↓ 雪国の、冬の厳しさと沈鬱の気持ちの夜想曲を作ってみましたw。

↓ ちなみにテンポ早めのバージョンも試しにやってみましたww

 

 

東京もようやく春めいてきて、自分は内心、ホッとしてきている感じ。
自分は冬の月の生まれで、雪国育ちなのに、
年をとるたびに、冬の寒さには、からきし弱くなってしまったww
無邪気なガキの頃は、まあ、だいたい平気だったのに、
また、現在住んでいる東京は、雪国よりは、ぜんぜん暖かいはずなのに、
東京の冬は、雪国とはまた質の違う、
なにか別の種類の、いやらしい寒さが、自分にはいつも感じられて、
東京で迎える冬さえも、毎年ややユーウツになるくらい。

でも子供の頃は、自分の田舎でスキーや寒バヤ釣りなど、
冬の多くのイベントを楽しんではいたし、
30~40代は、ニジマスが冬季に放流されていた頃の真冬の河口湖や、
血も凍る寒さの本栖湖などにも行っていたのだが、
今になってみると、厳しい寒さの冬の日々を楽しむには、
やっぱり、身体と精神に、若さが残っていないとムリだなあ、
などと思ったりしてしまうww
真冬の河口湖で、放流ニジマスを狙って釣りしていた時は、
釣りベストのポケットに、ポケットウイスキーやワインのミニボトルを忍ばせて、
キャストの合間に、それを飲んでは、燃料補給して、
一日中、冷たい湖岸に立ちこんで、ヘタクソなキャストを繰り返したりしてたが、
今はもう、そんなムチャなことは、まずできなさそうww
そういう楽しいイベントごとを除くと、
自分にとっての、東北の雪国の冬の記憶は、
ひたすら際限のない、うんざりするような積雪と、
ひたすら不愛想で容赦のない寒さしか残らない感じw

フライフィッシングが好きな人なら、
たぶん、一度は読んでみたか、あるいは、
その本の名前だけでも聞いたことのあるだろう名著で、
湯川豊さんの「イワナの夏」という本があるが、
その中で、釣行先の信濃川上流の、ある民宿の、
超絶に不愛想な店主が登場するが、
湯川さんがその店主を描写した箇所があって、
「松田屋は不愛想だった。
 それも徹底的に骨のズイまで不愛想だった。
 不愛想な表情の裏に、
 田舎の人特有の素朴な暖かさがあるなどという、
 甘ったれた幻想を、
 彼は決して抱かせてはくれなかった。」
というところは、
都会育ちの人が、田舎に対して、つい抱きがちな、好意的な先入観を、
田舎の一部の頑固な人と、無慈悲な自然が、容赦なく打ち砕く、という
あるあるな事象で(笑)、思わず笑ってしまったが、
かつて過ごしたあの昔の、自分の田舎の厳しい長い冬とは、
今の自分にとっては、そんな感じになってしまったww。

 

 


今回アップした曲は、そんな雪国のユウウツの気分がにじみ出た感じw
この曲を作ってみたころは、
音楽って奴は、ただメロディを作るだけでは不十分で、
曲として成り立つには、形式を考える必要があるのだなあ、
などという、基本的なことに、やっと気づき始めたころで、
形式というフォーマットがないと、
ただのメロディだけでは、それは登場人物の紹介だけで、
じゃあ、その人はどこでなにをどうしたの?という
ストーリーのような組み立てがないといけないわけで、
そのストーリーの設計図になる形式がないと、
曲としては成り立たないみたい。

そんじゃあ、その形式のなかでも、
むかしのクラシックの曲の形式の中では、親玉的存在である、
ソナタ形式に挑戦してしまえば、
形式なんつうものを、克服できちまうのでは? などという、
素人の曲作りとしては、かなり無謀な発想が思い浮かび(笑)、
今思えば、レベル10のまま、ろくな経験値も積まずに、
ゲームのラスボスに、いきなり挑む感じ(笑)
ベジータ様に言わせれば、「ゴミの戦闘力」での挑戦www
でも、そなた、という言葉の響きだけでも、
なんだか魅力的で、無理を承知で挑戦したくなってしまうww

こんな事考えたのは、
自分が若い頃、自作のガラクタ曲の数曲を、テープに録音して
譜面も起こして、知り合いのM音大のピアノ科女子に聴いてもらったら、
彼女は真面目ないい人で、毎日ピアノの練習に忙しいはずなのに、
素人のガラクタでも、とりあえず一通り聴いてくれて、その後で、
「曲のなかでの、不協和音が少なすぎるわね。」とか
「形式が、ロンド形式しかないわよね。」とか真面目に批評してくれた。
その言葉をよくかみ砕くと、
『和声のお勉強が、まるでなっていません。』
『メロディーの繰り返しと交替だけで、楽想の展開や発展がありません。』
ということになるのだろうけどww
そうかあ、形式かあ…ということで
そんじゃあ、あこがれのソナタ形式でも、
いっちょう、やってみるべえ、というのは、
よく昔の昭和のマンガか、TVドラマの登場人物なんかに良くある、
金持ちの令嬢でピアノがバリバリに弾ける街の人気者のカワイイ女子に
自分のように育ちが上品でない身分不相応のヤンキーが、
まわりが必死に止めるもの振り切って、
無謀にもアタックして告白してしまう、みたいな感じだろうか(笑)
それにしても苦手の短調で、3拍子で、
やったこともないソナタ形式なんて無謀で、
その、あこがれの、ソナタ形式とやらへの、チャレンジは、
結局、展開部での、主題の展開がまともにできず、
これのどこがソナタやねん!ということで、
ただの主題と副題の繰り返しの3部形式か、ロンドで撃沈した模様。
冬のソナタ、になるはずが、冬のロンド、で終わってしまった感じww
やってたのはただの転調だけで
数度の変な転調をして、最後にむりくりピカルディの3度っぽく終わるという、
なんとも微妙な結果でしたww

