「愛情」
という言葉が
なぜか昔からずっと苦手だった
なぜかこの言葉を聞くと
ゾワゾワしてきて、心地悪くなる
というか気持ちが悪くなる......
幼いころ、よく父が
「○○(私)には愛情が足りていない」
とよく言っていた
何か責任みたいなものを感じてそう言っていたのかも
でも
「愛情とか要らない、気持ち悪いっ!」
って思ってた
ベタベタ感が嫌い
父は度を越えて心配性なところがある
でも戦争で夫を亡くした祖母との親子間の絆がとても深い
母は逆に親との愛着が薄い
祖父母は厳しかったらしい
愛着形成がうまくいっていない
人に対して馴れ馴れしくして
しまうタイプ
相手との距離感が分からず
親密な関係が築けない
無意識的に満たされなかったものを
埋めようとする
自分を中心に回すことに必死で
誰か自分の思い通りにできる誰かを
見つけてコントロールしようとする
それが私だった
所有物といった感じ
どこかいつも檻の中にいるような感覚
そんな母に育った私は
依存するのも依存されるのも嫌い
なのに依存されていることに無自覚
それでいて吸収エンパス
ずっとずっとあまりにも無自覚だったので
同じような親子が目の前に現れてくれた
自分が吸収エンパスであることもその時に
自覚できた
(そういう名前があるというのはだいぶ後で知った)
ものすごく強い嫌悪感は
自分の見たくない意識の一部だった
エゴが無意識の部分に閉じ込めていてくれていた?
愛着とかエンパスだとか
これらは全部
分離の中の分類化された言葉
誰かに診断されたわけでもない
決めつけるわけではない
あくまでそういう傾向があるだけということ
両親は戦争の影響、傷跡を色濃く残している
本当に色濃く....
親にされて嫌だったこと
そこだけに執着し
大事に大事に自分の物だと
握りしめていたので
長い間気づけなかった
でも理解することで解放に繋がった
長年の思いを紙に書きだしていたら
たくさんいろんな思いが出てきて
何とも言えない嫌な気持ちになり
紙に書いても書いても出し切れなくて
気が付いたら思いっきり叫んでいた
もうこれ以上は無いかもっていうくらい
かなりスッキリした
身体の中から出てきたのは
ただの怒りのエネルギーだった
身体の中で動いたり流れたりする
ただのエネルギー
とても中立なものなのに
自分のものにしてしまっていた
エゴはなんでも自分のものにしてしまう
こういう親に育ったのだから仕方ないと
いろいろなことから逃げ依存する
弱くてずるい
自分にも気づいた
「戦争」というワードは
小さいころから気になっていた
自分の「テーマ」
自分で選んできたとしか思えない
完璧な設定
重症の蕁麻疹で死にかけた時に
大量にステロイドを投与して命が助かった
元々ベトナム戦争の時に
戦場での兵士の精神安定のために
開発された薬
戦争もよく観てみると
善悪で判断できない
中立なものだったりする
なぜ「愛情」という言葉が
それほどまで受け付けなかったのか
わかった気がする
「無条件の愛」を魂は知っているからだ
相手を理解し
条件を付けることなく
存在そのものを無条件に受け入れる
「愛情」の「情」の部分は
「怒り」「憎しみ」「恨み」「憤り」といった
ドロドロとしたものだったりする
でも愛が
ただ形を変えて
いるだけなのかもしれない
「愛情」というのも中立だった
ずべてが中立
忌み嫌うものなんて何一つない
こういう個人的なことは
分離の中の夢みたいなもの
自分のほうこそ
「私」の父
「私」の母
と「私」の所有物にしていたことに
気が付いた
許す、許さないって
グルグルと思考の中にしかいない「私」が
作り出したストーリー
すぐにラベリングをしてしまう
この実体のない「私」が
いる限り
あるがままが見えない
長い年月をかけて
この分離の中の夢の傷が
癒され
赦しとなった
明日は久しぶりに両親と会う
新しくなった自分で
会いに行く
