西国三十三ヶ所めぐり 元慶寺 | まっちゃんの人生おもしろおかしく生きていきたい

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今回、紹介する西国三十三ヶ所観音霊場は、京都市山科区にある番外に指定されている「元慶寺」です。西国三十三ヶ所観音霊場の中興の祖、「花山天皇」が出家したお寺です。


西国三十三ヶ所観音霊場、番外札所「華頂山(かちょうざん) 元慶寺(がんけいじ)」。創建は868年~869年。開基は「遍昭(へんじょう)僧正」。宗派は「天台宗」。本尊は「薬師如来像」。


詠歌 「待てといわば いともかしこし 花山(はなやま)に しばしと啼(な)かん 鳥の音もがな」


「元慶寺」の創建年数などの詳細は分かっていませんが、「桓武天皇」の孫である「遍昭僧正」が、868~869年に「藤原高子」が「陽成天皇」を降誕する際に、創建されたと伝えられています。創建当初の寺名は「華山寺」と称したそうです。


877年(元慶元年)、「清和天皇」の勅願寺となり、年号を取って「元慶寺」と改称したと伝えられています。


創建当初は現在地より西にある、現在の北花山寺内町の辺りに建立されたと伝えられて、応仁・文明の乱の兵火で焼失するまでは、寺領も大きく大変栄えていたようです。


応仁・文明の乱の兵火での焼失後、「元慶寺」は衰退していったようですが、江戸中期ごろに現在地に再建するまでの詳細は分かっていないようです。


現在の「元慶寺」は小さな境内に、江戸中期に再建された「本堂(薬師堂)」、「庫裏」、「鐘楼門」、「五大力堂」など僅かな堂宇が建っている寺観となっています。


「元慶寺」の交通アクセスは、京都地下鉄東西線の御陵駅から徒歩で約15分ぐらいかかります。


車だと境内へ向かう細い参道の右手に、数台分の駐車場がありますが、3ナンバーやミニバンのような長い車だと駐車が困難です。周辺もパーキングなどの有料駐車場も見当たらなかったんで注意が必要です。


渋谷街道から「元慶寺」へ向かう細い参道の始まりに、「元慶寺」を知らせる看板が立っています。



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北へ向かう細い道が参道。意外と見落とす。



参道を進むと龍宮造りの少し変わった「山門」があります。



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山門。1792年再建。



「山門」には「梵天像」と「帝釈天像」が安置されていたようですが、現在は京都国立博物館に出陳中のようです。



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正面から。



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山門右手に、臭いが強い野菜やお酒の持ち込み禁止の石碑。



「山門」を抜けると左手に「本堂(薬師堂)」、「五大力堂」があり、正面の突き当たりに「庫裏」があります。


「本堂(薬師堂)」は1789年に再建されたものです。


「本堂(薬師堂)」は「五大力堂」と隣接していて現在、「五大力堂」が修理中のようで、周りがシートで覆われていて「本堂(薬師堂)」の外観に影響が出ていました。



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本堂(薬師堂)。



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修理中の五大力堂。1792年建立。



「本堂(薬師堂)」には本尊として「遍昭僧正」作と伝えられる、「薬師如来像」を祀っています。



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本堂(薬師堂)手前。



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本堂(薬師堂)扁額。



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庫裏。1789年再建。納経所もここです。



「元慶寺」は西国三十三ヶ所観音霊場の中興の祖、「花山法皇」が藤原氏の政権争いの策略により出家したお寺です。


「花山法皇」は17歳の時に叔父である「円融天皇」の後を継いで、「花山天皇」として即位します。


2年後の19歳の時、「花山天皇」が寵愛し身籠っていた「藤原忯子(しし)」が亡くなったことから事件は始まります。


「花山天皇」は激しく取り乱して悲しんでいるところに、「藤原兼家」が外孫である「懐仁親王(後の一条天皇)」を即位させて、政治権力を握ろうと三男の「藤原道兼」と共に策略を企てます(寛和の変)。


「花山天皇」の側近であった「藤原道兼」は、「花山天皇」に亡くなった「藤原忯子」の為に、「一緒に出家して供養しましょう」とそそのかします。


出家を決意した「花山天皇」は「藤原道兼」により、内裏から秘かに「元慶寺」へ連れ出されます。


この時、「藤原兼家」の命により邪魔が入らないよう警護した中に、清和源氏の祖「源満仲」がいたと言われています。


「藤原道兼」は「花山天皇」が出家したのを確認すると、自分はすぐさま退散してしまい、「花山天皇」は騙されたと知って悔しさと悲しさで号泣したと言われています。


その後、法皇となった「花山天皇」は、「徳道上人」が「中山寺」に埋めた三十三の宝印を掘り起こし、西国三十三ヶ所観音霊場を巡礼し再興することになり、このことで「花山法皇」は中興の祖と言われ、出家したお寺である「元慶寺」は「花山法皇」のゆかりのあるお寺として、西国三十三ヶ所観音霊場の正式な番外札所となっています。



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五大力堂の前に、花山法皇が出家した場所と知らせる石碑が建っています。



「元慶寺」の開基である「遍昭僧正」は、六歌仙、三十六歌仙の1人で歌人として有名な人物です。


境内には「遍昭僧正」の歌碑が建っており、


「天津風(あまつかぜ) 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」


「天を吹く風よ、天女が通るという雲の通い路を閉ざしておくれ。天女の美しい舞を、もうしばらくこの地上にとどめておきたいのだ。」


この「遍昭僧正」の歌は、百人一首に取り上げられている有名な歌のようです。



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遍昭僧正の歌碑。



また「遍昭僧正」の歌碑の右隣には、「遍昭僧正」の子であり三十六歌仙の1人「素性法師(そせいほうし)」の歌碑も建っています。


「今こむと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな」


「今すぐ行くとあなたがおっしゃたので、私はその言葉を信じて9月の長い夜を待っていましたが、あなたではなく明け方の月を待って迎えてしまいましたよ。」


この「素性法師」の歌も、百人一首に取り上げられている有名な歌のようです。



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素性法師の歌碑。



最後に「元慶寺」から南西へ少し行った場所に、「遍昭僧正」の墓があります。



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遍昭僧正の墓。



民家が密集する場所にあって、ちょっと場所が分かり辛いですが、「元慶寺」から比較的近い場所にあるんで、立ち寄ってみてはいかがでしょうか?



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元慶寺の御朱印。