あこがれの、ソナタさまの展開部を作るというのは、
たぶん、変奏曲や、フーガみたいに、モチーフを多彩に、
変化・展開させたりするような種類の、
音楽の経験値を、たくさん積んでないと、うまくいかないみたい。

これは、ある種、ジャズやフュージョンの曲のアドリブ部分にも
同じようなことがいえるのかも。
ジャズの曲の中間のアドリブ部分は、
ソナタで言うと展開部になるのだろうけど、
ジャズの場合、テーマの元調をおおきく転調・変化するのは少なく、
テーマの基本のコード進行の上か、
それに近いようなコード進行の上で、アドリブを展開するのが通常なので、
ソナタよりは、変奏曲の方に近くなるのかも知れないが、
それはそれで、その枠と尺の中で、
よりうまく主題を展開させる感覚が必要になる訳で、
よくジャズの入門書に、アドリブをやるには、
まずテーマのメロディを、原型から、変化、アレンジすることを試みろ、
と書いてあるのは、なるほどなあ~、などと思ったりする。
そんなことに、なんとなく気づいただけでも、
素人には収穫なのではww

そして、音楽の形式について、
素人なりに、あれこれ考えていたら、
そういえば、J-POPや歌謡曲によくある、
主題-間奏-主題戻り-の後に、
主題を、その半音上の調にそっくり転調して繰り返して終わる、という形は、
最後を半音上の調に移調して、浮遊感を出し、
退屈な繰り返しにならないように終わらせて、飽きさせない訳で、
なにげに、スゴイなあ、とか思ったりする。

 

↓むかしのJ-POPでの、曲の終盤で、主題を半音上の調に転調。

 

↓ちょっと前にアニソンで使われたJ-POPでの、曲の終わりで半音上の調に転調。

 

 

↓ちなみに、自分の曲で、終盤で、主題の半音上への転調を試してみたのが

 下の曲ですw

 

 

普通のソナタの曲の主題再現部では、
主題が曲の主調に戻ってから解決感が出て落ち着いてしまい新鮮味がなくて、
曲の終わりのコーダまでの間が、単調に感じられたりするが、
歌謡曲形式だと、最後の転調で、浮遊感と新鮮さをのこして曲が終わる訳で、
しかも、テーマの調の、半音上の調に移るというのは、
ある意味、最初のテーマの調の主和音に対しての、
その半音上の裏コード(=ドミナント7)が、今度は主和音となり、
主調から属調に移調するとも言えるわけで、
ソナタの場合、展開部で、属調や、下属調や、同主調などで展開し、
再現部で主調に戻って、落ち着いて終わりの感じになるのに、
歌謡曲形式では最後に属調に移行するような感じで、
たった4~5分のポップスでも、
ソナタに比べればごく単純ではあるが、
ソナタにひけを取らないような、
しかも理屈が分かれば、素人でもマネできるような、
なにげにスゴイ形式な訳だ‥イヤハヤ。
ちなみに、半音上の調に転調する直前に、
その半音上の調での、ドミナント7にあたる和音を置くのもよくあるそうで、
ある意味、これは転調を予告するために
セカンダリー・ドミナントを活用するみたいな訳で、
シンプルだが、奥が深いのが歌謡曲形式であったりする。

そしてソナタの方では、大ベートーヴェン様は、
ソナタ形式の後半の退屈さを避けるのに、第二展開部を置いたり、
かの大ショパン様は、そのソナタで、
展開部のあとの再現部で、その展開素材としていじくりまわした所の、

第一主題の復帰を省略して、あえて第二主題から再現させて、

退屈なテーマの繰り返しを避け、
聴く人を飽きさせない手法をサラリとやっているらしくて、
どんだけセンスの塊のようなお方たちなのだあ~、という感で、
音楽の「形式」というものには、
いろんな歴史と知恵があるのですなあ…
なんてことをぼんやり分かっただけでも、素人には収穫でしょうか‥。

曲の題名は、伊藤整氏の「雪明りの路」から取って
「雪明り」にしてみたが、
「雪明り」を風情として、そこに詩情や抒情味を感じるには、
やっぱり若さ、心の余裕でもないとムリで(笑)、
カンレキ独身のさびしい、ぽんこつのオッサンには、
厳しい冬の「雪明り」にワビサビを感じる、
こころの余裕は、今はもうない感じです(爆)