DAY25⑦セントラルパークの池の名前が「The Pond」だった理由【世界一周後半戦95】
五番街を北上して,セントラルパークまで行きました。前回NYに来たとき,かなり回ったので,今回は南端をちょっとだけ回りました。今回の記事は,旅行記というより,セントラルパークの池の名前に疑問をもち,調べてみたら,実はセントラルパークには崇高な設計思想が隠されていたという私なりの考察です。 都会の真ん中に造られた「人工の自然」公園内には大きな岩がいくつもあります。マンハッタン片岩Manhattan Schist マンハッタン島は硬い基盤でできているそうで,その露頭です。地下深くで強い圧力と熱を受けてできた片岩です。斜め方向に片理と呼ばれる薄い板状の縞模様が見えます。右側の岩の上部は,やや丸っこくなっており,こちらにも斜め方向に走る筋が見えます。これは氷河の影響。最終氷期(最寒冷期は約2万年前)の時代,ニューヨークは氷河に覆われていました。セントラルパークCentral Park緑が生い茂っていて,水辺の周りに人々が佇んでいます。奥にはNYの摩天楼。まさに都会のオアシスです。この池は,元々あったように見えますが,人工的に造られました。一方,東京の都市公園にある池,たとえば上野恩賜公園の不忍池や井の頭恩師公園の池は,元々海であったところが縮小してできた池や遊水池であったところです。岩盤はさすがに全部破壊することは困難でしたが,セントラルパークはほとんど人工的に田園を再現したものです。日本の公園が自然を生かすという傾向が強いのに対し,アメリカの公園は自然を構築するという対比が感じられます。 「The+普通名詞」という不思議な名前 ところでこの池の名前,The Pondといいます。そのままんまじゃないか!と,調べてみたらセントラルパークには同じようなものがたくさんありました。The LakeやThe Pool,The Mallなど見つかりました。定冠詞the+普通名詞というネーミング。安直のようにも見えますが,これだけ多くあると,おそらく意図的に名付けられたと思われます。 王侯貴族の庭から、市民の庭へ セントラルパークは,「都市基盤施設として整備された」アメリカ初の公共公園(public park)とされています(石川幹子,1991)。1858年に一部オープン,1873年に完成しました。1634年に設立されたボストン・コモンはアメリカ最古の公共公園といわれていますが,元々放牧場や市民の共有地(common)という性格でした。一方セントラルパークは,過密化する近代都市ニューヨークに,人々の健康や交流,市民生活のためのインフラとして,巨大な公共公園が計画的に造られました。「公」園なのだから,わざわざ「公共」を付けるのは余計なように感じますが,歴史的にparkは私的空間でした。この旅の最初の目的地ロンドンで訪問したハイドパークも,元々ヘンリー8世の狩猟地でした。その後ロイヤルパークとして,上級階級や富裕層が一部中に入れることもあったけど,誰もが無料で利用できる公共公園は,19世紀までありませんでした(芝奈穂,2009)。セントラルパークを設計したのは,アメリカ造園家の父とよばれるオルムステッド(Frederick Law Olmsted)とイギリス出身の建築家ヴォークス (Calvert Vaux)の2人です。オルムステッドは,イギリスを旅行するなかで,リヴァプール近郊にある世界初の「公園」(1847年建設)であるバーケンヘッド・パーク(Birkenhead park)を訪れました。そこで感銘を受け,次の言葉を自著に書きました。I was ready to admit that in democratic America there was nothing to be thought of as comparable with this People’s Garden(Olmsted, F.L., 1852:p.79).(イギリスは君主制なのに)民主主義国であるアメリカには,この「市民の庭」(バーケンヘッド・パーク)に匹敵するものは何もないと,私は認めざるを得なかった。セントラルパークのゲート(※は後年追加されたもの)だからオルムステッドらは,ニューヨークに「市民の庭」を造ろうとしたのです。 誰にでも開かれた、門扉のないゲート そこで,セントラルパークの入り口のゲートは,1862年に多様な職業や人々に敬意を表したものとして名付けられました。