↑かよさんのブログを読みました。

相談者さんが、
>やられた時に孤独を感じる

と書いていますが、分かる気がします。

私は高校時代に、軽いイジメ(男子によく嘲笑されていた)を受けていました。

当時、クラスの男子数名のうちで流行っていたのは、「好きでも無い女子に罰ゲームで告白する」というもの。

私も男子に呼び出されて告白され、罰ゲームの存在を知らずに困惑して断りました。

後で他の男子が嘲笑って来たので、嫌がらせだと気付きました…
ショックでした。

私は「嫌がらせされた惨めな私」にフォーカスして、「他のクラスメイトにも同じように嫌われているのかな…」
「みんな、私を嘲笑っているだろう。」
と、猜疑心に駆られました。

特定の人からの嫌がらせを、その人個人の問題だと思わず、「私が嫌がらせを受けるだけの問題を持っているからだ」と思い込んでいました。

私が元々持っている潜在的な不安と恐怖
=私は皆から嫌われるような出来損ないである
という信仰。

自分の中で揺るぎない自己無価値感があるから、全ての出来事を、信仰に結びつけて考える
=ストーリーを生成する
癖があったんですね。

何故かというと、
母からいつも叱責されていたから。
全ての行動を監視され、目くじらを立てられ、小言を言われる。
私は行動するのが怖くなった。母の目から逃れられない。
「私が何かすると批判される」
という恐怖。
だから動けない。
相手の目を気にして、相手の出方を伺うしかない。

かよさんの言う
>頭の中に攻撃された私しかしない
>自分から見た視点しか育っていないから、視野が狭くなりパニックになる

まさに、私です…!
思い込み(被害妄想)が激しいと、夫からもよく言われます…


>ちゃんと自分の感情の声を聞くことが出来ないと、自分が考えてる本音を聞くのは無理

…そうですね。
私は私との間に信頼関係が無いのか…

母の監視の目が内在化している。

それを良しとしている。

私は自分と対話するのを、求めているのに、拒んでいる。

だから私は、私に本音を言えないんですね。

フェイクで生きてる。

私を受け止められるような私になるのが、とても怖い…
拒絶反応がとても強い…

かよさんのブログ「クソ女子問題」から「一番の問題は自分」まで、連続して読みました。


もうね、私の事を語ってくれてるようで…

頷きながら読みました。


母との生活で扁桃体が過剰に働いていた幼少期、その問題に無自覚なゆえに対処せず、生きてきた私。


>扁桃体に問題がある人=暴君は精神的に不安定で予測不可能


私は40にもなって、精神が未熟で不安定です。

見た目は大人でも中身は小学生。


日々の出来事に一喜一憂する悲劇のヒロイン。

物事を俯瞰する事が出来ない。


…これが、今の私。


「バカ」や「メンヘラ」と言われる事に対する痛みや拒絶反応が減り、このような事を自覚できるレベルまでこれたのは、かよさんとのセッションのお陰です。


家庭環境により暴君化した私は、コントロール欲が強い。

自分で制御できない程に。


だから家で子供達を思い通りにしようと、支配している。


拒否されるのが怖いから先に支配する。


なんて幼稚で未熟なのか…

でも、それが私。


扁桃体の過活動を止めるための行動、私には必要だと思いました。


かよさんが私にくれたアドバイスも同じでしたね。


「過去の経験(Xでの投稿)を言語化して整理し、今と昔と違う事を落とし込む」

「今ここに危険はあるか?」立ち止まる


前頭葉の活動を活性化させる為の行動も、とても参考になります。


★WHYを問う習慣=「掘り下げ」

★退屈に耐える(ぼーっとする)=瞑想

★感情を一拍置いてから行動する=俯瞰

★視点を変える=俯瞰


なのかなぁ、と自分なりに噛み砕いて理解しました。

(ズレてるかもしれませんが…)


>一軍グループにいること自体が自分の価値という幻想

>大衆に分かりやすい自慢できる価値


これは私で考えると、「肩書」「資格」ですね。

わかりやすく自慢できる価値。

まだ幻想の中で生きている。


何故なら、「スペック=価値のある自分」だと思い込んでいるから。

賞賛される事に、まだまだ飢えている。

求めている。

称号を得る為に、レースに自ら参加している。


>価値感が同じだから支配される

相手は変えられない。

母は変わらない。

私の価値感を変えれば、レースに参加しない事も出来る。


でも私はまだ母と同じ価値感の土俵で戦っている。

勝ち負けにこだわってる。


まさに一番の問題は自分、ですね。

寝る前に息子が娘に「役立たず!」と言っていた。

私は「役立たず」という言葉が本当に嫌いだから、過剰に反応してしまった。


「人の役に立たないといけない」

「誰かの為にならないと自分には価値がない」


そう思って他人の機嫌を取りながら生きてきた。


だから、息子の発する「役立たず」という言葉には胸をえぐられるような痛みを感じた。


そして、息子を叱りつけてしまった。

「なんで役立たずなんて言葉を△△(娘)に言うの?役立たずって言われたら、嫌でしょう?」


息子「でも僕は役に立ってるよ。学校でも傘を忘れた友達に届けたりしてるし…」


私「何それ?そんな事初めて聞いたし。大体、お友達の家なんて知らないでしょ…

そんな嘘ついて。」


息子「嘘じゃない!」


…不毛な言い合い。


私は感情的になり過ぎたみたいだ。


自分が「役立たず」と言われたみたいに感傷的になり息子を嘘つき呼ばわりしてしまった。


なぜ、息子の発した言葉一つで、ここまで感情を揺さぶられるのか?


私の中のトラウマを刺激されてしまったのか…

原因は息子ではなく、私自身の中にある。


そして、息子が役立たずという言葉を使うのも、私に原因があると決まっている。


私が「人の役に立たないと自分には価値が無い」という不安にとらわれているから、その不安を息子にも受け継がせてしまっているんだろう。


だから息子も、「僕は役に立ってる」という視点で物事を判断している。


息子にも他者評価=自分の価値、という信仰を引き継いでいる…


これは呪いだ。


母から受け継いだ呪いを、まず解かないといけない。


夜遅くなったので、明日掘り下げたい。