8月にFaceApp で遊んだ投稿をしましたが、その中で男性化した私の顔にStar フィルターをかけたものが外人顔になったことをお話しました。
ところが10月頭にアプリをチェックしたところ、Showcaseのメニューが消えている… Showcase の下にはGender Swap 、Star、子供予想など、頻繁に使ってこのブログで紹介してたフィルターがあったのに全部なくなってる!
ちょっと残念。アプリの面白いフィルターの結果を投稿したつもりだったのにフィルターそのものがなくなっちゃうなんて。でも以前にも触れましたがFaceAppさんはリリースした人種変更フィルターが人種差別的、と批判され大炎上してフィルターの削除に追い込まれた経緯があるので人種を変える、ととられかねないフィルターにはかなり神経質になっているのかも。
このブログの私のボリウッドスター写真が一因になったとは全然思っていませんが、いつの日かこのブログをFaceAppの担当者さんに読んでいただける機会があることを期待して、フィルターによる「外人顔化」に対する私の考えを述べてみたいと思います。
まず「人種差別主義」という日本語ですが、これだと奴隷制を容認している人、とかある民族、人種が他より優れている(劣っている)と考えている人、というイメージです。それはそれでいいのですが、昨今の英語のレイシズム(主義)、レイシスト(そういう主義の人)、という言葉はそれより遙かに広い範囲を含み、あらゆる人種、民族のステレオタイプ(日本人はみんな釣り目で短足だ、創造力ゼロで欧米のデザインのコピーしかできない、といった類です)を前提にしたコメントがレイシズムと判断されます。一般的には否定的なステレオタイプが対象ですが、否定的かどうかは主観によるところが大きいので慎重になる必要があります。
ここでは奴隷制の是非や人種の優劣のレベルの議論ではないので(「人種差別主義」ではなく)敢えて「レイシズム」という言葉を使います。人種変更フィルターが問題だ(つまりレイシズムだ)と私が思う理由は、この人種ならこういう顔であるべきという誘導が露骨に出ることにあります。東アジア人ならこういう顔、サハラ以南のアフリカ人ならこういう顔という思い込み――もちろん傾向があることは否定しませんが、これが典型的なその人種の顔であるという決めつけ自体がステレオタイプ化された考え方で、これではレイシストの烙印は到底免れません。人種変更(を目的とした)フィルターの削除は正しい判断だったと思います。
でも人種変更を目的としていないフィルターでたまたま人種が変わったように、あるいは曖昧になったように見えるのは私は逆にOKだと思います。むしろ人種が変わる可能性があるフィルターは削除、という考えの方がはるかに有害――そういった考え方のほうこそ「この人種ならこういう顔であるべき、あるいはこういう顔にはならないはず」というレイシズムの呪縛に囚われているというのが私の見方です。
人種間の容貌の線引きは実はかなり微妙なのもので、育った環境によっても異なってきます。日本では「外人顔のハーフ」の方が白人ばかりの環境にいる米国人にとっては「普通の日本人」に見えたり、逆に日本人には普通の「縄文人顔」であっても外国人には「日本人の顔じゃない」と言われたりするのはよくあることです。(日本人はこういう顔だ、という人によって様々なステレオタイプができあがっているのです)
私はこの人種間の線引き自体がレイシズムを助長していると思っています。そしてフィルターのアルゴリズムによって予期せぬ形で「人種変更」が起こる(線引きを越える)ように見える、あるいは人種の判断が分かれる、というのはこの線引きが主観的、恣意的であることを示唆しており、「人種線引き」概念の打破のためにも大いにアプリのユーザーに楽しんでもらって構わないのではないかと考えています。人種ってもともと連続してるんですよ、という考え方ですね。
FaceAppさんの担当者に声が届けば、と上で述べましたがFacceApp社としての決定には担当の弁護士の判断の影響のほうが大きいかもしれません。弁護士の方にも「人種変更を意図したフィルター」と「人種が変わったように見える場合もあるフィルター」の違いをじっくり考えていただければと思います。何でもかんでも削除してしまう前に。
でもShowcase下にあったフィルター群は無料版ユーザーを有料版へと導く効果的で貴重な機能。配置換えならともかく全部削除というのは経営判断としてもちょっと微妙なところだと思うんですが、なぜでしょうね。