DAY6②ジュネーブの赤十字博物館で世界平和を考える【世界一周後半戦⑱】
空港からのバスで1区間だけチケットを買いました。ジュネーブ市内のホテルに泊まると,公共交通機関のフリーチケットがもらえるからでした。メールでこのような案内が送られてきます。これはありがたい。部屋にはまだ入れないので,荷物を預けて観光にGoバスに乗りましたが,乗換が必要なことに気づかず,別の方向に行ってしました。まぁ急ぐ旅ではないので,レマン湖のほとりに行きました。レマン湖意外と大きな湖です。面積は琵琶湖よりやや小さいくらいです。とくに見るものもなかったので,近くのカフェでランチにしました。My Little CupCafe - Patisseries - and a lot of Loveさすが,ジュネーブは国際都市。店名が英語です。pâtisserie(洋菓子)がフランス語ですが,^の山形記号がないので英語ですね。店内でも英語ばっちし通じました。「a lot of Love」は「真心を込めて」という感じかな。マイ・リトル・カップの店ですが,暑かったので冷たい缶ジュース飲んでました。これだと真心関係ないですね。今度は間違えずにバスで向かいました。+CICR+Comité international de la Croix-Rouge赤十字博物館です。入場料15フラン,オーディオガイド2フラン。まず目に飛び込んできたのは,ボードに貼られた幼い子供の顔写真です。The Conflict in Rwandaルワンダ紛争で両親と離ればなれになった子供たちです。赤十字が家族との再会の支援を行いました。ルワンダはアフリカの小さな国。赤道のちょっと南に位置しています。行ったことはありませんが,いつかルワンダに行くことがあるかもと思い,この記事を書いております。1994年4月,ルワンダのハビャリマナ(Habyarimana)大統領が暗殺。それをきかっけにバゴソラ大佐(Colonel Bagosora)らがジェノサイドを開始。武装化したフツ族によって,女性や子供を含む80万人が穏健派フツ族とツチ族の人々が鉈で殺害されました。かなり凄惨なことが行われたようです。国連の平和維持軍が駐留していましたが,積極的に介入しませんでした。この悲劇の背景は,20世紀初頭の植民地支配にさかのぼります。ルワンダは最初ドイツ,第一次世界大戦後はベルギーの植民地支配下に置かれました。宗主国は少数派のツチ族(Tutsi)を優遇し,多数派のフツ族(Hutu)を支配するという分割統治と間接統治を組み合わせる方法をとりました。インド亜大陸などでもみられた植民地支配の常套手段ですね。分割統治によって,フツ族の不満の矛先をツチ族に向かわせようとし,優遇を維持するためにツチ族は宗主国に従順になりました。間接統治によって自らの手を汚さず,効率的に植民地経営を行ったわけです。1962年にルワンダが独立すると立場が逆転,多数派のフツ族が政権を執るとツチ族は冷遇・迫害され,難民として隣国のウガンダなどに逃れました。この人たちを中心にルワンダ愛国戦線(RPF:Rwanda Patriotic Front)が結成され,祖国を取り戻すべくルワンダ軍を攻撃,内戦になります。フツ族過激派は,RPFの軍事侵攻を非難し,ツチ族への憎悪を掻き立てました。こうして大統領暗殺事件を契機として,大虐殺に至ったわけです。RPFは首都を攻勢し,1994年7月4日キガリを制圧。報復を恐れた200万人のフツ族はザイール(コンゴ民主共和国)に逃亡しました。こうしてジェノサイドは終結,ツチ族派が政権を執りました。ルワンダでは一応の治安を取り戻しましたが,一方でザイールに逃れたフツ族は,捲土重来を目指してRPFと同じような組織を結成,それによって国境付近は新たな紛争地帯となり,コンゴ民主共和国や周辺国の不安定化につながっています。 Jean-Henri Dunant 赤十字を創設したアンリ・デュナンです。デュナンはここジュネーブ生まれでした。1859年,イタリア統一戦争のソルフェリーノの戦いで,兵士が負傷している惨状を見て,敵味方分け隔てなく救護する必要性を感じました。ちなみにソルフェリーノの戦いは,イタリア統一のきっかけとなった出来事です。当時トリノ周辺にあった小国のサルデーニャ王国が,ナポレオン3世の力を借りて北イタリアを支配していたオーストリアと戦いました。そのサルデーニャ王国はサヴォイア家が領主。昨日行ったシヨン城の元城主です。もちろんナポレオンはタダで支援したしたわけではありません。サヴォワ地方とニース地方をフランスに割譲することが引き換え条件でした(プロンビエール密約)。The 1864 Geneva Convention1864年に12か国でジュネーブ条約が結ばれました。戦場での負傷兵の保護や赤十字のマークが攻撃禁止のしるしとして定められました。その後,2回(海上への適用,捕虜の待遇)の修正を経て,1949年に新たなジュネーブ条約が発効し,民間人の保護を含めた現行の4本柱からなる条約となっています。このほか,いろいろな展示がありました。背景写真は難民船です。手前の人形にはパスポートの入国スタンプらしきものが押されています。ヨーロッパは難民を比較的受け入れてきましたが,最近ではどこでも招かれざる客になりつつありますね。それに比べて,日本のパスポートは世界最強クラス。こうして海外旅行できる境遇に感謝しないといけません。Puchar Przyznany Internowanych(Challenge cup gifted by the detainees)ポーランド語です。左側にあるのはポーランドの国章の鷲。拘留されていた共産主義に反対する政治犯の作品(1982年)。パンと段ボール紙で作ったらしいです。赤十字国際委員会の尽力を優勝杯になぞらえて称えています(Mayou, R.(2016) Prisoners’ objects:The collection of the International Red Cross and RedCrescent Museum,International Review of the Red Cross, 98 (3), 749–760)。こんな感じで,このミュージアムは博物館というより美術館でした。入場券の裏面 ここの正式名称は,国際赤十字・赤新月博物館と言います。赤新月とは何ぞや?実は今回,初めて知りました。十字はキリスト教のシンボルだから,イスラム教徒(ムスリム)が使うのは嫌だと言ったらしく,イスラム教のシンボルである三日月にしています。さらにユダヤ教徒のイスラエルはどっちでもないので,菱形の赤水晶の表象を使用しているようです。これ,宗教的多様性に配慮しているように思えますが,ほかの宗教は考慮されていないんですよ。例えば仏教は信者が多く,様々な国でみられる世界宗教ですが,仏教のシンボルは入っていません。まぁ卍にしたら,誤解されて逆に攻撃されかねないぞ。冗談はさておき,第1回のノーベル平和賞受賞者であるアンリ・デュナンが創設した赤十字,平和の象徴の代表格ですよね。しかし,このネーミングと複数の表象は,西洋的な宗教対立を意味しちゃっているわけです。何という皮肉。赤十字博物館で世界平和の難しさを感じました。