1998年ころと言えば、
ノストラダムスの予言する「恐怖の大王」が地球に降臨する1年前で、
また西暦2000年問題を、2年後に控えるという、
人類にとって大変な時期だったが、
その頃、どこにでもころがっている庶民の35歳の自分は、
平日は会社の若い人と、週3回は、仕事後に、安居酒屋で飲んだくれ、
休日は、中央線の阿佐ヶ谷にある、小さなバーで飲んだくれるという、
なかなかに充実した堕落の日々を送っておりました(笑)



しかし、なんで、中央線の阿佐ヶ谷かというと、
その頃、阿佐ヶ谷には、「文化ピアノ練習所」という
とってもいかしたスポットがあって(笑)、
普通なら、一人で貸しスタジオでピアノがあるところを借りると
大抵は、最低でも、一時間1500~2000円くらいかかったのが、
そこでは1時間500円という、格安料金だった。
そして、そこで2時間くらい練習したあとで、
そこから10分ほど歩いたところにあった
「アロウズ」という飲み屋に必ず行って
そこで1~2時間ほど飲んで
それから家に帰るというのが、
釣りに行かない時の、休日の自分の過ごし方だった。

なんでいい年こいて、
似合いもしないピアノなんて練習しに行くのかというと、
自分は高校時代のある時期に、
まるで突然に『中二病』にかかったみたいに、
唐突に「曲作り」というものを、どうしてもやりたくなってしまい、
いろんなガラクタを、つくりはじめたのだが、
その作った曲を、人に伝えて聴いてもらうには、
結局、自分で何か楽器を、弾かなくてはならなくなってしまい、
ギターやら、弦楽器やら、いろいろ手をつけてみたが、
ある程度広い音域があって、和音とメロディーを同時にこなせる楽器は、
結局、ギターにするか、シンセやピアノなどの鍵盤楽器しかないので、
しかたなく鍵盤楽器を覚えなくてはいけないハメになってしまった。
普通の人は、ますは楽器の演奏をしっかり覚えてから、
曲作りみたいなことを始めると思うのだが、
自分は全く逆で、曲作りのために、
やむなく楽器を覚えるしかないという感じだった。

当時は、「打ち込み」なんて手段は、

YMOみたいにごく一部の人に限られていた。
そしてピアノをいやいやながら勉強しているうちに、
それがそうとうに魅力的な楽器だ、と素人でもなんとなく分かって、
少しづつ真面目に勉強しなくちゃと思ったのだが、
自分の安アパートには当然ピアノなんておけるわけないし
代用の安物のデジタルピアノでは、
なんだか弾いた楽しさや充足感みたいなもんがどうしても欠けてしまい、
たま~に、モノホンが弾きたくなってしまうので、
休みの日には、どっかの安い練習所で生のピアノを弾きにいくことに。

大学時代に、友人とイカサマバントを組んでみて

なんのめぼしいこともできなかったこともあって
自分の実力では、音楽関連の仕事につくなんていうのは、
全く無理なのは、もう十分わかっていたので

普通の人は、大抵音楽なんてやめてしまう人が多いと思うが、

自分はいずれ足腰がたたなくなって、
渓流釣りにも行けなくなるような老後にそなえて(笑)
インドアの趣味があっていいじゃないかと
社会人になってもズルズル、だらだらと続けていたのだった。


その頃の前の、20代の頃には、
新宿の新宿通りと明治通りの交差点近くに、
「コタニ」という音楽教室があって、
そのピアノ付き個室を1時間500円で借りれたし、
その頃まだ幸いにも、20代の見た目だったので
都内の某音大にむだんで潜入しては
ピアノが置いてある練習個室を、
タダで使ったりしたが(もう時効ですよねww‥たぶん)
30代になると、見た目もオヤジ化して、
音大にも自由に潜入もできなくなり(笑)
さらに「コタニ」もなくなってしまい、
困ったところで、当時自分はネットも使える環境もなく、
やむなく、分厚い電話帳をくまなく見て、探し当てたのが、
阿佐ヶ谷の、「文化ピアノ練習所」

