昨日の地震

東京でも激しい揺れが2,3分続いた。
家にいたけど立っていられない程で、
家がつぶれるんじゃないかと本気で心配した。
NZで倒壊したCTVビルの様子が脳裏をよぎった。

普段は震度3、4ぐらいなら、
また地震か。程度にしか思ってなかった。
でも今回は、これは普通じゃないと思った。
関東大震災が再来したのかと思った。
未体験のあまりに強い揺れだったから。

急いでテレビをつけると、
震源はなんと
宮城県沖!!!!!!!!

宮城県????!!!!
私の実家!!!!!!!!!!

東京ですらこんなに揺れたのに、
家族は、家はどうなっちゃったんだろう。

詳しい状況が全く分からない。
続く余震。
家のすぐそばを通る救急車や消防車のサイレン。

ツイッターで東京にいる友達の安否は分かったけど、
家族には連絡がつかなかった。
171も電話回線が使えないから意味がない。

少したって、お母さんからメール。
とりあえず生きていることに一安心。

今回ほど家族と離れて暮らす辛さを感じた日はない。

その後弟からメールがきて、近くに住む祖母の安全も確認できた。
停電という話。
「携帯の充電温存のために連絡は控える。」と言われ、
はっとさせられた。

こっちは心配する気持ちからメールや電話をしていたけど、
実際その場にいる人にとって、
停電している中、唯一の連絡手段である携帯は重要。
何も考えずただやみくもに行動していた自分を反省した。
そして弟を少し頼もしく感じた。

無事でさえいてくれれば、
命だけでも助かってくれれば、
後でいくらでも連絡はとれる。

でも、もし現場で充電なくなって
大事な情報も得られなくなったら、命に関わる。
夜になれば携帯画面の明かりも、何かの助けになるかもしれない。
何より、そんな状況の中、携帯切れたら、不安と焦りが増すだろう。

本当に相手の立場に立つとか、思いやるってことを考えさせられた。


続々入ってくるニュース。
知ってる地名や場所の変わり果てた様子が映し出される。

東北出身の友達も多いから、
家族と連絡のとれない友達の不安は痛いほど分かった。
励ましあって、無事を祈り続けた。
それしかできない。
ほんとは、実家に駆けつけることも考えた。
でも交通機関も止まり、詳しい状況も分からないのに、
行っても被害を増やすだけだと考えた。

できることは、ただひたすら無事を祈るだけ。連絡を待つだけ。


Facebookを通じて、海外の友達が
心配してメッセージやコメントをくれた。

心があったかくなった。
地球はひとつだなって感じた。

でもそれだけ、大災害だってことも感じた。

朝になれば、少しは連絡とれるようになるって思ってた。
でもまだ県北のおじいちゃんおばあちゃんと連絡がつかない。
仙台の家族からも連絡がつかないみたい。

祖父母の家のある市内の様子が中継で映った時、
倒壊している家がいくつかあった。

心臓が一瞬止まった。
見覚えのない家だが、祖父母が心配でならない。
そして、見覚えなくても、実際に家が崩れて被害にあっている人が
今この瞬間にいること。
その人も誰かの大事な人であること。
そのために心を痛めている人がいることが辛い。

2日前にも地震があって、
おばあちゃんに電話した時は無事だった。
たいしたことなかったって言ってた。
今回も無事であることを、ただただ祈る。
どうか、どうか、どうか、みんな無事でありますように!

これ以上、誰も悲しまないで。苦しまないで。