学者の門,商人の門,農民の門などのほかに,Strangers' Gateというのがあります。ストレンジャーというと見知らぬ不審者というイメージがありますが,ここでは外から来た人という意味です。1862年のセントラルパーク委員会報告書にStrangers’ Gateの命名について,次のように書かれていました。この都市(NY)の魅力の一つは,大都市でありながら世界中の人々と心でつながる「国際性」にあります。平和的な目的でやってくる外国人なら,観光でもビジネスでも,いつでも温かく歓迎する用意があります。しかも,この歓迎はただのお世辞やマナーではありません。知的で熱心な外国人がこの街を訪れ,社会の仕組みを学び理解してくれることは,国にとっても個人にとっても非常に価値があるからです。なぜなら,そうやって実際に交流して互いを知ることこそが、根拠のない偏見をなくし,間違った誤解を解く唯一の方法だからです。(Board of Commissioners of the Central Park. 1862. Fifth Annual Report of the Board of Commissioners of the Central Park. Wm. C. Bryant & Co.,New York: p.132.)移民の国アメリカ。多様な価値観や考え方,習慣をもつ人々で構成されている街がニューヨークです。それはこの街の活力を生み出す源泉になりますが,対立を招く火種にもなります。セントラルパークは,外から来た人も排除しません。どのゲートにも門柱はあっても門扉はないのです。誰もが自由に無料で入れる公共公園なのです。後からやって来た移民も,セントラルパークでいろんな人とふれあい,話し,同じ体験をする。そうしたことで偏見をなくし,差別のない民主的な社会の構築を目指したのです。オルムステッドとヴォークスは,公園を学校や博物館,図書館などと同じ公共機関とみなしていました。つまり,公園は単なる余暇空間ではなく,階級や職業を超えて,人々が混じり合うことで,自由な市民の生活を高める場としていたのです。 民主主義を木々と土で表現する ヴォークスは,次のように表現しました。Translating Democratic Ideas into Trees and Dirt民主主義の理念を木々と土で具現化する(Rosenzweig, R. and Blackmar, E. 1992.The park and the people : a history of Central Park,Cornell University Press,Ithaca: p.136)ここでの木々と土は,もちろん公園のランドスケープを表しています。そのランドスケーブを構成するものが「The+普通名詞」という形で,以下のように名付けられました(番号は地図中と対応)。水辺①The Pond(池),②The Lake(湖)③The Gill(小川),④TheReservoir(貯水池)⑤The Pool(水たまり),⑥TheLoch(湖;スコットランド語)地形⑦The Dene(谷地),⑧The Mall(遊歩道)⑨The Point(岬),⑩TheRamble(散策路)⑪TheRavine(峡谷),⑫The Mound(丘)⑬The Cliff(崖),⑭TheGlade(空き地)建造物⑮The Dairy(乳製品製造所),⑯The Arsenal(武器庫)⑰The Obelisk(方尖塔)The+形容詞・修飾語+普通名詞⑱The Sheep Meadow(羊の牧草地),⑲The Great Lawn(大芝生)⑱The Conservatory Water(温室の池)政治家や偉人の名前を前面に出すのではなく,余計な神話的意味も持たせない。The Pond,The Lake,The Mall,The Ramble。それらは一見すると,あまりにも素朴で,そのまんまの名前に見えます。何気ない池の名前に見えた The Pond。けれどもそこには,王侯貴族の庭ではなく,見知らぬ人同士が同じ風景を分かち合うための「市民の庭」という思想が埋め込まれていました。階級も職業も出身地も異なる人々が,同じ小径を歩き,同じ水辺に立ち止まり,同じ風景を見上げる。セントラルパークとは,木々と土でつくられた民主主義の舞台だったのです。