続きです。


昨日の朝、睡眠不足と脳機能の低下でパニックになった私は、
「息子の水泳、18日からとお便りにあったけど…日程、息子に確認して準備させないと。」
と思い立ち、
「水泳いつから?」
と息子に聞いた。

息子は「15だよ!」と言うが、お便りと違う…

ちゃんとタブレットで確認してもらうと18日からだった。
(この時点で、既にイライラしている私。)

「水泳の持ち物の確認して。お便りに書いてあるから。」
と伝えるも、息子は
「お便りが無い。」
と…

さっき息子にお便りを渡したはずだと思い、私は更に苛立つ。

「どこに置いたの?探して。」
と冷たく言う。

息子は探しても見つからないので、水泳道具を床に散らかしたまま、本を読み出す。

私はそんな息子を睨みつける。
「ちゃんと探しなよ。水泳の道具忘れても、ママは知らないよ。」

「だってプリント無いもん。僕持ってない。」
と…
もしかして?と思い、私がプリントを保管しているファイルを漁ってみると、お便りが入っていた。

プリントを息子に見せたあと、私が受け取って、しまっていたらしい。

完全に覚えていない。
脳みそ働いてないじゃん…私。

息子に「ごめんね、ママが持ってた。」と謝り、一緒に持ち物の確認をして準備完了。

情けない…
頭がごちゃごちゃだから、一つのことに集中して取り組めないし、忘れる。

そんな自分を棚に上げて、息子に偉そうに指示する。

エゴの塊である。

要領良く何事も機敏に済ませるキラキラママに自分を設定しているから、現実の自分(要領悪い、余裕ない、全部中途半端で遅い)に嫌気がさす。
理想とかけ離れた自分には、価値が無い
=私は存在してはいけない
というジャッジを下すから、こんな自分でも存在して良いと思うために、子ども達を利用する。
つまり、偉そうに命令して、子ども達が下である事、私が上である事を誇示する。

そうしないと、生きていられないから。

…変わってないなぁ。私は。

上っ面だけの優しさ、How toはその場しのぎの人生にしかならない。

メッキはすぐ剥がれる。

「そのままの私では生きていられない」
「誰かを見下さないと生きていけない」

この恐怖と向き合わないと私は変わらない。