祖父母が立て続きに亡くなったのをきっかけに、今年の1月初めから本格的に西国三十三ヶ所観音霊場を巡礼しました。
本格的に巡礼を開始したのが奈良県の第6番札所「南法華寺(壷阪寺)」、第7番札所「岡寺(龍蓋寺)」、第8番札所「長谷寺」、第9番札所「興福寺 南円堂」、番外「法起院」の5寺院でした。
1日に5寺院も巡礼すると、1寺院にそんな時間をかけて滞在することは出来なくて、「納経所」へ行って御朱印を頂き、次の寺院へ行くって感じで色々と堂宇などを拝観する時間がありませんでした。
滞在時間は短かったけど奈良県の巡礼の中で凄く印象に残ったのが、「長谷寺」の本尊「十一面観世音菩薩像」を拝観した時でした。
身の丈が10m以上ある大きな観音様で、慈悲深い優しい顔で心が清められる感じがしたんですよね。
この「長谷寺」の「十一面観世音菩薩像」を拝観して、西国三十三ヶ所観音巡礼にのめり込んだと言ってもおかしくはないです。
今、「長谷寺」でこの「十一面観世音菩薩像」の特別拝観を開催していまして、観音様の側まで入れて、観音様の足に触れられてご縁を結べることが出来るんです。
入山料とは別に特別拝観料1000円が必要ですが、側に近寄れて足に触れれるという事で再び巡礼してきました。
今回は時間をかけて多くの堂宇などを拝観してきましたので、「長谷寺」のみブログで書きたいと思います。
西国三十三ヶ所観音霊場、第8番札所「豊山(ぶさん) 長谷寺」。創建は8世紀前半。開基は「徳道上人」。宗派は「真言宗豊山派」。本尊は「十一面観世音菩薩像」。
詠歌 「いくたびも 参る心は はつせ寺 山もちかいも 深き谷川」
「長谷寺」の始まりの詳しい詳細は不明ですが、寺伝によれば686年に「道明上人」が「天武天皇」の病気平癒のために、初瀬山の西の岡(本長谷寺がある場所)に、「銅板法華説相図(どうばんほっけせっそうず)」(千仏多宝仏塔)を安置したことが始まりとされています。
その後、724年に西国三十三ヶ所観音霊場の始祖である「徳道上人」が「聖武天皇」の勅願で東の岡に「本堂」を建立し、楠の神木で本尊の「十一面観世音菩薩像」刻んで祀ったとされる。
平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集め、「花山法皇」が西国三十三ヶ所観音霊場を再興し、中世以降は武士や一般庶民にも信仰を広めた。
現在の「長谷寺」の寺観は、度々の火災で焼失し再建されたものです。国宝に指定されている「本堂」は、「徳川家光」の寄進により1650年に再建されたもので、1882年にも火災で「仁王門」、「中登廊」、「下登廊」など焼失し再建されますが、大半の堂宇は「本堂」と同時期にに再建されたものだそうです。
「長谷寺」は近鉄大阪線「長谷寺駅」があり、徒歩で約20分ほどかかります。
車では「仁王門」側まで行くことが出来ます。
長谷寺という名称の寺院は多く、区別として総本山長谷寺と言う。
寺名の石碑の右手に「総受付」があります。
「総受付」から少し進むと右手に「普門院 不動堂」があります。
「仁王門」には「仁王像」が安置されています。
「仁王門」の扁額の寺名の文字は、「後陽成天皇」筆のものだそうです。
「仁王門」を抜けると「本堂」まで繋がる「登廊」があり、緩やかな坂を登っていくことになります。
「登廊」は入り口から「本堂」まで108間399段あり、上中下の3廊に分かれています。
108間は約196mで、108は煩悩の数からとったそうです。
「登廊」の上部には2間ごとに、「長谷型灯籠」と呼ばれる灯籠が吊り下げられている。
「上登廊」は「本堂」と同時期に再建されたものですが、「中登廊」、「下登廊」は1882年の火災で焼失し、1889年に再建されたものです。
「上登廊」と「中登廊」、「下登廊」の再建年数は違いますが、「登廊」として重要文化財に指定されている。
下登廊。一番長くて段差は低く、緩やかだけど自分には歩きにくかった。
「下登廊」を少し上がると「道明上人廟塔」があります。
「登廊」を「本堂」まで上がっていく途中に様々な堂宇などがあり、両脇には「長谷寺」の名所である牡丹の花が植えられている。
長谷寺には牡丹の花が150種、約7000株も植えられている。
「中登廊」付近には「天狗杉」があります。
元禄年間に「英岳」という僧が、「登廊」に吊り下がってる灯籠全てに火を入れる役目で、火を点けていくと端から次々と火が消えていくので隠れて見ていると、天狗が火を消す悪戯をしていて、この天狗はこの大きな杉の木を住処にしていたという。
