3月のカミングアウトの投稿で、私にとってホルモン療法(HRT=Hormone Replacement Therapy)はどうしても必要な悲願であること、でも妻が納得するまでは始めないことに同意したことをお話しました。それから1年ちょっと。私としてはその間妻に(決断の)プレッシャーを与えないよう極力努めていたつもりでしたが、男性化していく身体がとてつもなくつらい、と私が感じているのが妻にも伝わっていたのは明らかでした。

 

最終的には前回お話したカップルのカウンセリングで妻がOKしてくれたわけですが、そこに至るまでの葛藤の詳細は私には話してくれません。ただ段階としてはまず私の性別違和がHRT無しには変えようのないものであることを理解すること、そして次に男性としての私、つまり夫を失うことによる喪失感の悲しみ、描いていた夫婦としての将来像がぶち壊されたことによる理不尽さ、怒りを克服できるのかということになるようです。

 

前者だけでもなかなか難しいことなのにそれよりはるかに厳しい後者の決断を妻に強いた私。でもそうなってくれなかったら私がどうなっていたか、というのは私自身怖くて考えたくありません。カップル・カウンセリングでは妻の辛さについてだけでなく私の罪悪感についてもしばしば話題に上りました。私としてはなんとか中間地点を、との思いでHRTを低用量にする、とか女性としてフルタイムでなくてもよい、など「妥協案」で何とか妻の苦しみを和らげられないかといろいろ話し合いました。でもHRTは妻にとっては極めて重要な一線。それを越えたらその先の「妥協」なんて意味がないことがわかってきます。

 

妻がHRTやってもいい、本当に必要なんだから、とOKしてくれたのは4年程前のことです。悲願のHRTへ向けての最大の一歩でしたが、それまでの妻の苦しみを考えると手放しで喜ぶという状況には到底なり得ませんでした。でも私にはやはりどうしても必要。信頼できる筋をあたって医療機関を探し始めます。

 

最終的に選んだのはLGBTQフレンドリーなことで有名な病院。総合病院なのでジェンクリ、というイメージではないのですが、他の用で行くことはないので私にとってはここがジェンクリ。アポの予約を入れようとしたら早くても2か月待ちということがわかりましたが、専門でHRT経験豊富なチームであることが理由で選んだので待つことにしました。一刻も早く、という気持ちは当然あったのですが。

 

HRTの健康上の中長期の影響、副作用に関しては十分話を聞いておきたいということで、1回目のアポは妻も同伴。医師側がカウンセラーとの連絡も十分できるようリリースフォーム(個人情報開示を認める書類)も用意してアポ当日です。

 

以前の投稿でも述べた通り、私のように年齢が高い場合、患者の性自認を疑ってHRTを否定することは(このあたりでは)ほとんどないようです。従ってアポでのメインのお話も私の性別違和だけではなく、健康上、体質上の制限の可能性についてが大きなウェイトを占めました。私の病歴のみならず血のつながった家族(親、祖父母、叔父叔母など)の病歴などもわかる範囲で。ひとしきり話を終えたあと、血液検査の結果をもって2回目のアポに来るように、カウンセラーとも話をしてそれでOKになればホルモン剤を処方しますということになりました。

 

待ちに待ったHRTへの具体的な道筋、タイミングがわかったのは私にとっては非常に大きかったはずです。でも嬉しかったことは何ひとつ覚えていません。帰りの車の中で涙を流す妻をみて、どうしようもない悲しみに襲われていました。なぜ私は性自認が女性で生まれてきたんだろう。

 

恋愛対象は女性で身体は男性なのに。何千回自問しても無意味な問いなのですが。

 

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