寒風山の「誓の御柱」は何のため?五箇条の御誓文と大正デモクラシー【秋田旅行⑨】
安藤醸造でお土産を買って,角館の街歩きは終了です。レンタカーで本日の宿泊地・男鹿温泉に向かいます。今回は,トヨタレンタカーで借りました。乗り捨ての場合,トヨタレンタカーは安いことが多いと思います。2~3日前に営業所の場所を確認したら,角館の駅前や街中から離れたところにありました。送迎はしてくれるので,電話したら角館駅か主要ホテルしかダメだとのこと。しかも送迎予約もできなかったです。ということで,当日,電話したら安藤醸造の前まで来てくれました!さくっと借り出して,出発寒風山へドライブ角館-男鹿温泉のルート男鹿温泉までは100kmちょっと。途中,高速使っても2時間弱かかります。車の運転は好きなほうでしたが,年取ってくるとだんだん面倒になってきました。気合いを入れて運転します。寒風山途中,通り道なので,寒風山に寄りました。回転展望台が有名ですが,今回は時間の関係でパス。少し下の駐車場に駐めて,景色を眺めることにしました。寒風山からの景観展望台でなくても十分見れます。写真ではわかりにくいですが,左側が八郎潟,右側が日本海です。海岸線に沿って,風力発電が立ち並んでいます。寒風山だけに風が強いのかも。パラグライダーパラグライダーやってる人を見ました。とても気持ちよさそうなのですが,いざやってみると怖いでしょうね。下手したら命を落としかねません。昭和100年に明治百年を考える明治百年祭施行記念之碑明治百年の記念碑がありました。明治元年が1868年なので,明治百年は1968(昭和43年)。幼かったので記憶にないですが,かなり盛大だったようです。一方,今年は昭和百年です。昭和元年が1926年,ただし昭和元年は7日間しかありませんでした(昭和64年も)。昭和百年の関連行事や事業は,国・自治体・民間団体で数百件あるようですが,あまり盛り上がっていないように思います。昭和百年記念貨幣(出所:造幣局)8月20日から記念コインの申し込みが始まりました。デザインは,いまいちと感じるのは私だけ?重厚さがないですよね。額面1,000円なのに,売価は34,800円もします。しかも,通貨としての1,000円にも消費税がかかってます!昭和百年記念切手(出所:日本郵便㈱)記念切手も発売されます。下記10種類デザインの1シートです。・三種の神器と呼ばれた昭和の家電・タロ・ジロと南極観測船「宗谷」・長嶋茂雄・レコードとラジカセ・『巨人の星』・『アタックNo.1』・昭和のお茶の間・東京タワー・三輪トラック「マツダT1100」・東京地下鉄道開業地下鉄開業以外は,ほぼ高度経済成長期のもの。戦争の記憶とかは消し去ってます。中高年世代からシニア世代をターゲットとした郷愁を誘う商品ですね。ジャイアンツが2つあって偏ってますね。昭和を代表するマンガ・アニメというと,『鉄腕アトム』『サザエさん』『ドラえもん』『宇宙戦艦ヤマト』『ベルサイユのばら』いろいろあると思いますが,著作権とか大人の事情があるのかもしれません。こっちは,1,100円で額面通りです。記念切手は買ってもいいかも。10月13日発売予定です。「誓いの柱」は何のため?寒風山に残る「明治百年」よりも古い,もう一つの記念碑を見てみましょう。誓の御柱(ちかいのみはしら)寒風山にもう一つ記念碑がありました。「誓いの御柱」といいます。碑文には「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ」と書いてあります。五箇条の御誓文の第1条です。柱は五角形になっていて,それぞれ条文が刻まれています。五箇条の御誓文は明治天皇が明治元年に発布した,明治政府の基本方針です。だから明治百年の記念碑も寒風山にあるわけです。男鹿琴湖会の説明この記念碑は,地域の若者で結成された男鹿琴湖会という団体が建立しました。会の名前は八郎潟の別名「琴の湖」にちなんでいるとのこと。八郎潟の名称について記事にしましたが,ますます混迷を深めてきました。男鹿琴湖会夏期大学開講十周年を記念して建てたとありますが,この説明だと五箇条の御誓文との関係がよくわかりません。調べてみると,ほかの地域でも同じような誓の御柱が建てられました。誓の御柱の分布<cite about="#mwt280" class="citation journal" data-mw="{"parts":[{"template":{"target":{"wt":"Cite journal","href":"./Template:Cite_journal"},"params":{"1":{"wt":"和書"},"author":{"wt":"西田彰一"},"year":{"wt":"2018"},"title":{"wt":"『誓の御柱』建設運動とその広がりについて"},"url":{"wt":"https://doi.org/10.15055/00007036"},"journal":{"wt":"日本研究"},"volume":{"wt":"58"},"page":{"wt":""},"pages":{"wt":"139-167頁"},"publisher":{"wt":"国際日本文化研究センター"},"CRID":{"wt":"1390853649701178624"},"ref":{"wt":"{{sfnref|西田|2018}}"}},"i":0}}]}" id="CITEREF西田2018" style="font-style:normal" typeof="mw:Transclusion">資料:西田彰一(2018)より作成注:●数字は建てられた順序を示す。1926年から1934年にかけての昭和初めに,少なくとも全国7か所で建てられました。何のために?寒風山における建設の中心人物は,説明の碑には「中川重春会長」とあるが,実際には副会長の伊東晃璋でした。伊東が夏期大学の講師を探す過程で,当時,誓の御柱の建設を推進していた二荒芳徳と出会います(西田,2018)。それがきっかけでした。当時は大正デモクラシーが転換する時代。 社会主義も台頭し,それまでの国家秩序が揺らぎ始めた時代でした。伊東が二荒に述べた言葉が象徴的です。「淳朴なる農村青年まで次第に軽薄なる時代思想にかぶれ」ていると。つまり,五箇条の御誓文を標語として掲げ直し,それを象徴として国家を逸脱する流れに対抗したわけです(西田,2018)で,碑文にある第1条の意味はこんな感じですよね。広く会議を開いて,重要なことは公正な議論を経て決めましょう。これって,今の民主主義に通じる原理です。実際,大正デモクラシーの思想的中心吉野作造(1916)も「憲政の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず」の論文の中で,五箇条の御誓文の第1条をめっちゃ評価しています。「明治天皇陛下は維新の初め現に広く会議を起し万機公論に決すべしと勅せられて居」て,「民本主義の精神は,明治初年以来我が国の国是」とまで書いています。大正デモクラシー側も「誓の御柱」側も,どっちも五箇条の御誓文を掲げている,ややこしいです。カギとなるのは,第5条の後半「大ニ皇基ヲ振起スべシ」。「大いに天皇が統治する国の基盤を強固にして国勢を盛んにする」という意味です。大正デモクラシー側は第1条を前面に出して,民意や公平な議論を訴えました。「誓の御柱」側は第5条まですべてを含んで,天皇中心とする国家の基盤を強固にするための国民的な指針として捉えました。菊花紋章誓の御柱の中央に菊の紋章が掲げられています。この紋所が目に入らぬか!紋章が権威を振りかざしてます。前々回の記事で登場した水戸黄門と同じ構造です!