ここ1週間を振り返り、反省。
自分の体調そっちのけで、子ども達を優先してしまった…
先週末はUSJに行き、その疲れが残る
+生理が始まる
+台風接近による低気圧
トリプルパンチの1週間だった。
会社の研修で水曜日は朝早かったし…満員電車での通勤も、しんどかった。
テーマパークでの刺激のせいか、眠りの質も良くなかった。
頭の中でずーっと思考が一人歩きしてた感じだから、起きても脳疲労物質が蓄積されてる感覚があった。
(セッション受ける前は毎日そんな感じだったから気付かなかったけど、今では気付けるようになったのは進歩)
そして生理中はやはり疲れが溜まりやすい。
ダルいし、低気圧による頭重感や倦怠感は無視できない。
こういう時期こそ、自分の体調に気を配り休養に充てなければいけないなぁ…と今になって反省する。
何故なら、私は疲れているときほど休めないのだ。
「疲れたなぁ…今すぐ横になりたい。」と思っているのに、娘に「ママ、鉄棒出来るようになったよ!見せてあげるから公園行こう!」
と言われると、断れない。
夕飯後に公園に行く。
息子が「スケボーパークに行きたい!」と言うと、天気の悪い日に車で30分かけてスケボーパークに連れて行く。
自分の疲労やダルさはフル無視する。
子どもの予定が最優先なのだ。
これは優しさではない。
「子ども想いの優しい母親」という理想を常に体現していないと気が済まない、私のエゴなのだ。
結果、私は身体に蕁麻疹が出た。人生初。
手首も脇も内腿も、とにかく痒くてビックリした。
それでも私は娘の公園に付き合い息子のスケボーに付き合い…(本当にバカだ、私は)
とうとう頭痛と吐き気で起き上がれなくなった。
幸い、夫が夕飯の支度から食器洗いまで全てやってくれて、私を寝かせてくれた。
夫にはめちゃくちゃ感謝している。
「大好き!ありがとう!」と抱きついて愛情表現した。
素直に甘えられるようになったのは、夫を信用しているからだ。
そこは私も成長したなぁと思う。
ただ、私が寝込む羽目になったのは私自身の選択の結果であり、変わらなければならないと思っている。
子ども達に「NOが言えない」エゴの高さが邪魔しているんだ。
「NOと言う」とどうなる?
⇩
子ども達の期待に応えられない母親であるとレッテルを貼られる
⇩
理想と違う
⇩
「私は理想の母親ではない」=駄目な母親だ
⇩
存在価値が無くなる恐怖と不安
⇩
「NOと言う」なんて私は母親失格だ。
と思い込んでいたんだ。
実際は
「NO」と言うとどうなる?
⇩
子ども達は残念がるだろうが、勝手に子ども達自身で遊ぶ。私はゆっくり休める。
⇩
無理に子ども達のリクエストに応えなくても大丈夫なんだ、という気づき
⇩
「NOと言う」と、普段通りの日常が繰り広げられるだけだ。
(まだNOが言えていないから憶測に過ぎないが)
このバンジーが飛べないから、ずっと怖いままなんだ。
そしてバンジーを飛ぶ為には、「自分スゴイ」に気付いて手放す必要がある。
私は、最低限の睡眠と食事さえとれれば、フルパフォーマンスが出来ると思っていた。
→自分スゴイだ。
自分の身体と心は、ロボットのように無機質なもので、常にコントロール出来ると思っていた。
でも違う。私の心も身体も、ちゃんと反応している。日々ストレスを感じている。
・テーマパークでの非日常(楽しいもストレスになり得る)
・生理中の身体の変化(ダルさ、疲労感)
・低気圧や蒸し暑さでの頭重感
私の身体も心も、ちゃんと感じ取っている。感覚を持っている。
それを私はずっと無視してきた。
繊細さ=弱さ
休養して自分を労る=自堕落
感受性=打たれ弱さ
そう断罪してきた。
父と母から受け入れてもらえなかった事がトラウマになっていたんだと思う。
受け入れてもらえない辛さや悲しさを処理しきれなかった私は、「要らない」「必要ない」と、自分の中から排除して生きてきた。
だから今も辛い。
本当は、自分の繊細さ、感受性の高さ、感覚を、認めて欲しかった。受け入れて欲しかった。
それを親からしてもらえなかったのなら、自分でしてあげるしか無いんだ。
そうしないと私はNOと言えないままだ。
そんな私は、私を大切に出来ない。
みんな、当たり前に出来ているのに。
私は、私を、否定している。