パリ五輪での日本人アスリートの活躍は素直に嬉しいですね。海外にいると特に外国人と対等に競う日本人には共感しやすくなるのかもしれません。スポーツの分野では特にアジア人は下に見られることが多かったので五輪に限らずMLBなどでも応援しています。
さて、そのパリ五輪の開会式のあるシーンが議論を引き起こしています。あのセーヌ川での一シーンですが、ご覧になってない方もいらっしゃるはずなので説明の前にまずそのシーンのリンクです――と思っていたのですが客観的にそのシーンをとらえている映像が今日現在見つからないので(2,3日前はあったと思ったんだけど)申し訳ありませんがご興味のある方は自力で探してみてください。ここでは写真だけで失礼します。
開会式後、このシーンに対してカトリック教会、米国の宗教右派から猛烈な不満の反応がありました。このシーンはダ・ヴィンチ「最後の晩餐」のパロディーでキリスト教を嘲笑しているものだ、というわけです。私が見たところではまあ一見「最後の晩餐」に似てなくもないけどファッションショーがメインなような。それにあの真ん中の青い人は何?あれがなかったらちょっとは「最後の晩餐」っぽいかも?妻の感想はあれはディオニソス、最後の晩餐じゃないんじゃない?とのこと。印象は人それぞれのようです。
クリエイター―は繰り返しこれは「最後の晩餐」のパロディーではない、ギリシャ神話の(オリンポス12神の一人)ディオニソスの宴へのオマージュだ(つまり「最後の晩餐」とは全く関係がない)としていますが、批判の嵐はエスカレートするばかり。ついにはクリエイターへの脅迫、殺人予告が相次ぐなど法的措置が必要なまでに。でも例えこのシーンが「最後の晩餐」のパロディーを意図したものだったとしても、このダ・ヴィンチの作品はあまりにも有名であるが故、以前から数えきれないほどパロディー化されています。なぜ今回のものがそれほど宗教右派の逆鱗にふれた?
私は宗教右派、カトリック教会、トランプ、イーロン・マスクらのこの(キリスト教を)「侮辱している」という反応はドラッグクイーン(すみません、ドラァグという表記に慣れていません)がそのシーンを演じていたからだと思っています。「ドラッグクイーンがキリストの最後の晩餐のパロディーを演じた」ことが許せない侮辱であり、シス・ヘテロ男性が男性の衣装で同じシーンを演じていたら批判の対象になってなかったであろうと。
このシーンのクリエイターはドラッグ―クイーン起用の意図がLGBTQを排斥しない社会が理想というメッセージにあったことを示唆しているので、そういう意味では宗教右派、保守強硬派の反LGBTQ意識が図らずも浮彫りになった一連の騒動だったと感じています。
宗教の自由を盾にLGBTQ排斥も宗教上の自由、つまりマイノリティ排斥は自由とする論理は米国ではよくあることです。宗教上の信念が影響するのはLGBTQ排斥だけではなく人種差別、男尊女卑、その他いろいろありますが。日本にいたときには宗教上の理由での排斥というのはあまり聞かなかったので米国での宗教右派の頑なな論理、そしてそれを法的に固定しようとする試みには戦慄を感じています。