今日はちょっと言葉の使い方についてコメントしたいと思います。賛否あると思いますが私の個人的意見ということで。
「性同一性障害(GID)」
日本ではまだこの単語をよく目にしますが米国ではほぼ Gender Dysphoria (GD) 、つまり性別違和という言葉に置き換えられています。「障害」という言い方に賛同できない、というトランスジェンダーの方は多いですが、私もそう思います。性自認は男性であっても、女性であっても、その間のどこかであってもそれ自体は障害扱いされてはならないと思います。この点はシスジェンダーの方と全く同じです。もしトランスジェンダーに「障害」があるとすればそれは体のほうです。性同一障害という単語はメンタル面、精神面に問題あるかのように聞こえ、トランスジェンダーに対する誤解を助長することになりかねませんので、なるべく使わないようにしていきたいですね。
「女性になる」「女の子になりたい」
このブログでも私はこの表現を使いまくっていますが、正確にいうと「女性として生きていく」「女性として社会に受け入れられたい」ということだと思います。少なくとも私の場合、性自認は持って生まれたもの。50年も気づかないでおいて今更ほざくな、とか言われそうですが.、それについてはまたの機会に。長い間気が付かなかったにしても、私は生まれたときから性自認が女性だった、男性と信じて生きてきた五十数年の間、自分自身を理解できていなかったその歳月の間もそれはぶれていなかった、と今では確信をもって言えます。つまりもともと女性だったという認識なので「女性になる」という表現がひっかかるのです。ただ「女性として生きていく」「女性として社会に受け入れられたい」という表現はちょっと長いので、これからも「女性になる」という表現を使います。あしからず。
「女装」
トランス女性=女性であるならば、トランス女性が女性の格好をしているのは女装ではありません。私はまだ家族・親しい友人以外にはカミングアウトしていないので、今のところ男装で過ごす日のほうが多いのですが、とにかく「トランス女性が女装している」の類の表現を見るとがっかりしますね。ただこのブログでは私の真の性自認の認識がなかった頃の話については女装という言葉も使います。その当時はその言葉で考えていましたので。