昨日から一人で過ごしている。


布団シーツを洗って干す。

サイズアウトした子供達の洋服、古くなった寝具を処分する。


押し入れに、文字通り押し込んでいた布団や洋服を、取り出しやすいように整理する。


本を読む。


気になっていた映画を見る。


公園を散歩する。


見かけた花の名前を、植物図鑑で調べる。



穏やかで誰にも邪魔されないひとり時間。


でも、何か心許ない。


寂しい。


油断すると涙が出てくる。


悲しい訳では無い。


何か、すっぽりと抜け落ちているような。


喪失感だろうか。


でも、何の?


私には何かが欠けている気がする。


その正体が、分からない。

嬉しい感情を出すのも、悲しい感情を出すのも、”あと一息”という感じがあります。

不足感を感じないようにしているような?

嘘はついてなくても、書いてないことがあるような?

ひとりの時間が持てるということなので、今までにない吐き出しが起こる気がしています。


かよさんのコメント通り、なんだか不足感がある気がしています…

喉元まで出かかっているけど、飲み下しているような。

昨日から一人になって、好きな本を読んで散歩しています。

でも…どこか虚しいような、寂しい気持ちに襲われます。

そんな気持ちを感じないように本を読む。

…何故なのか、分かりません。
なぜあの状態からここまでの変化を得られたのか、きちんと理解しておくと、再現性がありますのでラストスパートやっていきましょう。


そうですね…何故なんだろう?

セッションを一時的に中断した時には、まだ大きな変化はなかったと思います。

かよさんとのブログセッション、LINEセッションをしていた時は、かよさんに教えてもらってばかりでした。

私はいつも正解を求めてばかりだった。

かよさんの指摘に対して「はい、私は〇〇です」とオウム返しするだけ。

考えているつもりだけど、上っ面だけ。

小手先で何とかなると思っていた。

かよさんの指摘を全部読んで、覚えて、習えば何かが変わると思っていた。

かよさんを学習塾の先生のように捉えていたんだと思います。


でも、この1ヶ月のブログセッションでの変化は、目覚ましいスピードで進んだ。

何故か?

「このままでは変わらない」
「学習しているだけでは、知識を補給するだけでは、私の人生はずっと辛いままだ」

と、痛感したから。

私の人生はずっと、小手先のハウツーだけで乗り切ってきた。

他者評価を上げる為の努力だけしか、してこなかった。

自分の人生なのに、自分の事は後回しにして、他者のために努力してきた。

さっかく努力して掴んだ学歴や難関資格や職業も、全て他者の為。

だから充実感は得られなかった。
「もっと頑張らなきゃ」
「こんな自分では駄目だ」
「この程度では駄目だ」

焦燥感、虚無感、苦しさ。

私は誰かの為に努力しても、幸せにはなれない。


「私は今までの自分を変えずに、知識だけアップデートして変わろうとしている」

LINEセッションの終盤で気付いた。

アタマだけ変わったつもりで、感情は閉じていた。

だからブログセッションを再開した時に、私は決意した。

「私が変わらないと、何も変わらない」
「知識を得るんじゃ駄目だ」


以前の私は変わりたくなかった。
自分を変えずに幸せだけ享受しようとしていた。

でもそれが無理なんだと気づいてしまった。
追い込まれた。


今の私は、心から変わりたいと思っている。

私を幸せにしたい。

満たしたい。

私の人生を、私の好きに生きたい。

心地良く過ごす事が、私への愛だ。