ここの何がいかしていたかというと、
建物は、築30年くらいの、

2階建て木造モルタルのオンボロアパートで、
その2階部分に、入り口のロビーとなる小さいスペースがあり、

そこはいつも無人で、現場で管理するような人はおらず、

ロビーにある、小学生用の勉強机の上に置いてある大学ノートに、

使った人の名字と時間帯と部屋番号を記入して、

該当する料金を、その机の引き出しの中にお金を入れるだけの、

まるで無人販売所のような、会計方法だった。
そして練習室は、2畳間が4室並び、
それぞれに、アップライトピアノが置かれており、
それは、練習室、貸しスタジオというより、
どこか共産国の強制収容所の中の、いい加減に作った音楽施設みたいな、
ただの狭い「タコ部屋」だった(笑)

実は、1階部分は、多分、高級なグランドピアノが借りれる

スペースになっていたみたいだが、

ここはきちんと予約制だったみたいで

自分は一度も使ったことはなかったし、

自分がそこに行った時は

1階からピアノが鳴る音を一度も聞いたことがない気がするが

ひょっとしてそこは録音もできるように完全防音だったのかも。


2階の狭い練習室は、平日の昼過ぎなどの、人の少ない時は、
気ままに、ゆっくり遊ぶこともできたのだが、
人の多くなる夕方とかは、
学生とか、社会人とか、幅広い層の人が来て、
隣でガンガン弾き始めると、その音が、薄いモルタルの壁を通じて、
ダイレクトに自分の背中にどんと響いて、
まるで自分の手に集中できない感じに(笑)
そして自分の隣の部屋に来た人が音大生か何かで、
ショパンとか、リストとかのムズカシイ曲を弾き始めると
自分のレベルのあまりの低さにゲンナリとなるのだった(笑)
その客層の中には、上品な若い音大生とかも多かったが、
中には社会人でブルースピアノをガンガンに弾く人や、
練習するというより、そこに来る人と雑談したくて来てる、
正体不明のオジサンとか、いろんな人もいて、
その人たちと、くだらない雑談をしたりして、まあ楽しかった。

時には、音大の声楽科らしい女性が、

ピアノ伴奏者と一緒にやってきて、オペラだかなんだかの

歌を歌いだしたり、片や別の部屋では、

ジャズ弾きがアドリブを気ままに練習したりで、

なかなかのカオスになる時もあった(笑)

その頃、練習所で、弾くだけでなく、
たまに安ラジカセで録音していたものが残っていて、
night pieceの3番目があったので
youtubeにアップしてみることに。
音も、演奏もヒドイけど、
隣の部屋で練習している人のブルースピアノの音が入ったりしていて
あの「タコ部屋」で遊んでいた日が懐かしくもある(笑)
この曲は、ジムノペディーの1番を、
4/4拍子にしたような曲にしてみたいと思ったら、
そのままメロディーをパクッてしまった(笑)
そして中間の部分が、大昔に聴いた
ビゼーのアルルの女の組曲の中のメロディーが、断片的に、
ひょっこり転生(つまり、パクリww)してきたのが笑えた。
音楽って、0から生まれる訳でなくて、
自分が無意識に吸収している音楽経験の中から、

アトランダムに流れてくるもんだなあ、なんて思う。

そして、平日の休みの午後の練習所で、
4台あるアップライトの中で、自分のお気に入りの
「タイガーピアノ」で遊んでから、ちょっと一服したくなり、
狭い入り口のロビーの、オンボロソファーで、ぼーっとした後、
何気に、ピアノの置いていない、廊下の一番奥の右の部屋が、
前から気になっていたので、
誰も居ないスキに、ドアを開けて覗いてみた。
中はやっぱり、ただの物置で、

