家 族 全 員 無 事 確 認 !!!!

さっきお父さんから連絡きた!!!!

ずーっと連絡とれなくて、どうなってるのか分かってなかった
おじいちゃん、おばあちゃんの無事が確認できた
(´_`。)

本当に良かった!

電話つながるんだっって思ってすぐさまお父さんに電話した。

地震後初めて聞いた家族の声。

安否の確認はとれていたけども、状況が全く分からないまま
連絡が途絶えていた仙台の家族の状況を聞くことができた。

安堵。

山形に単身赴任の父は、明日からの仕事だから、山形に戻ってきてく、
ようやく携帯がつながったらしい。

宮城県内は規制がかかってるのと充電切れとで、
全く電話つながらない。
ってかそもそも圏外らしい。

家の中は家具や食器や本など散乱してぐっちゃぐちゃになったらしい。
ま、その程度でよかった。


命さえあれば。
ものはまた買える。
壊れても直せる。
思い出の品だって、無くなっても心の中にずっと残ってる。
これから先、いくらでも思い出は作れる。

でも、
命は絶対に何があっても戻ってこない。

何があっても、もう、二度と帰ってこない。

大切で、尊い、かけがえのない、いのち。


テレビのインタビューで、
自分だけが助かって、他の人は波にさらわれてしまったとか、
こどもとはぐれてしまったっていうお母さんとか、
目の前で誰かが波に飲まれていくのを見たとか、

そんな言葉を聞くとほんとうに辛い。
あまりの悲痛さに画面の向こうの人と一緒に何度も涙した。

悲しいのは、せっかく助かった命が、
助けられなかった命のために、苦しむこと。

でも、私も家族と連絡が取れなかった間、
家族が大変な時に、
普通に過ごせている自分と、何もしてあげられない自分が
ただただもどかしくて、苦しかった。

だから、被災者の人にくらべたら、ほんのわずかかもしれないけど、
自分の無力さを責めたり、悔しく思う気持ちは理解できる。

震災は、物資面でのケアも重要だけど、
心のケアも本当に大切だと思う。
特に長い目で見たら、絶対に。

みんなの関心が薄れてきた頃、落ち着いてきた頃にこそ、
支えてあげることが必要だと思うんだ。

私も胸が張り裂けそうに辛いけど、
こういうときこそ、今ある自分の命を
ほんとうにありがたいと思って、大事にしなきゃなんだな。

どうか、どうか、助かった人たちが
悲しみを乗り越えて、もう一度笑顔になれる日がきますように、
そのために自分ができること、なんでもしたい、
と、テレビの向こうの悲しみに、心を寄り添わせる。


家族は無事が分かって、一安心だけども、
まだ宮城県は電気、水、ガス全滅らしい。

電気は日中、充電カー的なのがきて、携帯とかの充電できるっぽい。
もっともほとんど使えないが。
ガスは、卓上コンロを使い、火は起こせるみたいだけど、
ガスボンベが不足中。乾電池も不足。

水は給水車が来るみたいで、弟が1人暮らしの近所の祖母に
くんできたり手伝ってる模様。

昔ながらの石油ストーブで暖をとってるみたい。
石油も今のとこはあるけど、今後物流が復活しなければ不足かも。

母親は、避難所のボランティアに借り出されてる。
泊り込みらしい。
疲れ溜まってるだろうな。
とか、考えると手伝えないのが辛くてしょうがない

けど、私は私でちゃんとできることしよう。
まずは就活。
この週末は1個試験が延期されたけど、
来週の分はほぼ予定通り。

週末勉強やら準備するはずが、
まったく手につかなかった。やばい。

不安で長かった週末。でも気付いたらもう月曜!短い!!!
今回のことで、人の役に立つこと、
人を幸せに笑顔にできる仕事を絶対にするって決めた。
まぁ、もともとそれが軸だったけど、確信に変わった。

もう、家族に頼れない。心配かけられない。
安心させてあげたい。支えてあげたい。
家族も、町も、日本も、世界も。

自分のとこは無事でよかったとか、
どこより被害少ないとか、
そういうことじゃなくて、
いのちの重さはみんな同じ。
だれでも、どこでも、いつでも。

あ、自分にできることはないかと思ってたら、
この地震で不安に思っている外国人向けに
外国語での対策マニュアル作成の話が来て、
トルコ語版の作成に協力しました。
1人では難しかったから、途中からクラスメイトと一緒に。
分担したり、改訳したりして。

外国でこんなことになったら、その不安は現地の人以上だよね。
情報も得るの難しいだろうし。

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世界からもたくさん援助が来てる。
海外の友達もみんな心配してくれた。
世界はひとつ。
さぁ、立ち上がろう!世界を元気にするぞ!!!