↓ かつて、電話と言えば、家の固定電話や公衆電話が、

  メインだったころの思い出を、曲にしてみましたww

 

平成くらい以降に、若い時を過ごした人は、
電話と言えば、まずケータイなんだろうけど、
バリバリ昭和を過ごした自分にとっては、
電話と言えば、やっぱり固定電話w

特に、自分が大学生だった頃、ほとんど講義にでないで、
実質ニートみたいな過ごし方をしていた時期と、
中退してからフリーターでぶらぶらしていた頃は、
ケータイはまずないし、ポケベルを使う人は周りにまずいなかったし、
メールもラインも当然ないので、
固定電話と公衆電話は、貴重な通信手段だったw
東京に来たばかりの頃は、今はなつかしい賄付き下宿に住み、
電話は下宿の取次で、長い話はできなかったが、
その後、念願のアパートでの一人暮らしになり、
そして自分だけの家の加入電話を導入した時は、
やっと東京での自分の「自由な一人暮らし」が始まるんだ、
などと実感したもんだったww

おもえば、アナログ電話を使っていた頃は、
男同志の電話でも結構、長ばなしをしたものだった。
ギターのハガちゃんとイカサマなアマチュアバンドをやっていた頃は、
音楽の話だけで、夜明かしできるくらい電話で話合ったし、
自分のフライフィッシングの師匠である長さんとは、
やれ、あの川はどうだこうだとか、あのフライで良く釣れたとか、
酒の入ったグラスを片手に、ずっと受話器を通して、
釣りの話に花を咲かせたもんだった。
またその頃にいた彼女や女友達とも長電話したもんだが、
異性との電話での会話、となると、今思い出してみると、
それほど内容のあるような話は、ほとんどなかった気がするww
しかしまあ、それはそれで、付き合いというものがあるうちは、
直接あえないときは、せめて電話でだけでも話して、
おたがい相手との時間を、少しでも共有したい気持ちの方が優先で、
話の内容なんて、ある意味どうでもよかったのかも(笑)

おもえば電話線の、細い銅線のなかを、
数多くの音声信号が、双方向に、
めまぐるしく行きかっていたわけで、
それは、普段は、音声をアナログ信号に変換した、
音の波形の行き交いにすぎないのに、
時には、その言葉に、大きな感情が込められて、信号が流れると、
電話線は、まるで生き物の血管の中のように、
言葉に込められた信号は、まるで生きた血液のように
強い熱量を伴ってながれる時々があった訳で、
素面で、直接相手に伝えるのをためらってしまう言葉も、
電話なら勇気が出て、素直に伝えることもできたりすることもあり、
そんな言葉を伝えたいときに、
スマホの、冷たいプレートに向かって話すよりは、
自分の耳と横顔をつつんでくれる、電話の受話器のぬくもりがあった方が、
自然に暖かい気持ちで話せることも、あったような気がする。

そんなアナログ電話の受話器のぬくもりの力を借りて、
たくさんの人たちの、熱い言葉が、あの銅線の中を、行き来していたわけで、
たくさんの人が、思い切って相手に言いたいことを言ってみたり、
また、もう二度と会えないかもしれない相手に、
『また、いつかどこかで、‥‥だといいね。』
なんていう、あとから思い出したら、もみ消したくなるような
なんだか恥ずかしいセリフの数々や、熱い感情が、
あの細い銅線を伝って、熱い血のように巡っていたわけだw

そのうち、まわりの友人も彼女も、みんな結婚して疎遠になり、
電話で長電話なんてするようなときは、
会社の同僚と、仕事や会社のグチや悪口だけになり、
それと同じくするように、固定電話もすたれてしまったなあ、
なんてしみじみおもったりする。

今のアパートに、光回線をひく工事のときは、
ひかり電話もつけようかとおもったが、
プライベートな通話は、携帯とメールが中心になった今では、
固定電話にかかってくるのは、
たぶん営業電話系の迷惑電話ばっかりだろうから、
家の固定電話には、完全にさよならしてしまい
今は会社の業務用電話くらいしか、固定電話を使う機会はないが、
夜中に、自分のアパートの固定電話や、
寒空の下の、外の公衆電話で、10円玉の残量を気にしながら、
友達や女友達と長電話していた頃は
なんだか忘れられない気もするにゃあ‥