まずここで、確認しなくてはいけないのは…

主体性を喪失した自分を責めないこと 

( T_T)\(^-^ )

 

喪失せざるを得ない、また喪失した方が生きやすかったのかもしれないしね…

 

喪失していると、当たり前だけれど生き辛い 。゚(T^T)゚。


周りからどんなに幸せそうに見えたとしても、自分は誤魔化せないから…

 

主体性を喪失するってことは、本当の自分ではなく、他人の人生を生きると言うこと…

( 頭の中がハイジャックされているイメージ✈ )

 

私は最近、自分の頭の中が忙しいのは、躁鬱の症状ではなくて、実は自分と他人の想念が区別が付いていないからかなーって σ(^ー^;)

 

もしくは、自分の本音を直視出来ないから、思考に依存するとかさ 

ィャ((´д`●))三((●´д`))ィャ

 

まぁ、病的なところだけではなくて、色々と考えられることは長所なのだけれどね!


ちょっと行き過ぎて辛い部分の話ね (o^-')b

 

で、そもそも他人の価値観って何?

親の意見、世間体等々、色々あるのだけれど…

 

依存症になるぐらいだと、前提として物凄く低い自己イメージを採用しちゃっているのだよね

(; ・`д・´) ナ、ナンダッテー!!

 

だいたいは、トラウマになる出来事(自分にとって深く傷ついたこと)から発生した自己イメージ

自分は生きる価値がないとか、レイプされて自分は穢れてしまったとかね…全然、そんなことないよー

 

それが自分では普通だと思っているので、物事を認識するのに全てそこから組み立てしまう

 

少し失敗しただけで過剰に自分を責めたり、低い自己イメージを払拭するために、物凄く大きなことを成し遂げないといけないと思っていたり…

 

ある意味、生きながら悪夢を見ている感じ (´;д;`)ヤダ

 

そりゃ、一時でも低い自己イメージの自分を何かに依存して忘れたくなるよね

。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。 ←自己治療的な側面

 

後は自己懲罰的な側面もあると思う


依存している時は良いかもしれないけれど、その後に確実に苦しくなったり、自分に不利益が来るのは分かっている

 

自己懲罰って不思議で、ダメな自分を罰するもあるけれど、そこで罰を受けていれば、他から罰を受けることはないと思っている節もある

 

もしくは、新しい罰が来るなら、慣れ親しんだ罰の方が良いみたいな…

 

この仕組みを分からないで、依存しているものだけを取り上げても、対象がどんどん移り変わって行くだけなのだよね…

 

次は依存症考察ー主体性の取り戻し方(3)