「楽しい、心地いい」とき 「私」という感覚がない
なぜなら本来の私たちはすべてがひとつで
分離がなく
満たされて、心地よいが自然な状態だから
そこに他より優位に立ちたいという
「私」はいない
「苦しい、辛い」ときほど 「私」という感覚が強くなる
なぜなら肉体を持って分離体験がしたかったから
苦しい、辛い、悲しい、寂しいを「私」を
体験したかったから
苦しみが進化するためのチャンスだと
知っていたから
癒しは
気づきと発見のための手段
癒していく中でどんな気づきと発見があるか
魂にとってはそれが目的で喜び
癒すことを急いだりする必要はなく
体の傷を治すときの自然治癒力が
心にも備わっていて
気づきや発見の中で
癒されていくのを
ゆっくり見守っている
自然の治癒力
神の自分
「真我」が自分の中にあるのだと思います

