昭和の時代で、自分がまだ中学生のくらいまでは、

スポーツの試合の最中に、水なんて飲むんじゃない!

なんてのが普通だった。

今じゃ、考えられないが、ホントにそうだった。

自分が、小学校のころ、

夏休みには、各町の町内会対抗の少年野球なんてのがあり

その練習や試合の際ですら、水は厳禁で、

試合や練習が終わるまでは、ひたすら根性で我慢するのが普通で、

女子の場合はバレーボールで対抗戦だったが、

女子ですらそうだった。

 

今思えば、とんでもないと思うが、マジでそうだったのだ。

自分が、高校3年生くらいになって、

やっと、部活のサッカーの試合のハーフタイムの時くらいに

スポーツドリンクを口にしてもいい、なんて感じになってきたが

みんなの前で、おおっぴらにそれを飲むのは、

なんか疚しさを覚えるほどだった。

 

アントニオ猪木も、星野勘太郎と組んで、

NWAタッグリーグの決勝戦で、延長戦前の、ブレイクタイムで

水を飲もうとした星野勘太郎に、

「飲むな!!」と一喝したらしいので、

やっぱ、昭和だな~、などと思う。

 

今思うと、昭和の時代はすごかったなあ。

学校の先生も平気で生徒にビンタしてたし

自分は男子校の先生に「グー」でなぐられたこともあるw

(…その時は、さすがに先生も、手加減してたけどねw)

また、どの高校にも、マジで「番長」挌の生徒がいて、

いつもニラミを利かしていた感じ。

 

自分にとって、昭和を代表する人と言ったら

昭和天皇、田中角栄、アントニオ猪木 の3人が真っ先に思い浮かぶ。

昭和天皇は、終戦直後、マッカーサーが謁見に来た際に、

「自分のことはどうなってもいいので、国民だけは無事に済むように

 なんとかしてほしい。」と言って下さり、

西洋の人にとっては、

敗戦国の国家元首は、大抵、自分がどうやって逃げるかをまくしたてるか、

みにくく命乞いするのが常識なのに

昭和天皇の行動は、全くその逆だったことに大きな感銘を受けたらしい。

その時のマッカーサーの感銘と好印象が、その後の占領施策に影響し、

日本人から、日本人らしさを根こそぎ消し去る方針から

日本人らしさをある程度認め残してもいいものは尊重する方針に傾いたのだから、

昭和天皇のお言葉は、

いまでも自分たちの生活に直結しているのだと思う。

 

田中角栄は、いろいろある人だけど

在任中は、かなりたくさんの法案を作って通していたらしい。

評判と比べて、実はほんとに「議員」としての仕事をしていた人だ。

 

そしてアントニオ猪木は、

自分にとっては、ものすごく「昭和」を象徴する人で、

なんていうか、清濁と光と闇の格差がすごいというか、

いいことも悪いことも両極端。

 

そして、おそらくベイダーとの最後の試合は

晩年まで猪木らしいプロレスを貫いていて

すごく記憶にのこっている。

↓52歳で、衝撃的な投げっぱなしジャーマンを受けきった猪木

 

 

 

それから、アントニオ猪木の、

若いころの基礎体力のすごさが見れるのがこちら。

ブリッジしながらバーベルを上げちゃうところがスゴイ。

マクガイヤー・ブラザースとのハンディキャップマッチで

ぶよぶよに太った魔人ブウみたいな相手を

ブリッジで支え切った猪木をTVで観たときは

おもわず「ポカ~ン」と口をあけてしまったものだった。

 

 

 

 

 

アントニオ猪木が亡くなって

ああ、昭和もホントに終わったなあ、などと感じるくらいの存在だった。

アントニオ猪木はいろんな謎を、

自分たち一般庶民に残していってくれたが、

しかし、気になるのは、

第一回IWGPでのハルク・ホーガンとの試合での舌だし失神事件は

実は、猪木の猿芝居だった、というのが通常の定説だが、

せめて、その件だけでも、

ホントの事実を語って欲しかった気がする。

 

まあ、「ホントにホントの事」なんて

いつの時代にも、ないものなのかも知れないけど…。