譜面台とか、ピアノ用の壊れた椅子とか、

段ボールにつめこまれた赤茶けたカーテンとか、

いろんなガラクタが詰め込まれていたが、
その中に、オーヴィスのフライロッドが

無造作に置かれているのに気づいた。
良く確かめてみると、やはりオーヴィスのロッドで、
しかもその頃の、オーヴィスの代名詞の、

「スーパーファイン」のものが2本。
確か、7.6フィート4番の「ブルックトラウト」と
7.9フィートの5番の「ファーアンドファイン」だったような気がする。
それにしても、こんな鍵がどこにもない場所の物置に、
2本合わせれば、当時、定価で10万円を超えることになるフライロッドを、
ずいぶん無造作に放置しているなあ、と思った。
ロッドの選択からいうと、その所有者は、
フライでの渓流釣りを、バリバリにやりそうな感じなのだが…。
それにしても、オンボロとはいえ、ピアノの練習所に、
場違いな、オーヴィスのフライロッドが置かれているなんて、

いったいこれの持ち主はどんな人なのだろうと、

おもわず想像してしまったが、

この竿の持ち主は、実は、

「釣り竿ごとき」に、10万円以上を使ってしまい、

それが奥さんにバレるのを回避するために、

これを自宅じゃなくて、あえてここに保管していたのかも(笑)

しかし、その人のロッドの選択が、渓流でのマス釣りにふさわしい、

なんとも「文化的」なものだなあ、などと、
あくまで、釣り師の目線からだが、感心してしまった(笑)
まあ、ここに練習目的で来る人たちは、
オーヴィスのフライロッドになんて、

その価値とかを、まったく気にするはずもないから、
無造作に置きっぱなしでも、誰も持ち去らずに残っていたのかも。

自分の持っているオーヴィスのスーパーファインの、
タイト・ループという名前の、8フィート4番、4ピース。
これだけでも、当時5万くらいしやがって、

当時も貧乏だった自分がヒーヒーしながらやっと買ったもの。
リールのCFOⅢは、これも定価5万もしていたので、
新品には手が届かず、中古品で1万5千円だったのをみつけ、
代々木のカディスで買ったもの。


当時、オーヴィスのロッドは、国産ではありえない、
「25年無料保証」というのがすごく魅力的だった。
そして買った当時は、25年も同じロッドを使うものかなあ?
なんてバクゼンと感じたものだが、

その保証期間の間に、一度だけ竿の手入れ中に

手違いでティップを折ってしまい、無料修理のお世話になったが、
その「25年」もう、あっという間にとっくに過ぎて
無料保証修理も切れてしまったと思うと、
人生、なんともはかないものだ(爆笑)

それからしばらくの間、
釣りに行かない平日の休みの午後は、
阿佐ヶ谷に出かけて、文化ピアノ練習所で、適当にピアノをいじって遊んで、
夕方には、近所のバーの「アロウズ」に行って
ママさんや、常連さんたちと、音楽の話で盛り上がるという、
なんとも「文化的」な休日をすごしたもんだった(笑)

「文化的」といっても、

とりあえずオッサンになったので、

定番のバーでの一人遊びなんかしてみようか、などという

しょうもないことに無駄な時間を過ごしただけだったのだが(笑)

そんな感じで、日々を送り、
ついに2000年を迎えたが、
あれだけ騒いだ西暦2000年問題は、
銀行や株の取り引きがストップしたり、
航空機や、鉄道が運行不能になったり、
ミサイルが誤って発射されたり、人工衛星が落下したりとかの、
阿鼻叫喚の地獄絵図になる事はまったくなく
われわれ庶民レベルでも何も問題が起きず、肩透かしだった。

そして、ノストラダムスの大予言も、
ついに、「恐怖の大王」は現れず、
人類全員がひょうしぬけしてずっこけた感じだった。
しかしその代わりとして、
有楽町に「フランク永井」が、大王として、降りてきたそうだww。
(このマイナーギャグが分かる人は、かなりのオヤジですwww)