が立ち並ぶため、被災地を「これまでとは違う何か」に変えることはできません。だからこそ、経済産業省や民主党政府はここまで復興をぐずぐずと引き伸ばしたのではないのですか?


 財務省の増税路線と、「東北特区構想」。この二つを実現するために、東北の復興が遅れに遅れてしまったのではないのですか?
真実は分かりません。

 しかし、「ショック・ドクトリン」に基づく、大規模自然災害後の「惨事便乗型資本主義」を遂行している人たちが現実にいるということだけは、日本国民の方々には是非とも知っておいて欲しいと思います。

http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi  



「「ショック・ドクトリン」に基づく、大規模自然災害後の「惨事便乗型資本主義」を遂行している人たちが現実にいる」
まったく、その通りだと思います。

 今、被災3県の地銀8行、預金量が急増しています。東日本大震災に伴って支払われた各種保険金や、企業の余資の大半が復旧や投資に回らず預金に向かったためです。
 また、復旧が進む東北地区で鉄筋や金属屋根など建設関連分野の職人不足が深刻化し始めて、復旧工事に深刻な遅れが出ています。
 地元の建設や土木の会社が毎日のように倒産し、公共工事をコスト以下で受注競争する過酷な状況です。他の地方も似たような状況であり、全国で均せば足りないはずがありません。
 では何故、食えない地元を離れられないのか?何故彼らを被災地に回せないのか?受注実績を取っておかねば来年の入札の参加資格を失うからです。
 この非常時です。そんなものは「被災地の工事実績を地元の実績と看做す」よう通達するなどの策を取ればよい。一体誰が反対するでしょう?
 うちの工場も7月初から、被災地の下水処理場の制御機器を作る予定でしたが、6月末にストップがかかりました。国から「予算が無いから新品は駄目」と言われたそうです。
 結局、津波を被った電機制御機器が10月に送られてきて、清掃し使えなくなった部品を交換して修理せよということになりましたが、見てビックリ。一番古いものは’77年に納入されたものです。多くは’90年代に納入されたもの。もう15年から30年以上たってます。怒りがこみ上げて来ました。
 こんな古いものを九州くんだりまでコストをかけて運ばせて、清掃し部品を交換して修理しても、生き残った部品の耐用年数を考えると金をドブに捨てる如き全くの無駄です。
 元々は11月に現地据付の予定でした。それを今頃こんな状態です。予定通りなら年内に下水処理場が再稼動出来ていたかも知れないんです。
 そりゃあ、上下水道も電気も復旧せず、堤防や道の修復さえ出来てなければ、資金があっても住宅も工場も店も建てられません。活かせる民間資金も死んでしまいます。
 「何故出来る事をやらないんだ?」と思ってましたが、復興を遅らせ、被災者を諦めさせる為、「ショック・ドクトリン」に基づく、大規模自然災害後の「惨事便乗型資本主義」を遂行している人たちが現実にいるという説明は、とても説得力が有ります。


本当にいやな潮流だなあと思います。お金さえあればという世の中で、大資本家は、ただ自らを肥らして、その言い訳も競争に打ち勝っためという、早くこんな人の命も心も顧みない、いやな世界の潮流を止めてくれと、叫びたくなるような気持ちにさせられます。