「中登廊」、「下登廊」の踊り場には「手水舎」、「三部権現社」があります。
「上登廊」と「中登廊」の踊り場には、「蔵王堂」、「貫之故里の梅」があります。
「貫之」とは「土佐日記」作者の「紀貫之」のことで、久しぶりに「紀貫之」が「長谷寺」に参拝した際、昔馴染みの家を訪れ、家の主人が久しぶりに訪れた「紀貫之」に対し、「あなたが泊る宿はまだちゃんとありますよ」と軽い皮肉を言った際に、この梅を例えにして家の主人に対し詠んだ歌だそうです。
「人はいさ 心も知らず 故里の 花ぞ昔の 香ににおひける」
「あなたのお心は、さあ、どうだか知らないが、昔馴染みのこの里の梅の花だけは、昔と変わりなく良い香りで美しく咲いていますよ」
この句は「古今和歌集」に収載され、「小倉百人一首」の第35番の歌となっています。
「上登廊」から「本堂」前の広場へ上がる際、「三百余社殿」があり、「本堂」の舞台造りの部分が見られます。
「上登廊」を上がりきると「鐘楼」があり、「本堂」へと繋がっています。
登廊、鐘楼、本堂と連結していて、本堂までの参拝は雨に濡れないです。
「鐘楼」には「尾上の鐘」という「梵鐘」が吊り下げられている。
歌人「藤原定家」が、「長谷寺」に訪れた時に詠んだ歌があります。
「年を経ぬ 祈る契は 初瀬山 尾上の鐘の よその夕暮れ」
「恋の成就を長谷観音に祈って年久しい。しかし契も空しく、恋人のもとに通う時を告げる尾上の鐘は他人のために鳴る」
「尾上の鐘」は、この「藤原定家」が詠んだ歌から名称が付けられたようです。
「尾上の鐘」とは「山の峰で撞く鐘」の意味だそうです。
正午12時になると「鐘楼」にて「尾上の鐘」が撞かれて、僧侶が法螺貝を吹きます。
千年の昔から「長谷寺」で続く習わしだそうです。
「本堂」には本尊の「十一面観世音菩薩像」が祀られていますが、「徳道上人」が刻んだものは火災で焼失しており、現在の本尊は1583年に再興されたものです。
「長谷寺」の十一面観音は通常の十一面観音と違い、地蔵菩薩が持つ錫杖を持っているので、「長谷寺式十一面観音」と呼ばれるそうです。
身の丈が10m18cmもあり、日本で最大級の木造彫刻で重要文化財に指定されています。
普段は通常の入り口から入って、正面から上半身ぐらいしか拝観出来ないのですが、特別拝観は本尊の真下の足元まで近づき、両足を触れることが出来てご縁を結ぶことが出来ます。
撮影禁止なので載せれませんが、本尊の両足は今まで多くの参拝者が触れられてご縁を結ばれてきたので、金箔は剥げて黒く光ってました。
真下から本尊を拝観すると、その大きさと素晴らしさに圧巻されて、しばらく立ち尽くしていましたね。
期間は12月11日(日)まで特別拝観を行っています。
「本堂」は1650年に再建されたもので、国宝に指定されていて別名「大悲閣」とも呼ばれています。
また「本堂」は本尊を祀る「正堂」と、「礼堂」というお堂が一緒になっていて、「礼堂」は初瀬山の中腹の崖から張り出している舞台造りとなっていて、舞台からは絶景を望む事が出来ます。
その他の堂宇などを紹介します。
「本堂」前には「納経所」、「手水舎」があります。
「本堂」より上に「愛染堂」、「三社権現」、「絵馬堂」、「稲荷社」があります。
「納経所」から東方面へ行くと「能満院」があり、「日限地蔵尊」、「不動明王」など祀っています。
「本堂」より西方面へ行くと「大黒堂」があり、「大黒堂」から階段を下ると「開山堂」があります。
「大黒堂」より上へ上がっていくと「弘法大師御影堂」があり、南方向へ進んでいくと「本長谷寺」、「一切経堂」、「五重塔」へ行きます。
「本長谷寺」は「道明上人」が「天武天皇」の病気平癒の為に、「銅板法華説相図」を鋳造して祀った場所です。
「五重塔」の側には「道明上人」が建立した「三重塔跡」があります。
「五重塔」からさらに奥へ進むと「陀羅尼堂」、「興教大師堂」があります。
「陀羅尼堂」から「下登廊」方面へ下って行くと、「本願院」、「六角堂」があり、そこから南下すると「本坊」へ着きます。
下る際に池があったんですが、カメが複数いるなかで今では珍しいイシガメがいてました。
長時間をかけて結構、散策したんですが見落として見れなかったものがあるかと思います。
それぐらい「長谷寺」は広大な寺院となっています。







































































