Internalized Transphobia – 直訳だと「内部化されたトランスジェンダー嫌い」、かもしれませんが、日本ではどう訳されているのでしょうか。 Internalized は心の中にあるという意味、そして Transphobia はトランスジェンダーであることを恥じ、卑下しあるいはネガティブにとらえるということです。 Homophobia (ホモフォビア)はすでに日本語になっているかもしれませんが、それのトランス版です。
以前の投稿でも触れましたが、私が40代に入る頃までは世の中は(今でいう)トランス女性はおカマ、ゲイなどの一種、という程度の認識だったと思います。そのステレオタイプ化されたコンセプトでくくられる人たちは男性同性愛者で、女装して、女性っぽい物腰、話し方を強調した人たち。男に生まれたくせに見かけや振る舞いが女性なので「普通の」職場から排斥されエンタメ界、風俗系で生き延びることを余儀なくされている人たち。
実際に見かけると、ゲッ、おカマかよ、気色わりー、が当たり前の反応と思われていた時代。社会全体の認識がそうだったわけですが、今考えても当時の人々のあまりの無知ぶり、ひどさ、LGBTQに対する差別意識に怒りがわいてきます。私自身は当事者でないことを確信していた時期で、差別意識に不合理を感じつつ無関心を装っていた私もかなり同罪といえるのですが。
今これを書いていて、現在でもいまだにに当時の認識そのままの人たちが多数派である現実に文字通り頭を抱えている私ですが、トランスフォビアはこういった社会全体のトランスジェンダーへの無知、差別意識が大きく影響しているので、長期間それに曝されていた、つまり高齢の世代になればなるほど強く持つ傾向があります。そしてこれは当事者にとっても無縁ではありません。
当事者の持つ自身へのトランスフォビアをInternalized Transphobiaと言うわけですが、これが自分はトランスジェンダーではない、と否定する気持ちを強力に後押ししているケースはかなりあると思います。「私は絶対トランスなんかじゃない」「私は普通の正常な男性/女性だ」といった具合に。あたかもトランスジェンダーであることが悪いこと、恥ずべき事であるかのように。。(注:Internalized Transphobiaという言葉は当事者以外でトランスジェンダーへの理解の深い方、例えばアライ、サポーティブな友人の場合にも使われます)
私自身にとってもこれが自分の性自認を正しく認識するおおきな妨げになっていました。それどころか今現在も(特に日本での)カミングアウトを恐れているのはまだ私が Internalized Transphobia を完全に克服できていない証拠だと言えるかもしれません。自分が自分であること、つまりトランス女性であることに誇りを持ち、親しい友人だけでなく親戚、中高の同級生に堂々と宣言できるようになるまでは私はまだその呪縛に囚われているのだと思います。
長年にわたって社会常識として叩き込まれた意識を根本から変えるのは難しいのですが、差別だけは早くなくなって、トランスジェンダーであっても皆が「普通の仕事」にあたり前のように就けるようになってほしいですね。性別移行が原因で職を失うなんて絶対に許してはいけません。3月31日、トランスジェンダー可視化の日の思いでした。