「花岳寺」が「赤穂四十七義士」ゆかりのお寺ということで、「花岳寺」から少し歩いた場所にある「大石神社」にも訪れてみました。
「大石神社」は統領「大石良雄」を始めとする「赤穂四十七義士」、「浅野長直」、「浅野長友」、「浅野長矩」の浅野家三代などを祭神として祀っています。
「元禄赤穂事件」後、赤穂城内にあった「大石良雄」邸の中に秘かに祀られていた「赤穂四十七義士」の小さな祠を、明治政府の許可の元、1900年に神社として創建されました。
ちなみに討ち入りの策を練るために隠棲した京都にも、「大石良雄」を祭神とする「大石神社」があり、区別するために社名の頭に地名を付けたりします。
「本殿」へ向かう参道は2ヶ所あり、一直線上にある参道には「赤穂四十七義士」の石像が立っています。
「本殿」がある境内に入るには、正門の「義芳門」をくぐっていきます。
「義芳門」は「楠木正成」が祭神である「湊川神社」の神門を、1942年に移築したものです。
義芳門の扉には浅野家の家紋が。自分の家の家紋と同じだったり。
「本殿」に向かうまでの建築物や名所を紹介しておきます。
「本殿」は少し高台にあります。「本殿」の左手には「義士史料館」があります。
「本殿」の周りには、「元禄赤穂事件」の経緯を描いた絵馬が掛けられています。
一部を紹介しておきます。
全てはここから始まった。松の廊下での刃傷事件。殿中でござる。
翌年の2月4日、幕府は46人を斬首ではなく武士の名誉である切腹を命じた。
「大石神社」の後方は「赤穂城跡」があります。ほとんどが石垣ですが、近年になって僅かですが再建されてきているようです。
最後に「浅野長矩」が切腹した事実を、赤穂にいる「大石良雄」へ知らせるために「赤穂四十七義士」の1人「早水満尭(はやみみつたか)」と、義盟に加わるも討ち入り前に自刃した「萱野重実(かやのしげざね)」は、江戸から早駕籠を飛ばして、通常は15日ぐらいかかるところを僅か4日半で到着したそうです。
赤穂に到着した2人は「大石良雄」邸に向かう途中に、井戸で水を飲み一息ついてから向かったと言われています。
このからくり時計「義士あんどん」は、9時から20時になった時にからくりが見れるようで、見たかったんですが間が悪かったですね・・・。





































